第32話 空が落ちたその後に、譲渡
元いろはには黄空ひたきの言葉がまだ受け入れがたかった。
「……私、私は何も。ただあそこにいただけで、偶然あなたを巻き込んで、助けてもらっただけなのに」
「私だってそうだよ。私の勇気はたまたまだ。偶然手に入れたものだ。助けてもらえたから……青山さんが、助けてくれた」
黄空ひたきが思い出していたのは食堂での一幕だった。
赤い男による壁面破壊。
あの時、怯えていた黄空にしっかりしろと声をかけてくれた青山春来。
「あの非常事態に誰かに優しくできる青山さんがいたから、私も困っているいろはちゃんに手を伸ばしたくなったんだと思う」
人波に飲まれていた元いろは。
誰に頼るでもなく一人で進もうと決死の表情を浮かべていた元いろは。
彼女に声をかけた黄空ひたき。
それが今、ここまで来た。
「一つでも、二つでも、足りなかった。三つでようやく動けたんだ。赤星の燃やしたあの光景を知って、いろはちゃんの必死な顔を見て、青山さんの優しさを受けて、それで動かないなんてできなかったから、だから三つ揃ってようやく私はここにいる。生きている。生きなければいけない」
「……生きなければいけない」
元いろははそれを繰り返した。
「うん。だから、大丈夫。大丈夫だよ、いろはちゃん」
「…………」
元いろはは俯いてしばらく沈黙した。
黄空はまた剣ヶ峰を見た。
剣ヶ峰捜査官は何やら微笑んでいた。
黄空たちは気付いていないことだったが、彼は青山の名前が出たときからその顔をしていた。
黄空はいろはの顔を見直した。
元いろははまだ迷っていた。
考え込んでいた。
言葉を咀嚼しきれていなかった。
機を見計らったかのように、紫雲英が病室に駆け込んできた。
剣ヶ峰はそれを迎え入れた。
「紫雲さんお疲れ様です。お医者さんの証言とれました?」
「それどころではありません。本部からの入電です」
「はい?」
「赤い男に動きがありました。こちらに向かっています」
「…………青サン!」
剣ヶ峰は通信デバイスを取り上げた。
「一家団欒中に申し訳ありません。緊急事態です。警察病院までおねがいします」
その言葉でここが警察病院だと黄空は初めて知った。
霧生医師は勤め先の総合病院から出張してくれていたらしい。
剣ヶ峰は二三、電話先の青山と言葉を交わした。
紫雲が早口で状況を説明する。
「病院内のシェルターへの避難誘導は開始しました。黄空ひたきさん移動の許可も霧生医師からもらいました。避難しましょう、剣ヶ峰捜査官」
「分かりました」
剣ヶ峰は黄空といろはに向き直った。
「避難の準備をお願いします」
黄空ひたきは、問いかけた。
「……〈空〉は、今どこに」
「……ひたきさん」
いろはが黄空の顔を見た。
「……たぶん時間はない。私が〈空〉を託すべき相手もまだ決まってないのでしょう?」
「……ないです。これには高度な政治判断が絡みます。軍部、警察、見事に交渉が難航しているところです。しかもアメツチデバイスは又貸しまでしかできません。
「だったら私が空を飛ぶ」
「……しかし、それは……青山がここに来るまで……いっそ俺がアメツチデバイス〈空〉を……いやそれは政治的に……紫雲さんは武闘派じゃないし……くそ」
剣ヶ峰は、しばらく迷っていたが、その肝は据わった。
「……ああ、うん、しょうがない」
剣ヶ峰捜査官は懐からアメツチデバイス〈空〉を取り出した。
「これは自分の独断です。紫雲英さんも青山春来も関係ない。すべての責はこの剣ヶ峰にあります。……黄空ひたきさん、どうかよろしくおねがいします」
「はい」
「ひたきさん」
元いろはが立ち上がった。
「……止める?」
「止めない。もう止めない。私はあなたに戦って欲しくないし、今でも私が使うべきだと思っている。でも、分かっている。経験がない。それはあなたに任せてきたから。私が流されるままにあなたに託してきたから。私のしたいことが出来ないのは私の責任だった」
元いろは真っ直ぐ黄空ひたきを見つめた。
黄空ひたきはその視線を受け止めた。
「ひたきさん。どうか私たちを助けてください」
「助けるよ、いろはちゃん」
黄空ひたきはアメツチデバイス〈空〉のスイッチを押した。
『
『基幹装甲を転送』
二つの音声が同時に聞こえる。
光加速ワープによってパワードスーツが転送される。
黄空ひたきの周囲をアメツチデバイス〈空〉の装甲が覆う。
黄色いパワードスーツが彼女の周囲を取り囲む。
『身体状況をスキャン。これより薬物投与を開始します』
聞き覚えのない文言。
『テンカウント』
見覚えのある数字がフルフェイスのヘルメットに刻まれる。
『ナイン、エイト、セブン、シックス、ファイブ、フォー』
「警察病院のルート図、転送します! 屋上へのルートを設定!」
剣ヶ峰捜査官が叫んだ。
『スリー』
「どうか、どうか、気を付けて」
元いろはがそう声をかける。
『ツー』
「我々も避難を」
紫雲英が誘導する。
『ワン』
「いってきます」
黄空ひたきは、そう言った。
『ゼロ』
アメツチデバイス〈空〉は病室の床を蹴り、外に向かって飛び去った。
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