第31話 空が落ちたその後に、病床

「……はい、ありがとうございました」

 剣ヶ峰は満足そうに紙の手帳を閉じた。

「自分としては元いろはさんの証言との差違はないと思いました。紫雲さんは?」

「はい。こちらも問題ありません。必要十分の証言は集められたかと」

「では事情聴取は終了です」

「お疲れ様でした」

 黄空は小さく頭を下げた。

「ええっとどうするかな。どうせまだ〈空〉着る人は決まってないだろうし……俺はここで待機だな……ああ、黄空さんからこちらに聞いておきたいことは?」

「アメツチデバイスの投薬機能について気になります」

「それでしたら詩歌さんの証言がありますね」

 剣ヶ峰は手帳を数枚後ろにめくった。

「えーっと『アメツチデバイスには投薬機能があります。人間の限界を超えた駆動を可能とするための、精神肉体双方に作用する薬。研究所では俗称としてドーピング機能と呼んでいました。本来、使用者をモニタリングしながら調整するものですが、今回、管理下を離れての運用のため、オーバードーズを起こしたものと思われます』」

 剣ヶ峰は手帳を一枚めくる。

「『なお赤星従後が黄空ひたきさんと違ってこちらのモニタリングなしでアメツチデバイスの投薬機能を享受できているのは、彼に合わせてアメツチデバイスが作られたからだと思います。青山春来氏に関しては装着回数が少ないため問題はまだ発現しないと思いますが、モニタリングの施行を提唱します』。以上です」

「……医師の見解は聞かれました?」

「いいえ、もしかしてなんかあります? 持病とか」

「持病……ですね」

「そうでしたか」

 剣ヶ峰は元詩歌の証言と同じページに何やら書き付けた。

「ということは医師の見解も聞いておいた方が良いですね。青山も……次の装着者選定にも必要になるだろうから……」

「医師へは私が話を聞きに行きましょう」

 紫雲英が立ち上がった。

「ついでに元いろはさんをお呼びしましょうか? 黄空ひたきさんとお互い心配しているでしょうし……問題ありますか、剣ヶ峰捜査官」

「んー。大丈夫! たぶん!」

 剣ヶ峰捜査官はあまり悩まずにそう言った。

「自分が立ち会いますし、きっと大丈夫です」

「承知しました。行って参ります」

 

 紫雲英が去ってすぐに、病室に元いろはが駆け込んできた。

「ひたきさん!」

 元いろはは泣いていた。

 目が真っ赤だった。

「いろはちゃん」

 黄空ひたきは微笑んだ。

 その顔色は悪かった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「泣く理由も、謝る理由も、どこにもないよ」

 剣ヶ峰がいろはに椅子を譲り、紫雲がいた場所へと移った。

 元いろはは堰を切られたように話し出した。

「私が止めるべきだったんです。どこかでやめてと言うべきだったんです。私が装着するべきだったんです。お願いなんてするべきじゃなかったんです」

「いろはちゃん」

 黄空ひたきはきっぱりと彼女の名前を呼んだ。

「そんなこと言わないで、いろはちゃん。私がやっていたことは私の責任なのだから、あなたが気に病むことなんて一つもないよ。私はね、助けられてよかったんだよ。君を誰かを青山さんを」

「…………」

 元いろはは静かに首を横に振った。

「だって……でも……私は……」

 言葉がそれ以上続かなかった。

 元いろはの心に渦巻く後悔を、黄空ひたきは眺めることしか出来なかった。

 その後悔を知らない黄空には、その慰め方が分からなかった。

「それに私はね、死ぬわけにはいかないから」

「それなのに……あなたは飛び込んでいく」

「……私はね、死ぬわけにはいかなくて、でも、今はもう、それはなくなってしまったよ」

「……え?」

「かつて人類が宇宙に飛び出した頃、原因不明の病気が多くはやった。総称してその名もずばり宇宙病」

 宇宙病。その説明はし慣れてはいないものだった。

 黄空はそれをなるべく沈黙してきていた。

 知っている人間だけ知ればいい。

 そう思って、そう信じて、ここまできた。

 元いろはは困惑の表情を浮かべ続く言葉を待った。

「しかし宇宙病の多くは思い込みから来るモノだった。いわゆるプラシーボ効果。『宇宙なんて未知のところに飛び出したら病気になるに決まっている』そういう思い込みが集団に膾炙しはやり病となった。人の心とはかくも恐ろしいものである」

 それは何かの文献の引き写しだった。

 黄空はそれを覚えてしまうほど読み込んでしまっている。

 何度も読んだ。

 学んだ。

 考えた。

「一方で本物の病も確かに存在した。未だ解明されない病。人類が宇宙に出て初めて得た病。世の中には原因不明の病気なんて山ほどあるけれど、全天時代以降に発現した病はデータも少なく療法もない」

「聞いたことはもちろん。あります。でも、今その話をするってことは……」

「うん、私の両親がまたそれだった」

 幼い頃に死んだ両親。

 本を遺して逝った両親。

 黄空ひたきを一人にした両親。

 その病が原因で知り合った両親。

「遺伝の影響も否定はできず、今なおどこかで誰かが苦しむその病。私もまたその因子を持ち合わせていた」

 遺伝性の宇宙病。

 その原因と考えられるものは様々で確かなことは何も言えない。

 読んでも書いていなかった。

 学んでも分からなかった。

 考えてもたどり着けなかった。

「その検査のために幼い頃からよく病院には来てた。だからね私にとって入院は日常なんだ。そして両親がいなくなってからはひこばえだいにあるパナギアエリクシルの運営する児童養護施設に私は入った。悪いところじゃなかったよ。この星の養育制度はなかなか先進的なんだ。そして今ではそこの会社員やっている」

「……知らなかった。知ろうとしなかった。気にすることもなかった」

 元いろはのそれは独り言だった。

 俯いて、そう呟いた。

「いいんだよ。気にしないで。たぶん話さなかったと思うから」

 どうしてかは黄空ひたきには分からない。

 話したくないのかも知れない。

 話せないのかも知れない。

 ここまで話をしたのは今日が初めてだった。

「だから、私は、死ねなかったんだ」

 死ぬわけにはいかなかった。

「少しでも多くのデータを遺すため私は不慮の事故では死ぬわけにはいかない。できるだけ健康に配慮して生きて、発病したらデータを取り、発病せずともデータを取る。そのために私は生きている。そしていつか死んだとき死んだ後、きっと何かの役に立つ」

「……死ぬときのために死ぬわけにはいかなかった?」

「うん」

 元いろはは俯いて沈黙した。

 黄空ひたきは続ける言葉に困って剣ヶ峰捜査官を見やった。

 剣ヶ峰は手帳を閉じていた。

 軽薄な表情は消え失せて、しかし同情や同調をするわけでもない、ただそこにいるだけの役割をまっとうしていた。

「そのはずだったんだけど……まあ、アメツチデバイスの投薬機能のおかげでサンプルとしてはかなり破損してしまった」

「サンプル……破損……そんな自分のことをそんな風に」

「それが私の生きる意味だったから」

 黄空ひたきは自分が落ち着いているのが不思議だった。

 今までそれを自分の生きる意味だと思って生きてきた。

 死ぬわけにはいかない黄空ひたき。

 それ以外に何もなかった黄空ひたき。

「不思議だね。自分の生きる意味をなくしたら私はどうなるのか、不安だったのに……たぶん君を助けられたからだ」

「私……?」

「うん。それだけで、私の命の価値はあった。あそこに私が居られてよかった。だからね、今わりと平気」

 黄空ひたきの微笑みに陰りはなかった。

 その姿勢に迷いはなかった。

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