第8話 黄空の日常、パナギアエリクシル

 黄空ひたきの勤めるパナギアエリクシルは、医薬品を開発・販売している会社だ。

 その業績は順調で、年の輪のさらに外側にある蘖台ひこばえだいに児童養護施設を経営しているなど、社会貢献に資金を割く余裕もある。

 新薬開発に意欲的に取り組んでいるため、同じエメラルド恒星系内でも、商業の中心地であるエアマリーナや、工業の星であるモスタイガではなく、政治・行政との連携が取りやすい、政治の中心首都惑星であるリリークリーフに本社を置いている。

 黄空の仕事は営業だが、開発や製造の担当者も同じビルにいる。

 規模の大きな会社である。


 社内の顔見知りのほとんどはすでに黄空が昨日、出張帰りに宇宙港にいたことを知っていた。

 おかげですれ違うたびに昨日は災難だったな、を枕詞に多くの人に呼び止められた。

 心配半分好奇半分の視線にもみくちゃにされいつもより進みが遅かった。

 ようやく自分の部署にたどりついた黄空を待っていたのは直属の上司の苦笑いだった。

「おはよう黄空、昨日は大変だったみたいだな」

「おはようございます、ボス。人生って何があるか分かりませんね」

「まったくだ。まあ、君に怪我がなかっただけよかったさ」

「ご心配をおかけしまして。ところでうちの積み荷は大丈夫だったんでしょうか?」

 昨日の惨状を思い出す。

 宇宙港の外壁が受けた損傷。

 あの向こう側は積み荷エリアだったと聞いている。

 あの中に自社の商品が混じっていたら大損害だ。

「各地の宇宙港で足止め食らっている荷物は多くあるけど、物損という意味では被害は確認されていないよ。どっちにせよ大変なのは変わらんが不幸中の幸いというやつか」

 運がよかったらしい。

「宇宙港の利用制限はうちに限らず銀河間を股に掛けた輸出形態取っている会社には痛手ですものね……」

「ああ、薬品の供給への影響は避けられないだろう。自分の取引先のリストと輸送制限を照らし合わせて、早め早めに連絡を入れておいてくれ」

「分かりました」

「特に危急を要するものがあれば優先輸送願をまとめて出す。そちらの交渉はどっちかというともうちょっと上の仕事になるだろうけどな」

 パナギアエリクシルは医薬品を専門とする会社だ。嗜好品の類を販売している会社とは違い、緊急時の輸送優先度は高く設定されている。

 この状況で無理を通すとなれば政治レベルの話だ。黄空たち末端がどうこうできる話ではない。

 黄空に出来るのは自分の顧客に優先順位をつけることだけということだ。

「劣化を承知で超高速光転送で輸送することも選択肢に入ると思うから、手始めにそこら辺、取引先に一言断っておいてくれ」

「はい」

「以上だ。お疲れのところ悪いがさっさと仕事に取り掛かれ。我々は一生に一度あるかないかの大修羅場だ」

「イエッサー」

 黄空ひたきは自分のデスクにたどり着いた。

 上司の言葉は厳しかったが、それでも態度は優しいことを黄空は承知していた。

 宇宙港の被害状況を考えれば、昨日の事件が発生した時点で部署の全員に呼び出しがかかっていてもおかしくない。

 宇宙港にいることを承知して黄空には招集をかけなかった。

 そう言う優しさを上司は発揮していた。


 黄空ひたきは顧客リストを開き、仕事に取りかかった。


 仕事をこなす傍らで黄空ひたきの脳内は昨日に自分が体感したアメツチデバイスについて考えていた。

 この全天時代、仮に光転送のことを知らないものはいても、その恩恵にあずからずに生きているものはこの全天にはいないだろう。

 恒星間を運行するに当たって、光転送は必須技術だ。

 黄空ひたきの常識では光転送は大規模な設備とエネルギーを必要とするものだったが、アメツチデバイスはポケットに入りそうな大きさでそれをなしていた。

 光転送の速度にには段階がある。

 人の体が耐えられるものから、硬度の高い鉱物ですらもたないものまで

 医薬品への影響も考慮して輸送しなければならない。

 あえてそれを利用した人工物の製造方法なども確立されているが、黄空の専門にはあまり関係のないところなのであまり詳しくはない。


 それを思うと、アメツチデバイスの性能は本当にとんでもない。

 安全性の担保なしに光転送など、技術の黎明期ならいざ知らず、今時それを選ぶのは宇宙海賊くらいだ。

「……というかそれをやるのが宇宙海賊だって定義だったかな?」

 宇宙海賊の定義は「全天連合の許可を受けずに恒星間移動を行うもの」だ。

 宇宙海賊などエメラルド恒星系にはまずほとんど関係のない話だった。

「いろはちゃんは元天地の専門分野が光転送の小型化って言ってたか」

 必要エネルギーなどどう賄っているのだろう。

 黄空ひたきの知識では考えても答えの出ないことばかりだ。

 それでも頭の片隅に疑問は渦巻いた。

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