黄空の日常

第6話 黄空の日常、我が家

 5月13日7時45分。

 元いろは目を覚まし、見慣れない部屋とパジャマに戸惑った。

 書籍や本が仕舞われている書棚と事務机、そしていろはの収まっているベッド。

 個性の薄い、とても普遍的な一部屋。

 そこは黄空ひたきの住む2LDKのマンションの客室だった。


 昨日、赤い男を退けた黄空に、いろははアメツチデバイスの隠匿を依頼した。

 警察および諸機関への隠匿。

 被害に対してあまりに図々しい願いにもかかわらず黄空はあっさりと受け入れてくれた。

 頼んだいろはが拍子抜けするくらいだった。

「いろはちゃんがそうしたいのなら」

 淡々と帰ってきた言葉に、いろはは黄空のことが少し心配になったくらいだった。

 その後、遅まきながら駆けつけたリリークリーフ警察によって二人は救出された。

 青山という刑事は病院に搬送されたらしい。

 いろはたちの事情聴取を担当した青山の同僚刑事によると、命に別状はないとのことであった。

 ひとまず安心した。

 宇宙港の被害を見れば安心などしている場合ではなかったが、自分たちを助けてくれた男の無事は、いろはには涙が出そうなほど喜ばしいことだった。

 大規模破壊の起きた宇宙港は完全に混乱していた。

 銀河間線は完全に閉鎖され、星間線も営業を縮小せざるを得なかった

 予定外に宇宙港から出て行く人間が増え、交通機関は大きく乱れた。

 黄空のマンションに帰り着くのには普段の5倍の時間がかかったらしい。

 リリークリーフのホテルはピンからキリまでもちろん満員。

 乗りかかった船と、黄空は当然のようにいろはを自宅に招いてくれた。

 いろはとしてもこんなことに巻き込んだ黄空とそこで別れるわけにも行かず、迷惑をかけ通しの罪悪感を抱えながらも黄空宅にお邪魔することとなった。

 黄空の家にたどり着いたときにはまだ日が傾くくらいの時間であったが、シャワーを借りて、キューブヒルズから持ってきた寝間着に着替えるといろはすぐに眠ってしまった。

 身も心も疲れていた。

 黄空はあの後どうしたのだろうか。

 いろはは申し訳なさを思い出しながら普段着に着替え、客室を出た。


 ダイニングでは黄空ひたきが朝食の準備を終え、コーヒーをすすっていた。

「おはよう。いろはちゃん」

「おはようございます。ひたきさん」

 黄空はテーブルの上を示した。

 小さな丸いテーブルに二人分の朝食が少し窮屈そうに並んでいた。

「適当に朝食を作っておいたから適当に食べて」

「はい、ありがとうございます」

 いろはは礼をしながら、黄空の向かいに座った。

 座った椅子は黄空が座っている方の椅子と比べると、新品同然だった。

 使い古された黄空の椅子と、全く使われていないいろはが座った椅子。

 昨日は細かいことを聞きそびれたが、黄空ひたきがこの部屋に一人暮らしをしているのは間違いないようだった。

「朝は何食べる派とか私は特にないんだけど、いろはちゃんは何か食べたいものある? パン派ご飯派?」

「しいて言うなら食後に果物が食べたい派ですかね」

「健康的でいいね」

 感心して見せてから、黄空は部屋の隅に控えていた家庭用コンシェルジュロボを手招きで呼び出した。

「家にフルーツ、何がある?」

『キウイ、オレンジ、パイナップル、グレープフルーツ、リンゴがあります。キウイは柔らかくなってきましたので、お早めに食べてくださいね』

「だって。どれがいい? ジュースなんかにもできるけど」

「じゃあ、リンゴを、普通にスライスで」

『ゲストの声を認識。リンゴのスライスをお持ちします』

「よろしく。じゃあまあ、召し上がれ」

 黄空は食卓の上を示した。

「お口に合えばよいのだけれど」

「いただきます」

 いろはは手を合わせてから、ご飯茶碗に手を伸ばした。

 黄空が一人分として用意したメニューは、白米に豆腐の味噌汁。鮭の切り身にほうれんそうのおひたしというごく一般的な和食だった。

 それ以外にも総菜のたぐいが大皿に載せられていて、一汁三菜もクリアしている。

「料理お上手ですね」

「バカの一つの覚えみたいなメニューしか出せないけど、味は保証するよ」

 まるで普通の朝のような時間。

 昨日のことが嘘のようだった。

「私この後、中の幹にある本社に出勤するからお昼は適当にあるもの食べるか出前か食べに行くか……」

 黄空は端末を操作し食料庫の中身と出前のチラシと近所の飲食店の地図を表示した。

 食料庫の中身をいろはは確認する。

「キッチンをお借りしても大丈夫ですか?」

「うん、好きに使っちゃって。料理できるんだ?」

「キューブヒルズの家ではほとんど一人暮らしみたいな感じなので、時間が余ってしょうがないから何か作ってるんです」

「若いのに偉いねえ」

「そんなこと言っちゃって。ひたきさんも私とそう年齢は変わらないでしょう?」

 そう言ってからいろはは黄空の年齢をしらなかったことに気付いた。

「ひたきさん、おいくつなんですか?」

「25歳、学卒5年目だね。いろはちゃんは?」

「私は、17歳です。学校には通っていなかったけど、教育プログラムで基礎教育は修了しています」

「家で受けてたの?」

「はい。そもそもキューブヒルズには一般的な学校施設がありません。一応、幼児研究用の学校施設はあるにはありますが。研究施設という側面が強く、私は通っていませんでした。その代わりと言いますか、家で受けられる教育プログラムは多岐にわたります。家での教育プログラムを経てキューブヒルズの研究施設に勤める人も少なくありません。私の父も姉もそうでした」

「お姉さんもあのデバイスの開発者?」

「いえ、姉の専門はセキュリティ系です。認証システム実装の責任者をしているみたいですね」

「アメツチデバイスって声紋認証? この子みたいに」

 フルーツを持って帰ってきたコンシェルジュロボからお皿を受け取りつつ、黄空は尋ねる。

「そうですね。たぶん声紋に限らず生体認証全般が組み込まれていると思います。一応最初は事前登録者ファーストライセンサーの私に反応するように設定しているでしょうけれど……。ああ、あと、身分証デバイスも読み込めましたね」

「そういえばスキャンしていたね」

「現在は、ひたきさんが許諾登録者セカンドライセンサーとして認定されているので、身分証デバイスが提供する生体データとひたきさんの生体データが一致する限り、ひたきさんには〈空〉の機能の全般が許諾されているはずです。一方で、私が事前登録者ファーストライセンサーであるのも変わらないので、私の権限は保たれたままです」

「つまりいろはちゃんでも装着できるってこと?」

「そうなります」

「じゃあ、返しておくね」

 黄空はそう言って、用意してあったアメツチデバイスをいろはに手渡した。

「でも……」

「一晩考えたの。仮に私があの赤い男に襲われてもあなたへの脅しだけで済むけれど、あなたがあの赤い男に襲われたら、私にだけじゃないこの装置のことをより知るあなたのお父さんたちへの脅しにもつながりかねない。脅迫可能な範囲が広がってしまう。だから身を守る術はあなたが持っていた方がいい」

「いや、あの、はい……」

「って、私は思うんだけど、どうかな?」

 黄空の流れるような弁舌に押され、口ごもるいろはを気遣ってか、淡々とした冷静なものから明るく軽めのものへ黄空は口調を変える。

 いろはは投げかけられた問いに、しばしば沈黙したが、意を決してうなずいた。

「分かりました。ひたきさんのおっしゃるとおり、アメツチデバイスは私にいったん、返していただきます。ひたきさんはいわば巻き込まれた形ですし、あの赤い男がわざわざひたきさんを狙う可能性も低いと考えます。ただ、ひたきさん、お願いがあります」

「うん、どうぞ」

「危機が迫ったら遠慮なく私に連絡してください。自分のせいで私が困るとか、考えないでください。今の私はあなたが傷つけられる方がいちばん辛いです」

「分かったよ」

「私は今、ほとんどのことを理解していません。私に分かるのは、私が一度、あなたに命を助けていただいたことだけです。だから、そのあなたに危機が迫ることを、私は見過ごすわけにはいきません」

「ありがとう、いろはちゃん」

「こちらこそ、昨日助けていただいてありがとうございました。ずっと、言いそびれてた」

 いろはの礼に、黄空は笑顔を返した。

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