第三十二話 引き金を引く
第七編 北条時頼
第三話
「ダンジョーさん、今日はよろしくお願いします」
「無理を言ってすいません、私もお邪魔しますね」
「お、サキ君も清岡君も来たね。こちらこそよろしく。元寇直前の日本の交渉、及び元の外交戦略と欧州との関係性といったところはサキ君の補足があった方がいいと思ってね」
「あぁ、それで...確かに元は西欧とも関わりがありましたからね、有名どころだとやはり
「だな。彼の口述記で、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した東方見聞録は後にヨーロッパ社会を熱狂させ、ひいては日本にも南洋時代における彼らとの接触という形で影響している」
「父の国ではIl Milione...100万という名で伝わっているのよ。由来としては文字通り100万の事象あるいはそれだけの嘘が書かれていたという説から、後に富豪になった彼のあだ名から付けられたという説、ちょっと信憑性は乏しいけどミドルネームが「Emilione」だったからなんて説もあるわね」
「ミドルネームの学説は初耳だなぁ。あ、確か驚異の書って訳もあったね...まぁ、英語圏では普通にマルコ・ポーロ旅行記が一般的なのかな」
「
「なるほどな。そして欧州が飛びついた理由としてはやはり、黄金都市とも形容された日本の豪華な金銀財宝の存在の風聞だろう。フビライが目指したものも、まさにそれであったわけだからな」
膨大な金は、南宋との戦いでの損失の補填を可能にする。高麗にも銀がそこそこあったようだからそこから財源確保も可能。元にとっては、頭取の野望が無くとも、征服するに足るだけの魅力がある土地に見えていたわけだ」
軍事力だけはその底が見えないがために注視しておく必要があったが、橋頭堡さえ確保出来れば物量と優秀な機動力・火力で十分対処可能だと判断したのだろう。フビライは有事になった際に上陸後の迅速な展開を可能とするため、使者を兼ねた斥候を派遣した。1270年のことだ」
あくまで使節であったことから軍事力の誇示等は行われなかった...まだ高麗の掌握が万全ではなく、半島にこれみよがしに軍の展開が出来なかったとも考えられる...が、日本側は対馬の港湾に軒並み即応軍を配備すると共に原始的な早期警戒体制の構築が済んでいたからこれは正解であったと言えるだろう。特に近衛軍艦隊は高麗半島南部から九州北部にかけての海図作成を行っており、到達される可能性が高い港に優先して戦力を集中させていた。彼らの母体を考えればさもありなん、刀伊の入寇があったからな。万全の体制を構築して待ち構えていたというわけだ」
「使節に対しては礼を失さない対応に終始したようではあるが、常に監視員を配置していたとの記録から、元側のもう一つの目的である測量を妨害する意図があったと見るべきだろう。そしてこれらの策は時頼の発案であり...武官という立場でありながら政治にも配慮していたこと、そして旧来からの公家もそれを理解しある程度の協調体制が整っていたことの実証材料と言えるな。」
-文永7年(1270年) 4月 大宰府-
『...というわけで、我々としましてはいくつかの条件を呑んでくだされば良いのです。もちろん交流が始まった暁には優遇致しますし、悪いようには致しません』
…「いくつかの条件」の大概が呑めないものばかりなんですが。
元の使節としてやって来たのは、“史実”の第五回及び第六回使節でもあった趙良弼。彼...というかバックのフビライとしては、まぁかなり譲歩しているんだろうってことは分かるが、蹴る他ない話だ。公に朝貢を要求される、すなわち属国になれと言われるのも頂けないでは済まない話なのだが、もっと現実に根ざした問題があった。
高麗の勢力が真っ二つに割れる中、仮にも当代の正当な支配者とされる人間が無事に亡命しているというこの状況は、日本にとって“史実”よりもある種面倒なものとなっている。高麗亡命政府の引渡しを要求されたのだ。流石に感情論を抜きにしても拒否一択である、この歴史では高麗との貿易が儲かっていたのにそれをパアにされたのだから。気心知れた貿易相手、それも自分たちに助けを求めてきた相手を無下にあしらうなどそう簡単に出来てたまるわけがない。あるいは本当に実力差があるならばそういう選択を取らざるを得ないのかもしれないが...しかし、防衛を行う前提ならばそこに大きな違いがなく、国家の存亡がかかっているとなれば承諾する理由などなかった。
『残念ながらこの条件を飲む訳にはいきませぬな。交渉は某が主上より一任されておりますが、たとえ都へご案内したとしても同じことでございましょう』
聞き役に徹していた治部卿、吉田経俊がやんわりと、しかし断固とした口調で断る。そういえば、歴史の歯車が外れたが故にこのあたりにもいくつか相違が見られるんだよな...本来なら彼が治部卿に就任するのはまだ先の話なのだが、主上こと後の後嵯峨
後嵯峨天皇は“史実”では既に譲位し、院政に入っているはずなのだが、ここにも少し変化が生じていた。源平合戦を通じて朝廷は「天皇家のポストの増やしすぎ、贔屓の子の優遇とそれに取り入った朝臣が内乱の元」というように結論付けた。今は亡き後鳥羽天皇がそれまでの大乱の原因を帝なりにまとめた結果である。正直驚いたし、帝は“史実”とはまるで違う性格...伝承でしか分からないが...のように感じた。やはり神器の継承がつつがなく行われたのが大きいのだろうか。そして皇位継承については
皇太子も皇位継承之法案が適用された結果、長男の宗尊親王...“史実”における鎌倉幕府六代将軍...ではなく中宮との子、つまり嫡子である
趙は心から残念そうな顔で『そうですか』と告げた。本心も同様だとは思う。“史実”において彼は日本侵攻に反対していた。費用対効果が悪すぎるからだ。侵攻を「有用の民力をもって無窮の巨壑を埋めるような」ものだと語ったとも言われている。
だが政治的判断がそれを許さない。元としては、日本はともかく高麗朝廷は何としてでも潰さなければ沽券に関わる。それが無ければ適当な交渉で済ませても良かったかもしれないが、今となっては矛を交えることは不可避だろう。たとえそのようなことが無かったとしても結局は戦争となる未来を知っている私としては、複雑な気分になるが...
『以後貿易を行うというのはともかく、高麗は日ノ本にとって相互に益となる相手。彼らと手を切るというのは出来ませぬな』
趙にとっては取り付く島もなかった。今後、使者を送ることは約束したものの、彼の上の人間はそれも場合によっては踏み倒すことも考えているだろう。あるいはもうこの件を口実に攻め込んでくる可能性もあるが...
防衛力はきちんと整備している。全てを詳らかにした訳では無いが彼らはそれも薄々感じているはずだ。僅かなりとも抑止になることを祈り、有事にはその力が十全に発揮されると信じよう。
使節の者たちが辞し、がらんどうになった部屋に遠雷が鳴り響く。まだ夏には早いのだが...一抹の不安を、いっそ雨が流してくれないかとさえ思う。されど、現実は現実。たとえいつその時が来ても対処できるように牙を研ぎ続ける他あるまい。
日本への侵攻は、異例の速さで確定したと言っていい」
官僚は政治的に、軍人たちは名誉と経済的に、民衆は娯楽的に...何より、トップであるフビライがそれを求めていた。悲願と化していたと言ってもいい。棚ぼたがあったとはいえ、態々高麗に傀儡政権を作ってまで侵攻したのもそれが理由だったのだからな」
しかし交渉決裂が報告されたのは襄陽・樊城の戦いの最中であったから、対日戦はその趨勢が定まってからとなった。流石に海を越えての両面作戦を展開するほどの余裕は無かったし、何より軍を派遣する港があるはずの高麗では、未だに反体制派の抵抗が続いていた。これをどうにかしない限り、安定した派兵は不可能であるからな」
元にとっては幸いなことに、これは散発的なものであったから中原から引き抜いた兵力で対応すれば十分だった。その結果、樊城を陥落させた1273年2月以降急速に高麗の抵抗は勢いを失い、8月にはかの半島は元とその傘下である後高麗政権の手に落ちた」
フビライの目がついに完全に日本に向いたということだ。そして、若干の前後はあるものの、同時期に西欧より至る使者が到着した。そう、先程触れたマルコ・ポーロ一行だ。厳密な日付は不明だが、他の資料と突き合わせる限り1272年には夏季の首都である上都に到着したと推測されているな」
日本についての風説はまず到着からの2、3年、そして彼がヨーロッパへと戻る頃にもう一度得たという説が強い。これについてはサキ君の口から解説を頼むか」
「Ja, では私から。東方見聞録において日本はなんと呼ばれていたかは知っているかしら?」
そう、『
ところが、東方見聞録における最初のジパングの紹介は明らかに高麗の反乱鎮圧と関連付けたものとなっているわ。『
「うん、説明ありがとう。それでは、視点を日本から少し動かして東アジア諸国の状況を見ていこうか。」
-文永9年(1272年) 7月中旬 開州(現開城)-
王亶は軽い苛立ちを覚えていた。目の前に引き出された男の風体のせいでもあり、その男が
『なんとか言ったらどうかね、えぇ?』
『やれ』
短く声を発したのは洪茶丘。フビライの側近であり、高麗軍民総管として王亶に次ぐ地位を持つ男である。
彼の命令に、控えていた男達が容赦なく鞭を叩きつける。肉を打ち据える鈍い音が響き、曹はくぐもった苦痛の声をあげた。拷問によって全身至る所に刻まれた傷は膿み、痛々しさを強く感じさせる。
『もう一度聞くぞ。貴様が会っていたのはどこの誰だ?』
冷たい声で問う洪。
『...ただの友人ですよ』
『その言い訳は聞き飽きた。私が求める答えとは違う』
それにしても強情なやつだ、と洪は言葉を続ける。
『貴様はもう
沈黙。洪の額に青筋が浮く。
『洪よ、これ以上詮索しても無駄だ。不審な船との接触ありという通報とその当時の状況から自白無しでも十分この裏切り者を処刑する理由は足る。さっさと見せしめにした方が良い』
王亶は後高麗の王である。傀儡ではあっても...いや、だからこそ押し問答となりつつあるこの問題を早く片付けたいのも事実であった。
『...そのようですな。どうせ最後の尋問であったわけですから、既に刑場は準備しておりますし』
慇懃無礼な態度を取りつつも、洪は王亶に従う姿勢を見せた。
『......あはははははははははは!』
その直後、広間に哄笑が響き渡る。誰もが...
『いやはや、どうやらここが最期の話だともなるとどうしても笑ってしまう。
王亶はかっと頭に血が上ったのを自覚した。
『貴様、無礼であろう!』
衛兵が怒鳴る。
『無礼? 誰に対して?』
曹は嘲りの色を隠そうともしない。
『ここにいるのは高麗の支配者などでは無い。
洪は顔をどす黒く染め、何事かを言おうとしたが、何も出てこなかった。
『今はなるほど、手を取りあってここの
『ふん、倭に逃げた腰抜けが今更しゃしゃり出て来たところで何になる』
洪の有様を見て幾分落ち着きを取り戻した王亶がせせら笑う。
『果たして本当にそうかな?』
尚も曹の余裕は崩れない。
『その
否、と彼は続ける。
『我らはどれだけの時間が過ぎようとも、この土地を我らの手に取り戻す。必ずだ。日本は強い、我らに希望を...成し遂げるための希望を見せてくれた。果たして彼らの土地を一欠片でも奪えるかな?』
王亶は一瞬、たじろぎかけた。嘘偽りを述べているようにはまるで見えない。心底、
『帝の手は伸びているぞ』
囁くように曹は嗤う。
『不安か? さぞ不安だろう。どれだけ我らの同胞がいるかなぞ分かるまい。ましてや、
そこから先の言葉を曹が告げることは無かった。彼の首は薄く笑みを浮かべたまま宙を舞い、鮮血を吹き出しながら転がった彼の胴体の前には、肩で息をする男が立つだけであった。
...やられた。
王亶は心の中で毒づいた。ここで殺されることで見せしめの贄に供されることを避け、むしろ反感を煽らせる礎として芝居を打ったのだ。そして洪茶丘はまんまと乗せられてしまった...
性格は今見た通り、そして不本意ながら曹の言う通り...
-文永9年(1272年) 8月上旬 上都(現正藍旗南部)-
『...それで、斬ってしまったと』
『お恥ずかしい限りですが、まさにその通りでございます』
ふむ、と鼻を鳴らすのはこの場の支配者。張り詰めた空気とは裏腹に、フビライは子供のように目をきょろきょろとさせ、口を開く。
『別に要人であったわけでもなし、斬ったことで大きな損失があったわけでもなかろう。わざわざそれを理由に罰することでもあるまい』
洪は心中で安堵の息を吐いた。
『ま、その分と言ってはなんだがしっかりと東征で働いてくれよ。
ニヤリと笑みを浮かべながら、フビライはさらに続ける。
『南宋の攻略は...あと2年もあれば終わるだろうから、日本への侵攻はそのくらいの時期か。かの地の兵は精鋭とも聞くが、お前の
『はい、まさしく...2年で
洪の退出を尻目に見ながら、いやはや、いい男を部下にしたものだ...とフビライは呟く。我々に対して降った高麗武将の形見だ、アレは父が祖国に殺されたのを知って憎悪に駆り立てられている...祖国を滅ぼしたいとすら思っているだろう...王亶とは方針が少々違うが、まぁ問題はあるまい...我が悲願が叶うまであとわずか...
先程とは打って変わった雰囲気を纏い、フビライは嗤う。細めた目は爛々と輝き、口は薄く弧を描く。気の弱い者であれば眼前に立つだけで竦ませるような覇気を隠そうとすることも無く、
曹子一の逸話から、日本が情報戦を展開することで少しでも有事において有利な立ち回りが出来るように心を砕いていたことが推し量れる。その一環が扇動と風説流布にあったわけだが…耽羅という名を聞いたことはあるか?」
そう、済州島にかつて存在した半国家的共同体であり、高麗の侵攻によって彼らに服属していた地域でもある。まぁ対日通商上の航路にあるから、自主性はそれなりに維持されていたがな。そして彼らは王亶政権の発足後は元に…後高麗では無いというのがミソだ…服属を願い出ていたのだが、これは表向きの態度だ。実際は亡命した高麗朝廷の指示に従って日本の各種諜報機関の活動拠点として機能していた。吹けば飛ぶような国力差でありながらこのような手に出たのは、高麗と日本の中間に存在するが故に彼らもまた貿易で利益を得ていたからであろう。日本海における避難所、あるいは補給地として機能するだけでも恩恵が得られる立地にあるからな」
ちなみに元側において高麗朝廷の半島への復帰まで一切言及が無いのを見るに、気づかれていなかったと思われる。まあ一応、日本側の資料に準拠すると単に食料や水の供給地点兼伝聞集めのための保養地として扱いを受けていて、しかも取引そのものは沈黙貿易に近い形態で行われていたようだから筋は通らなくは無い」
このように対外諜報に関しては、この時期からノウハウが蓄積されていたことが
「あ、そういえばこの手の組織の話が出たついでで少し。道真の話をした時のことを覚えているかい? 黒布で顔を隠した衛士の話なんだけれど...」
そう、丁度あの頃発見された菅公伝に載っていたことから急激に実在可能性を増したあの伝承の話、それについて少し経緯が分かりつつあってね...他の公文書を辿りながら突き合わせていくと、彼らの幾人かが葛原家に関わりがあった可能性が高いみたいなんだ」
「となると葛原という家はその時々の権力者、あるいはその素質がある人間に接触して情報を提供することによりお上の覚えを良くして自身の評価を上げ、そのまま朝廷に特殊職として迎え入れられることで家の安泰を図ったということになるのか」
「...多分そういうことですね」
「歯切れ悪いわね、なにか引っかかることでも?」
「うん...結果論で見るとなるほど、どの時代でも有力者と連携しているように見えるけれども、それこそ道真だって元々はそこまで家格が高いわけじゃないだろ? なのになんでわざわざ彼と組んでいたのかがよく分からないんだよ」
「言われてみればそうだな...」
「もっと言うと、藤原道長の全盛期には彼らの影響力はむしろ衰微しているんですよね。頼義が頭領を務めていた際の多田源氏の動きから、そもそも朝廷から離れていたとも推測出来るんですけど、なぜ世代ごとに主を変えるような真似をしていた可能性が高いのかと言われると...」
「無理矢理考えるなら様々な筋に分派させることでより家の保存を確実なものにさせたとかだが...どうもそういうことをする集団に見えづらいのもある、その辺は今後の課題かな?」
「そうなりますね」
「良かったじゃない、ご先祖さまにまつわる研究のタネがひとつ増えて」
「まあね」
「よし、では少し脇道へ逸れたし話を戻すぞ」
大まかに大別するとこの時期の東アジア情勢は、日本への侵略を狙う元朝とそれに呼応して半島で物資の調達と徴兵を行う後高麗、防衛を試みる日本と協力して自身の立場を固めたい高麗亡命政権の二つに分かれる。元は海上戦力の整備に勤しみ、合浦...今の馬山に集結をさせ、日本は対馬、そして博多の守りを徹底的なものとし、壱岐諸島など有人島との連絡も密にしてこれに備えた」
この時時頼は、場合によっては島の放棄も視野に入れることを提言している。島嶼を大軍勢で攻められては在島守備隊だけでは全滅の恐れがあるからな。文永の役では住民避難のみに留めていたが、戦訓を取り入れた結果、後年勃発した弘安の役において採用され、近衛軍の戦略資源の保存と元軍の無駄な消耗に一役買っている」
「さて、それではまずは文永の役から語ることとしよう。
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