第三十三話 穿ち抜く
第七編 北条時頼
第四話
-文永11年(1274年) 10月5日 佐須浦(現小茂田浜)-
無数の煙が山からたなびき、明らかなる異常を告げていた。
『来たな』
馬上で不敵に笑う老翁の名は、宗助国。“史実”において対馬の守護・地頭代であった彼は、この歴史においてその肩書きを近衛軍対馬頭とし、沖波に揺られる幾百もの船を睨む。
『儂が小童の頃からの備えがようやっと使われる時が来たか。長生きはしてみるものよな』
その目的が侵略であることは明らかである以上、彼らに遠慮などというものは存在しない。浜辺に盛られた土塁や石垣は防波から上陸阻止へとその役割を変え、中には四角形の穴を備えたものもある。覗く銃口。火縄の火は絶やされることなく、敵を指向している。
この浜辺は港としても使われるため、防壁にはいくつかの切れ目があるが、そこには鉄甲車が鎮座し、夕陽の落ちる浜辺を睥睨する。備え付けの火車を含め、これらは全て事前に運び込まれて即席で組み上げられたものだ。その火力は極めて強大であり、いわば簡易トーチカとして活用させる算段であった。
『しかし狼煙は便利だのぉ、北にいる連中が見つけてくれればこうやって余裕をもって戦える』
「元軍、動く兆候あり」...一週間ほど前にその知らせが届いてから、助国は対馬の至る所に置かれた観測所に兵を派遣し、厳戒態勢を敷いていた。そのうちの一つが海を渡る船団を発見し、事前に決められていた狼煙を上げる。それを確認した他の観測所も同様に狼煙を上げ...と連鎖させることで索敵のみならず伝令も兼ねさせていた。彼は獲物が狙い通りの場所へ来たことに狂喜し、この大戦において先鋒の将となれたことに感謝する。
『潮の流れと人気、上がれる浜の有る無しから敵はここに来るという
臨戦態勢が整えられていたことに元の一部隊の指揮官は面倒臭さと訝しさを感じていた。海を渡る途中で見たあの煙は狼煙か...それに積極的に打って出ようとは思わないようだが、簡単に上陸を許すつもりは無いらしい。弓矢の射程に自信があるのか? まぁ終わってしまったことは仕方がない、敵が弓矢を主力とするならば...
『歩兵を前へ出し、上陸後速やかにあの土塁へと走らせよ。弓兵で掩護し、速やかに壁を喰い破るのだ』
多少の損害を許容し、速やかに障害となる陣地を排除すべきと判断した彼はそのように指示を伝える。しばらくすると銅鑼が鳴り、侵攻開始を告げた。兵を満載した
『思ったよりも多いな...』
連中、こちらの予想よりも手強いかもしれん...と彼の中で鬱陶しさは強まったが、逆に手数で攻め、奴らの矢を尽きさせれば勝てると踏んだ。やはり控えから増援を願い出よう。後高麗の奴らを送り込んで人の波であの塁を超えるのが却って一番消耗しない。それに...
『貴様ら、よく見るがいい。敵は矢を一斉に射掛けることで命中と威力を高めようとしている。一射から次の一射までに間断があるのだ。そこを上手く抜ければ勝機はあるぞ、手柄を立てた者には褒美も出してやろう』
抜都魯に乗り込むのにしり込みし、怯んでいた雑兵の目は、その言葉に黒く輝く。褒美。金。富。人の欲を刺激するものは感情を麻痺させ、時として死兵にも匹敵する力を発揮させる。単純ではあるが、なればこそ効果的でもあった。
『さぁ行け、行って手柄を立てて来い! ぐずぐずしていると後詰めが来て貴様らの分まで平らげてしまうぞ!』
目をやると既に早い者達は上陸に成功していた。土塁の後ろから射ているために、ここまで近づけば曲射でも大した脅威にはなるまい。多少手こずるだろうがこれなら...
上陸した兵のおよそ半数がほぼ同時にバタリと倒れたのは、そう考えた直後のことだった。
世界に先駆けて火縄銃の集中運用が為されたという点で、小茂田浜の戦いとそれに続く対馬沖海戦は軍事史上特筆に値するだろう」
和弓の長射程を利用し擬似的に弾幕を張ることで強襲上陸の瞬発力を奪い、土塁ぎりぎりまで引き付けての銃による火力の集中投射というこの戦法は、島嶼防衛戦争の性格を有するこの戦いによく合致したものだと評価できる。そしてそれだけの軍需物資の消耗を許容出来るということが、戦略目標達成に必要不可欠な要因であることは否定出来ないな」
そしてここで元・後高麗連合軍を海上で拘束したことで、博多に集結させていた艦隊が出撃し、到着するまでの時間を稼ぐことが可能になる。それに対して元は、対馬ばかりに構っている暇は無い、と一部のみを残して主戦力は既に壱岐へと移動させていた結果、即時の壊滅こそ免れたが、それは帰納的には戦力の逐次投入であり、実質的には拮抗ないし優勢であった頭数ですらその力を発揮するに至らず、各戦端にて苦戦を強いられた原因となった」
勿論銃という新兵器の出現による技術的奇襲と情報共有の遅れ、元側の渡洋海軍としての行動の不慣れに日本海という海上交通有数の難所、と条件が重なっていたこともあるが、最も要因として大きいのは半世紀かけて防衛力、防衛拠点、防衛方策を定めることが出来、かつそれが効果的に実戦で発揮されたという点だろうな。システムとしての軍令・軍政は近現代のそれと似通っており、特に近衛軍艦隊が時頼指揮下で行った作戦行動は、文献を見直すと、島嶼部近海における小型艦艇の集中運用や統率の取れた大規模艦隊による分離・各個撃破が明確な意志を持って行われていたことが見て取れる」
「航海における運要素が多分にあったことを除けば、彼がやりたかったこととやれたことは全て、シーパワーの適切な使役による制海権の確保と、輸送路の寸断による大陸国家の渡洋攻撃の断念という二点に通じる。海軍軍人として見た際の彼は、生まれる時代を間違えたと言えるほど非凡であったことは間違いない。」
-文永11年(1274年)10月5日夕刻 佐須浦(現小茂田浜)-
『ひゃはは!』
歯を剥いて、童子のように助国は小躍りした。息子である盛明は馬上なのに器用なもんだな、と
もっとも、それだけの戦果を挙げたことに疑いはなかった。上陸直後、きちんと狙えるまで引き付けられた元軍の兵士はいとも容易く物言わぬ骸へと変えられたのだ。ある者は胸を撃ち抜かれ、またある者は顔面に赤黒い華を咲かせた。足を穿たれた者は砂浜に顔から突っ込み、内腿からどくどくと鮮血を流しながら痙攣している。一斉射で半分ほどか、初めてにしては悪くない、と彼は満足する。
『撃ち終えた者はすぐ場を退け! 弾込めを終えた者と代われ! 普段通りにやれば手柄はその方らのものぞ!』
第二射。多少倒れた割合は減ったように感じるが、その分恐慌状態に陥ったのが見て取れる。この時代において、最も濃密で高い火力を発揮している防塁は、現代の距離にして100mにも満たない浜を万里よりも遠いものとしていた。
『ふむん、弾が飛んどるのに気がついたか』
父の言葉に盛明が再び目をやるとなるほど、這うようにして前へと進んでいる者が何人かいる。聡い連中だと彼は心の中で賞賛した。
『が、こういう時のための
鬨の声が上がる。鉄甲車が少し引っ込んだかと思うと、土塁の切れ目からわっと
『楽しいのぉ、楽しいのぉ! これでこそ
血に酔った者共が開いた
-文永11年(1274年) 10月5日同刻 博多沖-
まもなく日が暮れる、実戦として夜間の航海を行うのはこれが二度目か。練度は悪くない、安定して動けるのは強みだな。
狼煙を確認したのが午前中、そこから大急ぎで準備が出来た船から出港させて今に至る。博多はもはや軍港として一大拠点と化していた上、度重なる演習で極めて良好な即応性を得ていたからこそ成せた荒業だろう。
“史実”通りの派兵規模で、“史実”通りの上陸規模であれば、今の対馬には防衛に専念すれば十分打払えるだけの戦力が揃っている。三段撃ちも入れ知恵したし、襲撃タイミングから見ても夜までは戦線を後退させることなく持つだろう。そこまでいけば敵艦隊の撃滅すら目に見えてくる、まぁきちんと索敵に成功すればという但し書きがつくが...
宗氏はこの世界でも対馬の有力者だ。と言っても阿比留氏の掃討によるものではなく、単に近衛軍の統率者として出向しているというものであるが。宗氏現当主である宗助国が名乗る対馬頭はあくまで実戦部隊である近衛軍の対馬国トップという肩書きであって、為政者という訳では無い。土着して時代が下ればそれも分からないけれどね。
しかしあの爺様は本当に元気だよな、今頃大はしゃぎで戦ってるんじゃないだろうか。“史実”でよく言われていた
いよいよ日が沈み、星々が姿を現す。天候は悪くない、夜襲には明るすぎる気がしないでもないが、まぁなんとかなるだろう。我々
-文永11年(1274年) 10月5日深夜 佐須浦(現小茂田浜)沖-
三没合は貧乏くじを引いたと感じていた。
軽い気持ちで請け負った島への侵攻に、想像以上に手こずっていたのである。隷下のある指揮官は顔面蒼白のまま一時撤退を進言したほどだった。そこまで青くなる理由が分からず、一度最前線まで様子を伺いに行ったが、とても不味い以外に結論は出しようがなかった。
『聞いておらんぞ、連中があれほどまで強いとは!』
上陸が近づくと矢が天を埋め尽くすかのように降り注ぎ、それを抜けても今度は少し歩いただけで地に倒れ伏すのだ。パン、とかパシュ、というような音が鳴るのと共に。自軍の使う脅し用の兵器、
そのような奥の手が使われたという情報がもたらされたのが、数攻めでどうにかなるだろうと軍議で判断されて船団の一部のみをこの島の攻略に残し、残りの大半を別の島へと移動させた後であったのも不味さに拍車をかけていた。増援は皆無。ここで侵攻を打ち切り、西へと進んだとしても面目は立つまい...
闇に包まれた水面に、複数の灯りが踊り始める。
-文永11年(1274年) 10月5日同刻 同地点-
『おお、あれだな間違いない』
助国が次男、右馬次郎は舟の上でほくそ笑んだ。浅茅湾に繋がる対馬中部はリアス式海岸が連なり、小型船舶は姿を隠しやすい。そこでこの場に隠匿して保存されていたそれらを複数隻、密かに出撃させて近距離射撃及び接舷切込みを企図したのである。
『
乗り組んだ戦闘員のうち、5名が腰につけた木箱から
『程なく頃合いぞ...構え...』
揺れる小舟の上で最も近い
『
光が咲き乱れる。突然の襲撃に
『次発用意!』
鍛え抜かれた射手は迅速に次弾を装填する。僅か1分にも満たない間に射撃用意が整った。
『
現状を確認しようと甲板に飛び出した何人かが銃弾に貫かれ、もんどりを打って転び海へと落ちる。悲鳴と怒号が飛び交い、混沌に突き落とされた敵船目掛けて、右馬次郎の乗る船は加速する。
『船ぶつけるぞ、揺れに備えろ!』
衝突。ジャンクや高麗船は体当たり戦術を想定して作られておらず、船腹に痛々しい破孔が出現した。物資や人は流出し、代わりに海水が流れ込む。いくら船の大きさに差があるとはいえ、ひとたまりもないダメージを受けた元軍の船はみるみるうちに喫水が下がっていった。
『次は...あそこの船を狙うぞ! 漕ぎ手用意!』
バラバラになりながら沈没していくジャンクを尻目に、巻き込まれないよう一度後退してから別の獲物を狩りに動く。
『刀剣隊、用意せい! 逃がすなよ、
逃げ出そうとした高麗船に目をつけた右馬次郎は、距離と位置の関係から衝突戦法は難しいと判断し、切込みを仕掛けることを決意する。軽快な小回りで横へとつけると、たちまち縄梯子で両船を固定し、するすると伝って侵入を開始した。
「M*\QqB).%O!」
高麗語か、はたまた漢語か。あるいはモンゴル語で何かをがなり立てる兵の脳天に向かって剣を振り下ろして昏倒させ、右馬次郎はその笑みをますます深める。
『さぁ者共、心ゆくまで
その言葉に、付き従う者全てが歓喜した。
『こやつ、ええもん持っとるのお!』
『異国の物は高値で売れるはずよ、根こそぎ頂いておこうぞ』
『
『あ、
暴虐は嵐のように船団を襲う。その様はまるで、大型草食恐竜の群れが小型の獣脚類に蹂躙されるかのようであった。
-文永11年(1274年) 10月5日夜明け前 同地点-
おー、やってるやってる。対馬東端で現地の情報を仕入れてから来たために予定より到達が遅れてしまった。その間に、少数のはずの彼らは八面六臂の大活躍をしたらしい。松明のように炎上している船が複数あるせいで、一帯は黄金色に染まっていた。
〔敵被害状況は情報不足により解析不可。ただし死傷者多数、損害多数であることから壊滅と判断しても問題ないでしょう〕
まぁ、見りゃそれは察せられるよな。どれだけ沈めたんだあいつら...それでも“オモイカネ”曰くまだ2桁は敵の船が浮いているらしいから元々の数がシャレにならないほど多かったということなんだろうけど。おい、あいつら船出してるの100人どころか50人とかその辺だったはずなんだが...?
〔私の立てた作戦のお陰ですね〕
ドヤりおって...と言いたいところだが、実際その通りではあるので文句は言いにくい。今戦争のほぼ全ての戦術は“オモイカネ”頼りであったことは間違いないのだから。
元軍の数的有利をひっくり返すことはどう頑張っても不可能だった。敵の襲撃を把握してから動員する時間も、人数も相手より圧倒的に足りないのだ。そもそも対馬にはそんな大量の軍勢を配置する余裕が無いというのもあった。だから火力の優位と上陸における一時的な敵戦力の減少を最大限活用した水際作戦を前提とし、十分以上な弾薬と食料の備蓄を行うことは決めていたのだが...そこからさらに勝率を上げるために“オモイカネ”が提案した戦術は、確かに頷けるものではあった。
〔体当たり戦法が可能な強度の少人数船舶をいくつか建造し、浅茅湾岸に隠蔽。有事には、島の陰に沿うように秘密裏に、鉄砲隊を搭乗させたそれを夜間出撃させ、接舷切込み・射撃・
理論が早すぎるということを除けば。ねぇ、それってティレニア海やらアドリア海やらでイタリアが、ソロモン海域やらニューギニア周辺やらでアメリカが企図したり実行したりした魚雷艇運用と同じモノ...
単なる戦術と言い切ってしまうにはあまりにも高度で、明らかに近代海軍のドクトリンに基づく運用方法であった。
とはいえ、それが効果的であることは否定出来ず、発想の...コペルニクス的とまでは言わないが相当な...転回と言えなくもないものではあるので、そういうものだと誤魔化す方向性でいくことにした。夜襲自体は普通にあるから、と自分を無理矢理納得させたのである。
発想で運用における問題を克服してしまったものは他にもあった。海上における銃の運用システムの構築がそれだ。金属薬莢なんてものはまだ作れないから、装填に時間がかかって仕方がない。これを早合の開発という形で解決。つまるところ火薬と銃弾をそこそこ強度のある紙で包んで形状を整えてやれば出来るものではあるので、これならまだ手に負えるだろうと判断しての採用だった。科学研究所の連中も、示唆した途端「その発想はなかった」とばかりにあれこれ試してその年の内には試作品を整えてきたのである。これにより弾薬という形で従来よりスペースを抑えて大量備蓄が可能になったのは、戦略上極めて重要なことだった。
そうやって作ったはいいものの、いざ運用してみると陸はともかく、近衛軍艦隊ではある事情に悩まされることとなった。火薬が、濡れなくとも湿気で使い物にならなくなることが多いのだ。木箱に入れておいても気がつくとダメになっているんだよな...箱そのものを漆塗りにしたり金属製にしたりというのはアホみたいに金がかかるから、火車のような大掛かりな主装備でもない限り難しい。そのため、動作を安定させられる低コストの代案は何かないかと“オモイカネ”に無茶振りをしてみた。そうしたら〔乾燥剤を作ればいいのでは?〕なんて言い出したんだ。
なんのこっちゃ? と思ったが、それは私の知識が抜け落ちていただけであった。石灰...正確には、
記憶を思い返しながら、甲板上で指揮を執る。まもなく火車は射程距離だ。長年の改良で射程、威力共々向上が見られる。この戦争が終われば軍事費は圧縮せざるを得ないから振れ幅はあるだろうが、もう半世紀もすれば射石砲の開発が可能になるかもしれない。もっともアレの用途は城壁破壊、つまり攻城兵器としての役割が強いから、現状のドクトリンの元ではあまり使い道が見当たらなさそうなのだけれども。
〔まもなく所定位置です〕
よし。すううっ、と息を吸った刹那、緊張が張り詰めるのがびりびりと伝わってきた。
『貝吹けー!』
法螺貝の音が響き渡る。それは各船で共鳴し、戦場へ新手が至りつつあることを告げた。
〔友軍は速やかに離脱しつつあります〕
同士討ちの可能性を避けるため、散々に暴れたであろう彼らには、法螺貝の音を合図に撤退してもらう取り決めとなっていた。宗氏の倅らは十分満足したことだろう。
準備が出来た頃を見計らい、隣にいる副将、
〔了解しました〕
しばし間を置いて、すううっ、と息を吸う。
『......〔
命令と共に鏑矢が飛ぶ。直後、数多もの流星が曙の空を翔けた。
〔初撃の効果を観測します...先程の攻撃による撃沈は1隻、大破判定は2隻、中破以上の残存艦艇数は31隻です〕
え、初っ端から撃沈したの!?
〔元々自力航行不可能なほど損傷していた上に船底を貫通した模様です。当たらなくても沈没は時間の問題だったでしょう〕
ああ、それなら理解出来る...しかし、やはり引っかかるのは敵の残存艦艇数の少なさだ。“史実”では大小合わせて最大900とも言われていたのだから、最低でもそれと同じくらいは来ているはずだ。とすると...戦力を分離して本隊はどっかへ行ってしまっている気がする。“史実”と変わっている可能性が高い。
〔索敵装備はおろか、船舶や航海術ですらままならないこの時代にそんな所まで求めるのは野暮ですよ〕
それはそうなんだけどね...身の振り方もあるし、下手に技術を加速させ過ぎるのも不味い。無茶なことをして人的被害を出したくないのもあるが、反動がどのような形で現れるのかがまるで予測出来ないのも大きい。基本はそうトントン拍子で技術革新なぞ起きないということを踏まえても、今はシステムの構築が急務だろう。概念理解のための基礎研究のための予算確保のための政治力確保のための...と全ては繋がっているのだ。サイクルそのものが加速出来るようになるまでには、まだまだ何もかもが足りない。火縄銃の開発以来、それをより強く痛感するようになった。
...まぁ、今は悩んでいても仕方がない。気持ちを切り替え、目の前の状況に臨む。第二射、第三射と撃ち込まれていく元の艦隊は、文字通りの壊滅となりつつあった。これ、切り込みに行くと急激な重量増加に敵船が耐えられなくて底が抜けるなんて可能性もありそうだな...あ、小舟が1艘出てきた。乗ってる人間が非武装であることをアピールしている、一度射撃を停止させよう。いささか消化不良気味ではあるものの、この海戦は完全勝利と言っていいだろう。数は少々少ないが、筑紫の海に沈めたり...だ。
近衛軍艦隊本隊の攻撃がとどめとなり、対馬攻略を委任されていた三没合率いる元・後高麗連合軍分艦隊は降伏した。残存艦艇と捕虜を博多へと送るために時頼は艦隊を分割し、随伴として一部帰投させることとする」
またこの際の尋問から元・後高麗軍が艦隊を分離していたことを知った彼らはその行先を証言と海域特徴から壱岐諸島方面と割り出し、後続の補給船から補給を受けた後に再度出撃した。これが対馬沖海戦の一部始終だ」
その頃当の元・後高麗軍は壱岐に上陸を開始してから半日以上が経過しており、防衛を担当していた平景隆率いる手勢は苦戦を強いられることとなっていた」
壱岐では艦隊を割るようなことをしなかったのが最たる理由だな。対馬攻略の雲行きが怪しくなっていたことは、三没合が連絡船を派遣していたことから彼らも知るところとなっていたんだ」
そもそもなぜ対馬ではそのような行動に出たかって? はっはー、そりゃあいい質問だ。資料の記述が極めて簡潔であるために日本側、高麗側の資料と突き合わせての状況判断になるんだが、おそらくは、政治的状況から『高麗朝廷を擁する日本への懲罰』という形で海路の確保のためにある程度の島々を占領した後、速やかな日本本土への侵攻が望まれていたのだろう。ところが分割した戦力では想像よりも手こずる可能性が高いと分かったことで、壱岐への侵攻に際しては警戒を強めたというのが最も有力視される説だな。図らずも、政治的判断が戦略上のミスとして彼らの優位性を損なっていたわけだ」
なにせ海の向こうの民族な上に、これもまた政治的判断から公的な接触が一度で打ち切られてしまったことから脅威度の見積もりが十分でなかったと言えるだろう。銃というゲームチェンジャーの一つが、既に他の国と比べて群を抜いた質と量を併せ持って配備されていたことが見抜けなかったのは致命的と言えた」
壱岐島の戦いとその海岸付近で勃発した海戦は、制海権の確保に失敗したランドパワー国家が行う上陸作戦のリスクと、島嶼防衛戦闘におけるシーパワー国家の戦略・戦術の取り方を対馬の戦い以上に如実に示している。この戦いから得られる戦略情報は現代にも通じるようなものなんだな」
「確か第二次世界大戦勃発の10年ほど前から、海軍主流派がその辺りの古典文献をも参考にしつつ、敵橋頭堡確保を阻止し戦略目標を挫く作戦計画を検討していたように記憶しているのだけれど...?」
「サキ君、その通りだ。もちろん技術の進歩による戦争の複雑化があるから、直接的な戦訓が得られる訳では無いが、
「ああ、そうでしたね...同時期の特別航空演習も彼の肝いり、なんというか調べれば調べるほど次世代の戦略・戦術をピンポイントで当てに行っている御仁ね...」
「そうなるな、海軍畑であるにも関わらず陸空の戦術、技術にまで知ってか知らずか大きな影響を及ぼし...と、話が滅茶苦茶脱線したな。清岡君達が付いてこれていない」
「近現代軍事史は専門外なので...まだ勉強が足りませんね」
「すまんな、それでは話を文永の役、元・後高麗連合軍の対馬攻略失敗以後の話に戻そう」
元・後高麗連合軍が侵攻を開始してから数時間後には戦線が崩壊し始めていたと記録に残っている。いくら海岸線を塁で囲んだとはいえ限度はあるし、矢や銃弾にも限りがある。リアス式海岸の入り組んだ地形は複雑で、この時代において兵力差に任せた上陸を敢行された場合に、迅速な対応が出来ないことから敵側有利な地形として発揮されていたのも一因だ」
端的に言ってしまえば、対馬の戦いにおける有利な点と不利な点が、いくつかの条件が重なった結果、そっくりそのままひっくり返ってしまったんだな。壱岐島防衛を担う武将達は住民の避難も考え始める必要があり、対応能力が飽和していた」
そのため海岸の防衛線を放棄し、撤退しながらもゲリラ的な戦闘に終始して乗り切ろうと画策する。敵戦力を引き伸ばし、戦略的縦深を確保することでせめて近衛軍艦隊到着までの時間を作ろうとしたわけだ」
壮絶な撤退戦であったことからその死者は文永の役で最大のものとなり、文字通りの壊滅にまで陥ったものの、粘った甲斐はあった。駆けつけた近衛軍艦隊が元・後高麗連合艦隊の索敵に成功したことで、大規模な夜戦が始まったんだ。これにより上陸済みであった元・後高麗軍兵士を寸断し、日の出後の残敵掃討の労力を軽減することが出来た」
「文永の役、その中で最大規模の海戦は終始練度と装備に勝る近衛軍が主導権を握ってのものであった。ここで元・後高麗連合軍がその戦力を浪費したことは、博多強襲の挫折と最終的な撤退の主原因と言えるだろう。」
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