第3話
笑い声という余韻を頭の中に残して消えたその声に顔をしかめる。一番気になるのは最後の言葉。様々なトーンの声によって発されたその言葉は、耳から入って頭の中央に引っかかり、そのまま取れない。そもそも頭を使うことが苦手な私は、先輩に答えを求めようとするが、なぜかそれはやめたほうが良いような気がして踏みとどまる。乙女の勘とか言うやつだろうか。自分で思っておきながら、それはないわ、と鼻で笑う。目当てのものは見つかった。少々冒険家気分を味わいながら目を開くと、いつからこっちを見ていたのか先輩と目が合う。いつの間にかイライラが溜まったようで、眉を吊り上げた先輩は一つ、舌打ちをする。
「ゲームのこと、"聞いた"か?」
「はい、シャドウ先輩も"見た"んですね。鬼ごっこって、二人じゃできないですよね。面白くないし……」
「すぐ終わるし」とあとに続くはずの言葉は聞こえてきた不気味な音によって遮られる。
この音が聞こえてくるのは教室の隅にある薄型テレビ。頭に浮かんできた恐ろしい映像に、思わず悲鳴をあげる。
「シャ、シャドウ先輩。来ますよ、きっと来ますよ!」
この有名なフレーズで察することができたらしい。テレビの方を見て「嘘だろ」と後ずさる先輩の顔は真っ青だ。私の目線の先、音の源であるテレビから遠慮なく出てきたのは、青白く細い右腕、続いて左腕。長い髪の毛を生やした頭。その名も貞子!
「ぎゃあああああっ!」
すばやく立ち上がって近くの出入り口から廊下へ出て、これでもかってほど全力で逃げる。恐る恐る振り返ると、テレビから抜け出した貞子がなぜか四足歩行でシャカシャカと追いかけてくる。その右肩には金棒を持った鬼のマーク。
「先輩、あれ見て下さい!あれって鬼の目印か何かですかね。分かりやすい!」
「知るか!今はそれどころじゃねぇだろ!」
すでに息切れを起こして今にも倒れそうな運動オンチ先輩はどんどんスピードが落ちて自ら貞子に近づいていく。先輩の手をなんとか掴んですぐそばにあった教室に投げ入れる。私もすぐに入って鍵を締めると、入れない貞子はガリガリと猫のようにドアを引っかく。これでひとまず安心だ。肺に溜まっていた息を吐き出し、教室を見渡す。さっきまでいた教室とさほど変わらない。ここまで走ってきてわかったが、ここは私達が通っている学校と造りが一緒だ。この教室は特別教室みたいだから、さっきまでいたのは二年の教室か。あと分かっているのは、外で爪とぎしている貞子は鬼ごっこの鬼で、私達二人は逃げる役。もしかしたら、鬼は他にもまだいるかもしれない。一人で推測を進めながら頷いていると、頭に衝撃がくる。じんじんと痛む頭を抑えて上を見上げ、そこにいる人物を睨む。そこにはげんこつを作った先輩がいて、吊り上がった眉がイライラ度がマックスだと物語っている。……何か怒られるようなことしただろうか。疑問符を浮かべる私に拳を震わせながら、先輩は長々と怒っている理由を、静かに黒い笑みを浮かべて語る。要約すると、教室に投げ込んだことを怒っているとのことらしい。私って逆に命の恩人ではないか?
「自業自得じゃないですか、クソゲーマー運動オンチ先輩」
口が悪い?気のせいだ。案の定、先輩は怒りで額に青筋を浮かべ、壁をダンッと殴り、怒りをあらわにした。
「お前、喧嘩売ってんのか?」
低く、冷たいその声に、謝りたくなるのを必死に堪えて、引きつる口元を無理やり上げる。この状況にイライラしているのは先輩だけではない。突然変な世界に連れてこられて、変なゲームまでさせられて、イライラするなという方が無理だ。
「この喧嘩、今なら三割引ですよ」
「そりゃ、お得だな。買ってやるよ」
鬼の形相でにらみ合う二人の間にバチバチと火花が散る。冷たい空気が流れる中、「ガチャ」と嫌な音が耳に入ってくる。表情は崩れ、背中に冷や汗がゆっくりと流れる。恐る恐る向けた視線の先、そこにあるのはわずかに開いたドアの隙間から這い出てくる血色の悪い腕……。
「な、んで……。ここ、内鍵のはずだろ!」
さっきまでの鬼ヅラは何処へやら。腰を抜かした先輩が、近くにある机に隠れて震える腕を抱え込む。いつもならその姿に腹を抱え、大口開けて笑うだろうが、自分も同じ状況なので笑うに笑えない。そんな私の身体を動かしたのは、皮肉にもあいつの言葉だった。
『言っただろう、ここはなんでも私の思い通りになる世界だと。せいぜい醜く逃げ回り給え、私のおもちゃ共』
ブチッと何かが切れる音がした。身を隠していた机を昭和の家族劇のようにひっくり返し、ダンッと足を鳴らして立ち上がる。立ち上がるついでに、と私に無理やり立たされた先輩は、ポカンと口を開けて動かないが、そんなの知ったこっちゃない。人命第一だ。もう一つの出入り口へ走り出したその時、足に何かが引っかかる。目に映るものが出入り口から天井へと変わる。天井の次に目に映り込んできたのは、貞子の長い髪の毛の間から覗く、真っ赤な目だった。恐怖に歪む私の顔が映った真っ赤な目が三日月のように細く細められる。
『第一ゲーム、バットエンド』
あいつの声が聞こえたのを最後に、私の意識はブツリと途切れた。
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