第2話

最初に感じたのは音、だった。心臓の音、血液の流れる音、服のこすれる音。それらの音が耳に入ってきてはガヤガヤと騒ぐ。それがあまりにもうるさくて耳を塞ごうとするが、そこに違和感を感じてハッと目を覚ます。白い光が薄れて一番最初に目に入ってきたのは何の変哲もない教室の天井だった。チカチカとついては消えてを繰り返す電気に照らされながら私は机に囲まれて倒れている。耳に触れてみると違和感の正体はヘッドフォンらしく胸をなでおろす。なぜこんなところに倒れているのだろうか。確か、部室に先輩と二人で入ったらそこには闇の落とし穴があって、そこに落ちたが今は教室に一人で倒れている。どういうメカニズムだろうか。しばらく考えても答えを導き出せない自分にため息をついて起き上がる。自然と視界に入ってきた光景に目を疑った。服装が制服が制服から青を象徴するものに変わっている。青いパーカーに青いスニーカー。そこまでは「なんで」で済むだろう。しかし、驚くべきところはそこではない。なんと、ヘッドフォンから伸びているコードが途中から消えているのだ。いや、正確に言えば透けている。どこに繋がっているのか分からない恐怖に震える手でヘッドフォンを外そうとするが外れない。元から体の一部であるかのように平然とそこに付いている。今起こっている現象に対する恐怖と耳に流れ込んでくる騒がしい音が重なって吐き気が込み上げてくる。目の前が涙でにじむ。動かない足を抱えて膝に顔を埋める。普通なら聞こえないであろう小さな音をヘッドフォンはあざ笑うかのように流してくる。ガヤガヤガヤガヤ。ふと新しい希望の音が聞こえた気がして顔を上げる。私のではない、もう一つの心臓の音、近づいてくる足音。

 「シャドウ、先輩?」

重たい足を無理やり立たせてドアに近づく。近い、安心する心臓の音。少し口元が緩むのを感じながらドアを開けると、格好は違うものの目の前には思ったとおり先輩がいて、思わずへたり込みそうになるがはたと気づく。先輩の目の焦点が合っていない。ここまでは壁をつたってきたらしく、支えがなくなって倒れそうになる先輩を慌てて支える。どうやら気を失っているようで、呼吸の音が聞こえて安心した私は今度こそへたり込んだ。先輩の頭を膝に乗せて、改めて先輩の格好を眺める。私とは正反対の真っ赤なパーカーにスニーカー。顔には見慣れない赤渕メガネ。もしかして、と眼鏡を引っ張って見るが、先輩が痛そうに顔をしかめるだけで取れない。なるほど、私がヘッドフォンによって聴力が発達する能力を得たのならば、さしずめ先輩の能力は視力発達だろうか。そう推測すれば先輩の目の焦点が合っていなかったことも説明がつく。多分いろんなものが見えすぎたのだ。普段使わない頭を使いすぎて、すでに爆発寸前だが、それよりも前にここから出る方法を探さなければならない。おそらく、いや絶対、ここは私達がいた世界とは違う。二次元の世界ならばいつでも大歓迎だが、そう都合良くはいってくれない。……シリアスムードをぶち壊して申し訳ないが、ここまで考えて気づいたことが一つ。私、ものすごく頭良くなってない?今まで劣等感しか抱いたことのない私は、場違いな優越感を感じながら思考を再開する。ここには私達の他にも誰かいるのだろうか。目を閉じて耳を澄ます。やっと騒がしさに慣れた耳は一つ一つの音を丁寧に拾っていく。心臓の音、呼吸の音、風の音ーー機械音……!いくつかのボタンを押す音とマイクの電源が入る音。ここには私達の他にも誰かいる!しかし、舞い上がったのもつかの間。「キーン」という嫌な音に思わず先輩を落としてしまう。その衝撃で起きた先輩は何事かと辺りを見渡して、私を見つけるとほっと息を吐いた。だが、すぐに表情を変え、今の状況を聞いてくる。音がやんで落ち着きを取り戻した私はヘッドフォンにそえていた手を外して自分の推測をないに等しい語彙力で説明するそれを聞いた先輩は少し間を開けて分かった、と頷いた。やけに落ち着いている先輩に疑問を抱いたが、頼りになることには変わりないので触れなかった。

 「今は何か聞こえるか?」

珍しく真剣な目に見慣れない赤渕メガネが合わさってドキリと心臓が波打つ。あ、もちろん今から甘酸っぱい青春物語が始まるわけではない。別人に見えて冷や汗もののドキリだ。とりあえず、早く"聴か"ないと先輩のイライラ度が上がって私の命が危うくなってしまう。気を取り直して静かに目を閉じる。訪れる闇と押し寄せてくる音の数々。まだ"聴く"ことに完全に慣れたわけでは無いため、押し寄せてくる音に正面から衝突してしまうが、目当ての音を見つけるためになんとか耐える。しばらくして聞こえてきたのは慣れ親しんだあの音。カッカッとどこかほっとする音にそっと目を開く。一気に飛び込んでくる光を目をこすることで払い除け、それがあるであろう場所を見る。しかし、そこには文字どころかチョークを持つ人影すらなく、黒板があるだけだった。だけど音は止まず鳴り続けている。首を傾げて先輩を見ると先輩はめんどくさそうに黒板を見ていた。先輩には何か"見えている"ようだ。なら、ここは先輩に任せよう。再び目を閉じてさっきよりももっと深く闇に潜り込む。聞こえる音は多数。段々と"聴く"事に慣れてきた私はぎこちないながらも目当てではない音を避けていく。ゲームで身につけた感覚は伊達じゃない。これはいらない、これも今は必要ない、とゴミの分別のように音を避け続けるとようやく目当ての音が近づいてきた。砂嵐混じりのその音は明らかに自然には作り出せない、人工的な物。手を伸ばしてその音を自分の方へと引き寄せて抱きしめる。聞こえてくるのは私達以外の人の声。不思議と子どものものとも大人のものとも取れるその声は、『マイクテスト、マイクテスト』と繰り返している。何回か繰り返したあと、私が"聴いている"のが分かったかのようなタイミングで、その声は私に問う。

 『あー、テステス、聞こえてますか?聞こえてますね。うん、聞こえてる聞こえてる』

一人で結論づけたその声は、一つ咳払いをして話を続ける。次に聞こえてきた声はさっきより低く、大人びていた。

 『ここが君たちの世界とは違うことはもう分かっているね?ここは私の作った世界。なんでも私の思い通りになる世界。君たちは私が招いた招待客。それでは早速、君たちの得意なゲームをしようか。ゲーム内容は鬼ごっこ。簡単だろう?せいぜい捕まらないように頑張り給え。あぁ、そうだ……』

 『ーーには気をつけて』

こらえきれていない笑い声が頭に響いた。

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