桐壺 その8


原文

 御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行き交ふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こし召す御心まどひ、何ごとも思し召しわかれず、籠もりおはします。

 御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人びとの泣きまどひ、主上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。


対訳

 帝は胸がいっぱいになって少しも眠ることなく、夜を明かすのに不自由されておられます。桐壺更衣の按察使大納言家へのお見舞いの使者が戻って来る前からひたすら気がかりなお心をひっきりなしにおっしゃっておられましたが。ご使者は、大納言家の人々が「夜半少し過ぎた頃に、亡くなられました」と泣き騒いでいたので、とても落胆して帰って来ました。ご報告をお聞きになる帝のお心は激しく動揺し、何事もお考えになれず、引きこもってしまわれました。

 光源氏のことは、それでもとてもご覧になっていたい帝ですが、母の喪中に宮中へいらっしゃるのは例がないことなので、光源氏は退出されることになりました。何事があったのかもお分かりにならず、お仕えする人達が泣き騒ぎ、帝も涙を絶えず流していらっしゃるのを、変だなと思いになっておられます。普通の場合でも、こうした死別が悲しくないことなどないものなのに、まだ死を理解できていない光源氏の姿は一層悲しく何とも言いようがありません。


訳者注

 『御使の行き交ふほどもなきに』は、「勅使の往復する時間もないのに」。何のための使者かが省略されていますが、桐壺更衣の屋敷へ出したお見舞いの使者がまだ戻って来ないのに、ですね。

 『かかるほどにさぶらひたまふ』は、直訳では「このような時にいらっしゃる」で、どのような時にどこへ滞在するのかが書かれていません。適切に補いました。

 余談ですが、史実では醍醐天皇の時代に法改正があって、こうしたケースで幼児が喪に服す必要はなくなります。そのため、この『桐壺』帖はそれ以前の時代を舞台にしていることとなります。桐壺帝が醍醐天皇をモデルにしているのではないかと言われる理由の一つです。

 そしてここで、主語が帝から光源氏に変わります。そのため、『ましてあはれに』思われる対象は光源氏ということになります。

 この場面の光源氏は、母親の死を理解できない普通の三歳児です。従って、少なくともここまでの段階では、光源氏をあまり天才視する解釈は適切ではないのです。

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