桐壺 その6
原文
限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末思し召されず、よろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。
対訳
限度があるので、帝もそれほどにはお引き留めにもなれず、お見送りさえままならない心もとなさは、言葉にも出来ないほどです。とても匂い立つように美しい人が、ひどく顔がやつれて、大変しみじみと胸に思うことがありながらも、言葉に出して申し上げることもできずに、息をしているのかいないのかもわからないほど消えそうに呼吸が弱っているのを御覧になると、帝は後先のこともお考えにはならずに多くのことを泣きながらお約束なさいますが、桐壺更衣は答えることもできません。視線などもとてもだるそうで、普段以上に弱々しくて、意識も混濁した状態で臥せっていたので、どうすれば良いのかとお悩みになられます。桐壺更衣に輦車の使用を許可する命令を発行なさいますが、また病室へお入りになって、どうしても退出をお許しになることができません。
訳者注
『限りあれば』の訳し方は、「(引き留めるにも)限度があるので」「(桐壺更衣の寿命に)限りがあるので」「(宮中で死者が出ないよう病人を退出させる)規定があるので」など諸説あります。いずれにせよ、桐壺更衣が死ぬ前に退出させなければならず余裕がないということに変わりはありません。
『消え入りつつものしたまふ』は、何が『消え入り』そうになっているのかについて、呼吸とする説と意識とする説があります。意識については次に『我かの気色』として触れているので、呼吸の方でしょう。
『我かの気色』の『我か』は、「我か人か」の略です。よって、「自分か他人かもわからない様子」。それほど意識が混濁しているという表現です。
そんな桐壺更衣の容態に、どうすれば良いのかと悩んだ桐壺帝は、退出のために車……『輦車』……を使う許可を出します。
『輦車』は数人で引いて動かす車で、帝の許しを得た皇太子・親王・内親王・大臣・女御などが使用できます。更衣の身で許されるというのは本当にルール無視です。法の下の平等も何もありません。人にルールを守らせる側が自分は好き勝手に破ったら、誰がそんなルールに従うでしょうか?
しかし、そこまで無茶苦茶しても、やはりいざとなると別れることができません。
妻が死にそうで錯乱しているのですが、普段からそんなだから変わらないのが桐壺帝クオリティ。
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