桐壺 その5
原文
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
対訳
その年の夏、桐壺更衣が少し体調を崩して、自宅療養を希望したのを、桐壺帝は全くお許しになられません。ここ数年来、病気がちなのが普通になっていたので、慣れてしまって、「もうしばらく様子を見よ」とばかり仰っているうちに、日に日に重くなって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、桐壺更衣の母が涙ながらに帝へお願いして、退出させます。このような時にも、あってはならない失態をしてはならないと配慮して、光源氏は宮中に残して、人目につかないようにして退出します。
訳者注
『御息所』は、本来は帝の休息所という意味ですが、転じてお后を言います。そこから徐々に対象が限定されて「皇子または皇女を産んだ更衣」を指すようになったり、「皇太子妃」(源氏物語で言えば六条御息所がこれです)といった意味が派生したりしました。この場合は、まさしく「皇子または皇女を産んだ更衣」である桐壺更衣のことです。
『まかでなむとしたまふ』は「退出しようとなさる」。宮中を離れて自宅療養しようとしたわけですが、彼女の病気を平常運転と思っている帝は許しません。それ絶対に愛じゃないだろ常識的に考えて。重態になってからやっと、桐壺更衣の母の願いによって退出を認めます。
しかし、このような時にも、光源氏を帝にする野心を優先するのが按察使大納言家。『あるまじき恥』を恐れて光源氏を宮中に残しました。
この場合の『あるまじき恥』とは、死の穢れのこと。当時、死の穢れ……細菌やウイルスを知らない当時の人は、病気が伝染することを穢れに触れたためだと考えたのです……は非常に忌避されるもので、長年忠実に仕えた使用人が病気で死にかけたらその辺に捨てるなど当たり前。ましてや宮中で死ぬなどとんでもないこと。病気ではないですが出血を伴う生理でさえ穢れとして宿下りする……そのため、排卵日に妊活できないので、妻がたくさんいる割に子供が少ない……時代です。だから、瀕死の重態である桐壺更衣は宮中から退出させる一方で、光源氏を死に立ち会わせまいとして宮中に残したわけです。
いわゆる現代語訳には、嫌がらせとかで恥をかかされることとする本もありますが、考えられません。皇子である光源氏が巻き込まれるような嫌がらせができるわけはないからです。
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