出発
荷物の問題がひとまず解消したところで、ヨーラの手伝いをしようと居間に戻る。
未だにすり鉢と向き合っている彼女の周りに出来上がっているごみ屑を片付け、お茶を淹れてくる。気付いた彼女が作業を止めてカップを啜った。
すり鉢の中身は均等に潰されているようで、見ると新しい薬の山が端に置かれていた。もうやれることもなさそうだ。
「商人と話はつけてきたかい」
「はい。クルソさんと仲が良かったそうで、紹介していただきました」
「そうかい。じゃ、これを読みな」
突然卓の隅に置いてあったものを掴んでこちらに向けてくる。慌てて手を出すと、ぽんと上に置かれた。
モミジのような小さな手には少々余ってしまう、分厚い手帳のようなものをまじまじと見つめる。
中を開いて何頁か読んだ後、手を止めて彼女を見上げた。
「いつ書いたのですか?」
そこには、細かな走り書きで様々な薬の材料について書かれていた。
時には写生もあり、見た目や効能、どこに群生しており、どんな時期に採れるのかなど、癖字で読みにくいが隙間がないほど書かれている。
「昔の、師匠のやつさ。基本的なことしか載ってないし、ぼろっちいからね」
ふい、と背を向けられる。
「持っていきな」
暫く両手に収まっている手帳を開いたまま彼女の後頭部を凝視してしまった。
丁寧に閉じて頭を下げる。
「ありがとうございます。大切にします」
「さっさと暗記して捨てちまいな」
ぶっきらぼうに言われるが揶揄うと機嫌を損ねてしまうだろう。
所々、筆跡や筆圧の違う文字が隙間に書き足されているのは恐らくヨーラの手によるものだろう。そっと手帳を胸に抱え込んだ。
二日後。
荷造りを済ませたリムロウと村長の家の前で待ち合わせ、もう一人の同行者の紹介を受けていた。
「彼は僕の用心棒でね。隷属契約しているから安心していいよ」
「ギーガーさんですね。道中、よろしくお願いします」
ぺこりと挨拶する少女と、無愛想な強面を微塵も揺らさない大男。
険悪な空気が流れているかと錯覚しそうな場面だが、その間に立つ商人は朗らかに笑っている。
「彼がこう固まるときは、大抵困っているときだからねえ。あんまり子供らしくなくて戸惑ったかい? あはは、分かる分かる」
頭一つ分は身長差があるが、リムロウは笑いながら彼の位置の高い肩を叩いている。怒っている訳ではないらしい。
数日間リムロウと同じようにこの村に滞在していたようだが一度も会ったことがなかった。村人から聞いた話によると、騒がれたくないので空き家で寝るか外で体を動かすなどして過ごしていたらしい。
リムロウ曰くいつも気を遣っているそうなのだが、この村の人達がこれくらいの大男にビビるかと言われると……全くそんなことはないと思うのだが。
細かな切り傷を剥き出しの肌につけ、節ばった指の皮は分厚く、背負う槍も腰に掛けた短剣もよく使い込まれているようだった。
野暮ったそうな髪は後ろに引っ詰めており、露わになった目は細く、用心深く周囲を見渡しているように見える。
ちなみに今現在、その眼光は私の頭からつま先まで繰り返し往復していた。
「そろそろ挨拶したらどうだい」
「……よろしく頼む」
ぼそりと向けられる挨拶。どうも、人見知りの質らしかった。
それから、村の顔見知りと一人一人挨拶を交わした。顔見知りといっても、百人もいない規模の村で知らない者などいなかった。皆が最後の別れと会いにきてくれていた。
途中、リュナンに引き摺られるようにしてカイもやってきた。物凄く不機嫌そうだ。
「こいつさあ、昨日もこんな感じで。ごめんねオニキス」
「いいんですよ」
ちなみに、最初はちゃん付けで呼んでいたリュナンだが、カイを負かしてからは呼び捨てにされている。
ひとしきり別れを惜しんだあと、やっとカイが話しかけてきた。
口をへの字に曲げ、睨まれているけれども。
「ひとり勝ちしていきやがって。見てろよ、いつか、絶対追い越してやるからな」
「……ふふ」
そんな喧嘩腰に思わず顔を緩めてしまう。結局、ほとんど毎日カイとは試合をしていた。初日に比べると大分動きも洗練されてきたし、ただの喧嘩というより、大人同士でやるような本当の試合らしくなってきていた。男子の成長とはそれほど早いものだった。
それに、口調は悪いし態度も悪いけれど、負けたからといって僻むことはなかった。悔しそうにしても必ず挑んでくる。そんな成長著しい彼の相手をするのは清々しい思いがしていた。ここ最近で一番楽しかったかもしれない。
「馬鹿にしてんな」
「違います。嬉しくて。カイなら、一流の戦士になれますよ」
いつかクルソも追い越すに違いない。
それきり黙り込んでしまった彼をからかうように村の人たちが囲んだ。
さて、挨拶は済ませた。その間に荷物の準備も整ったようで、リムロウとギーガーは荷馬車の方に揃っていた。
最後に、ヨーラだが……彼女はここにはいない。師匠の手記を渡したことで別れの挨拶は済ませたつもりのようだ。今朝も普通に朝食を食べて「さっさと行っておいで」と言われて追い出された。
「皆さん。お世話になりました」
「おう、元気でな」
「弓の練習忘れちゃだめだよ」
口々に笑顔で送り出してくれる彼らに、馬車に乗って門を出ても手を振る。
「はい。必ず、また顔を見せに来ますね」
「またなー!オニキス!」
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