商人の来訪

 その商人がやってきたのは、天気の良い昼下がりの頃だった。

「わあ、これなぁに?」

「ちょっと、あたしが先に見つけたんだよ」

「それは珊瑚の首飾りさ。綺麗な海でしか採れないんだぞ」

「うみ? 綺麗なうみって?」

 わいわいと賑わっているのは、この村の中央に設けられた露店の前だ。

 装飾品が多いのか、女性達が仕事をやめて集まってきている。質問攻めにあっている商人はここからでは見えない。

「あ、オニキス。あなたも興味あるのね」

「え、ええと、はい」

 一人が気付いて声を掛けてくれたが、適当に返してしまった。

 興味があるというか、用事があって来たのだ。というか飾りなどいらない。

 人混みを掻き分けて前列に出ると、敷き布の上にいくつもの箱を並べ、色とりどりの装飾品を順に説明している男と目が合った。

 クルソから聞いていた通り、赤褐色の髪、人懐っこそうな笑顔の、鉤鼻のリムロウがいた。

「おっ、君がオニキス君かい」

「はい。はじめまして」

「お行儀がいいね。悪いけど、夕方に村長の所に来てくれるかい?」

「わかりました」

 仕事の邪魔にならないように抜け出す。

 再び始まった説明に、女性達の黄色い声が広場に響いた。







「いやー、ノリはいいんだけどね、あんまり買ってはくれないんだよねえ」

「贅沢言うんじゃねえよ。うちは貧乏なんだからさ」

 あははと後頭部を掻きながら笑うリムロウにクルソが突っ込む。その向かいでは村長のホト爺がふごふごと口を動かしていた。

 夕暮れ時に中央の村長の家を訪れた。

 既に店を畳んでいたリムロウが、何故かいるクルソと村長と囲んで酒を煽っている。陽気な声が外まで漏れていた。

「やあやあ!オニキス君、待たせたね」

 酒を振り回して呼んでくれた彼の手からコップが抜かれる。村長の娘のミナだ。やれやれといった表情で男性陣の世話を焼いていた。

「ごめんねえオニキスちゃん。止めたけど聞かなかったのよ」

「仕方ないですよ。ありがとうございます、ミナさん」

 久しぶりに再開したのだから、宴会になってしまうのは仕方ない。

 クルソが手招いていたので傍に寄ると、その岩のような手が頭を押さえた。

「さっきも言ったが、この嬢ちゃんがオニキス」

「うんうん、聞いていたより落ち着きがあるし、手も焼かなそうだね」

「むしろお前の方が手を焼かれそうだけどな」

「へええ、買ってるのかい」

「おうよ。こいつは出来る奴だぜ」

 何ができるというのだろうか。

 こちらが口を挟むより彼が先に説明を始めた。

「今じゃこの村一番の弓の名手だがな、一週間も経たないうちに完璧にしやがった。しかも、あのヨーラ殿の片腕を務められるんだ。こんな奴、他にいねえ」

 その言葉で、最近の村人達の態度に「ああ」と理解が及んだ。

 この村で認められるということは、イコール力があるということである。オニキスの場合は弓の力量と、ヨーラの助手を如才なくこなしていたことが評価に繋がっている。

 あの怪我人を治療した頃から、男達が前よりも親しげに話しかけてくるようになった。擦れ違い様に肩を叩かれ、ぐっと拳を見せられて首を傾げた。とりあえず拳を返すと、にっと笑みを見せて去っていく。何なんだ、そう疑問に思っていたところだ。

 「この世は実力と筋肉」みたいな不文律がありそうな村だが、リムロウの話を聞いて衝撃を受けた。

「え? これが普通ではないのですか」

「違うよオニキス君……」

 この辺りは魔物避けの罠を張っているとはいえ、鬱蒼と茂る森の入口にあり、時期によっては強力な魔物が現れる。

 男達は常に周辺を見回り、危険な魔物が下りてくれば討伐をしなければならない。近くに他の村もなく、頼みになる町も遠いため、全て自分達で負担しなければならないのだ。

 自然、強くて周りを率いる者が村の中で信頼され、実戦的な力をつけた者が増えていく。かなり昔からこの村はそういう風習になっているそうだ。

「外壁は頑強だし、喧嘩が始まったら止めるどころか手を叩いて喜ぶんだぞ。どの家にも魔物の毛皮があるけど、ただの村ならこうはいかないよ」

「はあ」

 気の抜けた返事しか出せない。いま、これが常識ではなかったらしいことを受け入れるので手一杯だった。

 村人の衣服に毛皮がよく使われていたが、それも他の村ではありえないらしい。

 この村がこの世界での標準かと思い始めていたところで、この情報には驚いた。

「うん。君はもっと広い世界を見た方がいい。ここにいたら危険だ。そんな気がする」

 いつの間にか酒が抜けたのか、真顔で頷くリムロウ。

「そうだな、町に行っても弓の練習くらいできるだろ? なっ」

 そう言って肩を組んでくるクルソを半目で眺める。体格差がありすぎてほとんどのしかかられているようにしか見えない。

 そうか、やはりこれも標準ではなかったのか……。







 翌日、リムロウは再び中央広場で露店を開いた。

 昨日と違い、日用品を並べた前には男女が混ざって物色していた。女子の方は先に済ませないと文句言ってくるからね、と昨日言っていた。彼がこの村で商売をする時は初日に装飾品、翌日からいつものように販売を行なうそうだ。

 貴重な調味料も持ってきてくれるので、実は二日目の方が食いつきがいい。あれもこれもと売れていく店の状態を遠目に眺め、自分の店に戻った。

 ヨーラはいつもの壁際の卓上にすり鉢を置いて作業していた。その背を通り過ぎ奥に向かう。

 割り当てられた自室の中を片付ける。ここに来て貰ったもの、不要なものを分け、最初から持ってきていた布袋に詰めていく。毛布は畳んで荷物の上から括り付けた。

 食べ物は用意してくれているらしいので、ここでの作業は多くない。

 さて、と足元の山を眺める。

 桶の中にたっぷり盛られているのは、ここに来てから毎日溜め込んでいた石ころである。

 ひとつ試しに持ち上げてみる。そのままなら道端の石と変わりないが、少し意識を向けるだけでくにゃっとへこんだ。

 そのままイメージ通りに魔力を操作し、指先から石の中の魔素に干渉する。

 あっという間に可愛らしいリボンの形に変形した石を掌に乗せ、どうしたものかと思案する。

 容量を超えて無理矢理詰めたせいで、材質そのものが異質なものに変容してしまったらしい。今では思い通りに魔力で変形ができる。

 この現象がどういうものなのか分からないため、何に役立つのか考えるはめになる。こんな変なものを森に放置するのはやはりやめた方がいい。最初はそれも考えていたが、濃厚な魔素濃度の物質を魔物が取り込んだら危険だ。ここに置いておくのも不安だし、暫くは一緒に持ち運ぶしかない。

 屈み込んで山の上に両手を置く。全体に魔力を通すと、山が蠢き出した。

 二つの輪っかと、長方形の薄い形をしたもの、長く伸ばした棒を拵える。余った分はどうしようか考え、荷物を縛っていた紐を外して細長く伸ばしたそれで巻き直した。これでやっと使い切ることができた。

 まず両手に輪っかを嵌める。そして髪を後ろに束ね、長方形のもので押さえる。止める時も変形させるだけなので楽だった。

 残った棒は後で背中に差せば、護身用に見えるだろう。

「石以外に捨てる場所を考えないといけないですね」

 ぽつりと呟く。

 これ以上増えても管理できなくなってしまう。

 部屋にあった木の櫛を手に取って魔素を流してみる。簡単にその場に留まってくれた。いつも石ばかりでやっていたが、特に制限はなかったようだ。

 それならば、と着ている服の裾を持ち上げる。体内の魔素を繊維に織り込むように馴染ませる。魔素がどんどん吸い込まれていく。

 途中で外に溢れ始めたが、無理に押しとどめて圧をかけていく。

 さらに、すでに馴染ませた魔素を操作して小さく圧縮していく。これがかなり集中しないといけないのだが、有り余る魔素を持ち、魔法も使えない今はちょうど良い修行になっていた。

 じわり、じわりと魔素が流れていく。先程のように勢いよくとはいかないが、止まることもない。

 やがて、限界を迎えた布が揺れる。

 それを確かめて、流すのを止めた。そして想像した通りに操作する。

 ぐにゃりと変形した布が裂け、伸び、裾にレース模様がついた。制御は完璧だ。

 これなら用途に応じて着ている服を変形するだけで、余分な服を買わなくて済む。満足いく成果と、体が心地よい倦怠感に包まれて目元を緩めた。

 暫くは身につけている持ち物に流し込んでいこうと決めた。

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