魔物の毒
帰路の途中、門の付近が騒がしくなった。
「なんだ?」
リュナンが不思議そうに顔を上げた。その後ろでカイがむすっと脇を睨んでいる。顔と手が擦り傷だらけだった。
いいようにあしらっているうちに大分動きがマシになってきた。
この調子で鍛えれば数年後には互角に……まあ互角と言わずともそれなりに相手になるかもしれない。
不機嫌な彼を二人で放置し、声の方を見やる。怪我人がいるぞーと叫ぶ声が聞こえてくる。
「怪我人が?」
村の中心から東西に真っ直ぐ伸びる道へ出ると、門の付近も遠目ながら見えるようになる。
大人達が集まっているようだが、何かを囲んでいるのか、ここからではわからない。
寄り道するのもいいが、そうすると門限を過ぎてしまいそうだ。
「先に失礼します」
「あっオニキス!」
二人を置いて駆ける。門とは反対に。
周囲に人気がないのを確かめ、走りながら彼女の名を呼ぶ。
《なに》
呼ぶとすぐに顔を出してくれた。
小さな足で駆ける自分と並走するように現れた彼女だが、相変わらずつまらなそうな目つきをしている。
「門の辺りにいる怪我人の様子、わかりますか」
《うん》
「どんな状態か教えてくれませんか」
《………見て》
そう言われた途端、別の映像が流れてくる。説明が面倒だったのだろう。
しかし状況は把握出来た。
「ありがとうございます。いつか、お礼をしないといけませんね」
《いらない》
つっけんどんに言って戻ってしまった。
予定よりも早く帰宅し、部屋に入って早々ヨーラに声を掛ける。
「他所からのお客様ですが、怪我をされたようです。この辺りが腫れていて、酷く汗も出ています」
「意識はあるのかい」
突然だというのに余計なことは聞いてこない。そういう性格だと理解した上での報告だ。
「人の声は聞こえてはいるようですが、朦朧としています」
「はいはい……じゃ、あれ取っておいで」
外出用の上掛けを着せたあと細かな指示を受ける。道具を取ってきて専用の鞄に揃えていく。
「で、どっちだい」
「そろそろ迎えが来る頃かと」
そう言ったタイミングで扉の外が騒がしくなった。
ヨーラさん、いるか!という声が戸を叩く音とともにして彼女が顔の皺を歪ませる。うむ、あの怪力に叩かれては壊れてしまうかもしれない。そして声が大きい。
素早く戸に近付いて開くと、もう一度叩こうと腕を振り上げていた男が前のめりに侵入してきた。
「おっと、おお、オニキスか」
「クルソさん、どうしましたか」
刈り上げたいかつい顔を険しくし、私を、そしてヨーラを見る。
「怪我人だ。旅の途中で魔物にやられちまったらしい。ここまで運べそうにないんだ」
確かに、映像で見たときはあまり揺らすと意識を失いそうだった。
「頼む、来てくれるか」
「はいはい」
やれやれと独りごちつつ腰を上げた彼女に杖を渡し、荷物を預かる。既に用意できていることに彼は首を傾げたが、急かすように彼女を待った。ヨーラが杖をつきながら彼の前を通り過ぎる。
「…………婆さん、ちょっといいか」
「誰が婆さんだ!この餓鬼!」
「いだっ」
杖で脛をぶたれながら彼女を無理矢理おぶさった。おんぶしながらひたすら謝っている。彼女の前ではこの男も形無しのようだった。
自分の前では格好をつけた様子しか見せたことがないので珍しい。
「オニキス、ジロジロ見るな」
「何のことですか?」
そして先ほどの道を再び駆ける。
クルソの後ろをついていくと、先程より人垣が増えた門扉に辿り着いた。中には家事をしていたのを放り出して見にきた女性などもいるが、皆、困惑したようにうろうろしている。どうすればよいのか分からないようだ。
「おい、連れてきたぞ」
「ああ助かった!早く早く」
人垣が分かれて道ができる。
それは初めて見る存在だった。
腰に厚手の鞘を帯び、革の鎧を着ているが、全体的に汚れが酷い。そして臭う。
やれやれと声がしたかと思うと、地面に降ろされたヨーラが腰から布巾を抜き取って口に巻き付けた。
それを見て、自分も真似をさせてもらう。
人目がなければすぐにでも魔法をかけているところだ。
怪我人は一人だった。
革の装備を纏い、顔色悪く仰向けにされている。これ以上は動けないのだろう、息も絶え絶えの様子だった。
その傍に張り付いている男もしきりに声を掛けていた。
二人連れの、騎士だろうか。実物を見たことがないので分からない。マントはあるが兜はないし、どうなのだろう。
そんなことをつらつら考えつつ、手際よく荷物を開けて彼女に差し出す。
受け取った彼女は筒に詰めた煮沸済みの水の中に小瓶から取り出した薬を落とす。丁寧に振って混ぜたあと、仰向けの男の上体を持ち上げるように指示を出した。
慌てて声を掛けていたその男が怪我人を支える。その向かいに腰を屈め、水筒を口に当てた。
「死にたくなきゃ飲みな」
顔を青ざめつつ、彼は小さく頷いたようだった。少しずつ喉が動いている。
そのまま筒を支えている男に持たせ、次に患部を確かめる。左の太腿に葉っぱと汚れた布が巻きついている。
応急処置にしても雑だなと感じていると、最悪だねとヨーラが吐き捨てた。その言葉に心配げに筒を支えていた男が肩を揺らす。重症人の前でも彼女は彼女であった。
彼女の手招きに鞄を寄せる。
指示に従ってその包帯を解く。膿と癒着して剥がすのも痛そうだが、それどころではないのでてきぱきとめくっていく。
周りの女性が顔を逸らしたが、男性陣は固唾を飲んで見守っている。よく見たらその中にカイとリュナンもいた。
外気に晒された患部はひどく腫れていた。傷口は治るどころか悪化しているようで、青黒く変色している。
「ここ、見てみな」
ヨーラが指さした所を探す。深く何かがくい込んだような傷痕が見える。
「均等についとるだろ。この辺りの獣じゃ、ニジルガラハウンドにでもやられたかい」
煮汁と空耳してしまいそうな名前の獣であるが、その名前に男は眉をひそめた。
「……分からない。灰色と緑の眼をした獣だ」
「そいつだよ。あんたら遠くから来たね」
そしてヨーラは直接傷口に薬を当てた。
「………ッ」
「おい、抑えといてくれ」
無慈悲にもぐいっと薬を塗り込めるヨーラだが、男は弱っていた彼が暴れるのを見て一緒に青ざめている。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「煩いよ」
にべもなく跳ね除けて薬を追加する。同時に膿を剥がして捨てていくが、その度に脚が動くので自分も体重をかけてのしかかった。
流石に可哀想に思うのか、周りの男性陣まで眉を下げ始めている。その中で自分とヨーラだけが無表情なので、まるでこちらが悪人のような気分になれそうだ。
「オニキス」
「はい」
「ニジルガラハウンドは魔物だ」
悶える患者を無視して解説が始まった。
これを聞き逃すと二度目の説明はしてくれないのでしっかり耳を傾ける。
「ここらにはいないが、川を渡った向こうの山には群れでよく見かける。頭の良い狩りの名人だ」
「では、人もよく襲われるのですか」
「縄張りがはっきりしてるから近寄らなけりゃ何てことはないよ」
なるほど、それで彼らを遠くから来た者だと判じたのか。
「普通のやつならガラハウンドだが、ニジルは唾液に毒がある。自分等だけは平気だからね、ちょっと噛んで逃げて、弱ったところを持ち帰るんだ」
「なるほど、賢い」
「ファナスが効くんだ。在庫を切らしてなくてよかった」
ファナスとは季節が違う上に使用頻度も少ない、山裾に群生する植物だ。
塗り薬に加工されたそれが何度も塗り込まれる。ある分は使い切るつもりのようだ。
「こいつと、あとはこいつだ」
もう一つ取り出したのは粉末だ。予備の水筒に溶かして男に渡す。
「そいつはもういい。これを飲ませな」
「な、治るのか?」
すぐに返事をしなかったのは珍しい。
「ま、なるようになるさ」
適当な言葉で場を濁し、傷周りを綺麗にしていく。
襲われてからどれくらいの時間が経ったのだろう。大きく広がった青あざのような色味の皮膚を眺めて思う。恐らく、壊死する可能性も考えられる。
強力な解毒剤で催眠効果もある薬を飲まされ瞼を落としたのを、深刻な面持ちで眺める仲間の男。
それ以上の処置はせず、清潔な布で巻き直した彼を村人に任せて帰宅した。
夕方にはいつもの倍はある野菜が届けられた。
今日は薄らと雲がかかっていて洗濯物が乾きにくい。
こんなとき魔法で速乾できれば楽なのだがと諦めつつ紐に吊るされた服を見る。
他の村人は毎日洗わないが、自分がいる間は普段着は一度着たら洗濯している。
ヨーラもわりと清潔好きらしく、水の無駄遣いだと怒られることはなかった。その水を汲みに行くのも自分なので怒られる謂れはまるでないが。
ようやく乾いた服を戻していると、庭先から人がやってきた。互いに軽く挨拶を交わす。
「オニキスちゃん、ヨーラ殿はいるかい」
「はい。ただ、これから食事を……」
洗濯が終わり次第、昼を用意する手はずだったのだ。村人はあまり食べないが、ヨーラは結構な量の食材を貰うので三食用意できてしまっている。
「ああ、時間が悪かったな。すまない、すっかり急いじまって」
聞くと、どうやら三日前に訪れたあの怪我人が回復したので、様子を見に来てほしいのだという。
連れてこなかったのは、歩かせていいのかが分からなかったかららしい。
「それは何よりですね。さあ、どうぞ中へ」
「いいのかい?」
「問題ないでしょう。せっかくですから一息入れてから参りませんか」
回復したのなら焦ることはない、そう判断して中に戻る。ヨーラにも同じことを伝えるが、それより食事をくれと急かされてしまった。
ごちゃついている室内の中央に陣取る机を綺麗にし、とりあえずそこに座ってもらう。先に淹れた薬草茶で間を繋いでもらってるうちに台所へ向かった。
「……これは?」
「コフェ料理です」
「コフェ?」
コフェとはじゃがいものような食材のことを指す。新鮮な卵を頂いたので腐る前に使い切ってしまったのだ。
葉野菜と共にキッシュにしたそれを切り分け、ひと欠けつず皿に分ける。
不思議そうにつついてから目の高さまで持ち上げ、口に放り込んだ。彼はもぐもぐと口を動かし、すぐに破顔した。
「うま、うまいねこれ。オニキスちゃん」
「家のモンより先に食うんじゃないよ」
「作ってくれたのはオニキスちゃんじゃないっすか」
そう言い合いながらも二人とも手が止まらない。ヨーラも高齢の割によく食べる。
夕飯は温かなスープを用意しようと献立を考えながらいつもより賑やかな食事を堪能し、一服してからようやく腰を持ち上げた。
呼びに来た彼もすっかり落ち着いたようで、もうちょっと休みたいという彼の尻を叩いたのはヨーラだった。何の為に来たのだと言いたいところである。
今日も今日とてヨーラがおんぶされた状態で村の中央に行く。旅人は村長の管理する長屋を借りているらしい。
中に入ると、寝台の上に起き上がった患者と、例の男が傍にいた。
物音に反応した彼らがこちらを見る。
「安静に。横になりな」
慌てて動こうとした彼らを注意し、彼の脚を覗き込んだヨーラに道具を手渡す。
いくつかの確認を行ったあとは大きく頷いて顔を上げた。
「もう大丈夫だ」
毒もすっかり抜けて傷口も悪化することなく塞がりつつあった。何より、彼の顔色に血の気が戻っている。二人は笑顔を滲ませて肩を叩きあった。
「いや、腕の立つ薬師がいて助かった。何と礼をすればいいか……」
「ああ、それは村の奴に聞いとくれ。あたしゃ村に雇われたんだからね」
「そうか。それでも礼は言わせてくれ」
そう言って二人揃って独特な動作を取った。ぐるりと腕を回してから胸に当てる。この地方の挨拶と似ているようで少し違っていた。
「……中央から来たようだね。全く、案内もなく山を越えられるわけがないだろうに」
「面目無い。時間がないもので……」
気まずそうに頭を下げる割にはそわそわとヨーラを観察している。
関係ない話を持ちかけられるのが嫌そうな彼女の雰囲気を汲んで、彼女同様に視線を合わせないようにし、素早く器具を片付けた。
「ではヨーラ様。風が冷たくなる前に」
「えっ、も、戻られるんですか」
上ずったような声に振り返る。
「治す奴がいないだろ。包帯と塗り薬は置いていくから毎晩取り替えてくれ。お大事にね」
「あのっ」
勢いで叫んだ彼に視線が集まる。寝台から身を起こした彼がまっすぐヨーラを見つめる。
「ありがとうございます。……この恩は、決して忘れません」
「大袈裟だよ、あんた」
鼻に皺を寄せてうっとおしげに背を向けた。
これで彼女のひと仕事が終わった。
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