喧嘩?

 早めに支度を終え、彼女の朝食を揃えてから外に出る。

 すでに二人が待ち構えていた。

 カイとリュナン。

 リュナンはカイと同い歳で、控えめな笑顔は穏やかな雰囲気を生み出している。性格は似ていなさそうだがよく二人で遊ぶらしい。

 本当なら妹を紹介したかったらしいのだが、カイが望む遊びを見せるのは気が引けるという。

 私はいいのかとつい聞いてしまったが、彼は少し唸ったあと、こう答えた。

「だってカイより男らしいし」

「何だって?」

 口を挟んできた彼を無視してしげしげと全身を眺め回される。

「何か、ふんいき? あんまり喋らないところ、かな? ディンゴさんと似てる」

 その人物を自分は知らないが、猟師の男で村人から頼られている存在だと説明してくれた。

 無口だけど弓が強くてかっこいいんだ、と饒舌に語った後で頬をかく。

「や、見た目はかわいいよ? すっごくかわいい。白くて、つやつやしてて、お姫さまみたいだ」

 はにかみながらそう褒められるが、これを自然に言えるのは相手が幼女だからか、彼が少年だからか。

 こちらを睨んでいたカイも気を削がれたのか視線を外した。うむ、彼が自分の知り合いなら、将来どんなタラシになるか心配になるところだろう。

 少女としてなら誇るべきだが心情的にはその類いの発言は嬉しくないという非常に繊細な感覚を抱き、返事は控えた。

 無言、無表情である。

 リュナンは特に気にする様子もなく、自身のことや村のことを隣で話してくれた。

 暫くついて歩いていくと、いつもの集合場所とは別の場所に連れてこられた。

 外壁の傍で、民家も畑も離れた辺鄙な景色だった。壁の下に雑草が自分の背丈ほども伸びている。

 自分が辺りを見渡している間にも、カイは適当に拾った石で土に線を引き始める。

 間もなく出来上がったその円は、この間見た大きさと全く同じだ。納得の表情で眺めていると、ずっと話しかけてくれていたリュナンが円の中に引き込まれた。

 お前が合図しろ、と命じられて頷く。

 二人が構えの姿勢を取ったところで、少しして手を振り落とした。

 途端、取っ組み合いが始まる。

 服を掴んで転ばせようとしたり、平気で頭突きを食らわせようともする。

 カイに至っては常に声を張りつつ、相手を殴り負かすことしか意図していなさそうだ。

 これを観ていなければならないのか、と思いつつも動向はしっかり見守る。こんなことで骨折でもしたら大変だ。頭の打ちどころが悪いこともある。

 以前にクルソは強くなることが大事なのだと言った。他の皆からもこれが当然なのだと感じられた。

 しかし、もしもの際に手を出すのを止められたわけではない、とこっそり言い訳しておく。

 そして、心配をよそに試合はあっさりとおわった。

 肩口を掴んで後ろに倒し、尻餅をつかせたことで線の外に出すことに成功していた。

 二人で大きく喘ぎながら、暫くして上にのしかかっていた彼が身を起こす。顔や腕が擦り切れていたり痣になっていたりするが、気にせずにかっと口を開けた。

「な!」

 な!と言われても。

 とりあえず噎せているリュナンの傍に寄り肩を貸す。すまなそうに小さく謝りながら立ち上がった彼の肘から血が流れていた。

 仕方ない。身につけていたエプロンの端で怪我の周りに付いてしまった砂を払っていると、おいと声が飛んできた。

「何か言えよ」

「……お疲れまさでした?」

「ちがう!」

 と否定されても、

「何を言ってほしいんです?」

「な、なにって」

 自分は彼の身内でもないし、義理もない。

 口ごもる彼をよそに傷口を確かめる。そのうちかさぶたになれば染みることもないだろう。他は擦り傷程度なので心配もいらなそうだ。

 肘を曲げて傷を眺めた彼がしかめっ面をした。痛いだろうに、この歳で泣き言もないのだから大したものだ。

 そういえばカイも痣を痛がるそぶりを見せていない。

 そんな考え事をしているうちに、再び声をかけられる。というより、それは独り言だったのかもしれない。

 自分より先に反応したのは傷を見ていたリュナンの方だった。

「なんだって?」

「だから、オニキス。お前とやるって言ったんだ」

 昨日ぶりに指を差される。

 それに対して真っ先に否定したのもリュナンだった。

「ふざけるなよ、そんなのだめに決まってる」

「なんでだよ」

「女の子だぞ。年下の。やめろって」

「こいつが悪いんだろ」

 頭上で二人が言い争う。

「こいつが調子こいてるからいけないんだ。一度痛い目にあわないと分かんねえんだよ」

「わけわかんないよ」

 同感だが、カイの心情も理解出来なくはなかった。男の矜持とか、多分そんな辺りだと思う。

 だが、ただの殴り合いには賛同できない。

 彼の方は意地になっているだけだろうが、こうなってしまった場合どうするべきか。

 自分が口を出しても火に油を注ぐだけだろうが、言い合う親友はどちらかというと押し負けている。腕力だけでなく口喧嘩も敵わないらしい。

「オニキス、やるよな?」

 断らないよな、と暗に聞こえてきそうな台詞だ。

 暫く、黙って考えた。

 そして、これも子供どうしの遊びのうち……そう言い聞かせる。

 普段の行動を子供たちと合わせないと、きっとこの先、不自然に思われる。だからこれは、年頃の少女として振る舞うために必要なことだと置き換えれば気持ちも楽になった。

「やんのか、やんないのか」

「やりたくはないですけど、まあ、いいですよ」

「何だよ!じゃあやろうぜ」

 腕白小僧ははりきって新しい円を描いた。その隣でリュナンがしきりに彼を止めようと声を掛けていたが、煩わしそうに肘を振るって払おうとする。

「だいじょうぶだって。手加減するよ」

 ひらひら手の平を振っているが自分もリュナンも全く安心していない。

 何も言わない二人にむすっとした彼が「ほんとにするっつーの」と不貞腐れたので追及はよそう。

「オニキスちゃん」

 リュナンがひどく心細げな表情をしていた。

「危ないと感じたら、すぐに逃げるんだよ。あと、大きな声を出すんだ」

 始まる前から不安で仕方ない様子に、心得たとばかりに頷き返す。

 二人が向かい合う。

 一回り大きな彼の体格では、正面からやり合ったらこちらが怪我をしてしまいそうだ。

 うまく躱して、体勢を崩して外に出せないか……そう考えているうちに始めの合図が出た。

 すぐに飛びかかってくる少年。

 む、とその拳を見つめる。

 最初から顎を狙うとは。

 ……いや、単純に顔面めがけて殴ろうとしているだけかもしれない。

 飛び込んできた手の甲をするりと撫でる。勢いのまま前に乗り出してきたが、その線上からは既に退避している。

 手首を掴み、足を引っ掛ける。軽く浮いた体をそのまま前方にさらに引くだけでよい。

 勢いよく前面から転倒した彼のせいで線が消えてしまった。

 砂埃が舞う中、暫く沈黙が流れる。

「……あ、オニキスの、勝ち?」

 何とかそれだけ言うことを思い出したリュナンの声で、カイも上体を起こす。

 呆然としている彼に、何と声をかけようか。







 それから毎日彼らと同じ時間に会った。

 終わりの時間が来ると、カイが必ず「明日もだ」と息巻くので、彼が飽きるまでは付き合わされるのだろう。お陰で軽い運動にちょうど良い。

 朝晩の基礎訓練だけでは物足りなかったところだ。

 魔法も下手に使えないので魔力操作や瞑想くらいしかできない。魔力は使わないと持て余すだけだし、毎日小石に捨てて身を軽くするのも大変だ。

 因みに、ぎりぎりまで圧縮して詰め込んだ石は完全に変質する。何というか、粘土のようになるというか、水を含んだ片栗粉のようというか。説明は難しい。

 魔素の塊と化したそれを適当な袋に詰めて部屋に置いているが、いずれ森にでも破棄しに行かなければ数だけ増えてしまう。

 勿体ないし、何か用途があれば再利用したいが、分かるのはやたら変形させやすいということだけ。魔力操作の容量で動かすとその通りに形を変えられるのだが、役に立つものでもない。

 そんな脱線したことを考えていると、彼が大声で叫んだ。

「集中しろよ!」

「あ、失礼」

 顔を赤くして襲いかかってくるが、両手を突き出してこられては掴むなという方が無理な話である。

 綺麗な投げ技が決まったところで、彼の親友が終了の合図を送った。

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