カイという少年
物置と化している一間を借りている。
古い戸棚や無数の木箱が積み重なる角を空けて使われていなかった寝台を運び入れており、入れる場所もないので貰った衣服は棚の上に畳まれている。
鏡もないので端に積まれていた桶に水を満たし、薄い光の差し込む窓辺の台に置く。覗き込んだ自分の顔は相も変わらず幼く映る。
身だしなみを整えた後、足音を立てずに外に出る。
今日は雲が厚い。普段より早めに起床したためかまだ薄暗かった。
ひんやりとした空気を吸い込み、目を覚ます。
いつも使う道具を取りに物置に向かう前に、裏庭に回る。完全に物陰と化している壁際に身を預けて魔法を唱えた。
唱える、という表現は誤解を生むかもしれない。実際は声にして何かを発しているわけではなく、慣れ親しんだ魔力の流し方に身を委ねる感じだ。要因と結果をはっきりと想像し、その通りに魔力を流すことさえできれば呪文は必要ない。特に基礎魔法は式が単純なため構築と発動に時間的誤差もなかった。
生成した水は不純物が混じっていない。躊躇なく口に含み飲み干すことが出来る。
一息ついてから、名前を呼んだ。
「シズさん」
《なに》
すぐに真横から抑揚のない声がした。
ちら、と振り仰ぐと、以前と同じ出で立ちをした彼女の暗い双眸が見下ろしている。
声を掛けてから間がない登場に呆気に取られたが、彼女はこちらが無言でも気にせず突っ立っている。これはあれだ、こちらが先の質問に答えないと喋る気もないということか。
「いえ、あまりに声を掛けるのが遅れてしまいましたから。いかがお過ごしでしたか」
《なにも》
ふるりと頭を振る彼女にはて、と首を傾げる。
「なにも?」
《人間をやめていたから、意識もなかった》
前世で使えば間違いなく廃人扱いを受ける台詞だが、この場合まさしく文字通りの意味だろう。
「では、何になっていたのですか」
《知らない。意識もないのに》
「……それはそうですね」
自然現象と同じなのかもしれないな、と彼女を見ながら考える。
屋敷では基礎魔法を重点的に学習していたため精霊について詳しいわけではない。憶測でしか語ることができないが、当の本人はこれなので説明してもらうこともできないし、いずれ専門家にでも話を伺ってみたいところだ。
予定している行商人は近々この村にも訪れるという。その者達に同行して大きな都市に行けばそんな機会もあるかもしれない。
ただ、村人の言う近々とは、ひと月から一年までさまざまだ。気長に待つしかない。
「……というわけで、暫くは話し相手は難しいかもしれません」
結局、この村にいる間はあまり声を掛けないことにした。申し訳ないが、不審に思われそうな行動は極力控えたい。
その原因は、この村の人々にある。あるいは無いというべきか。
彼らには魔力がなかった。
否、微かに漂ってはいる。
だが、老若男女関係なく、その内包する魔力が少なすぎて、感知すら覚束ないのだ。
だからここに来てから彼らの前では魔法を使わないようにしていた。可能な範囲は全て手作業で済ます。水魔法でさえ、自分一人で使用するとき以外は全て汲み水を利用していた。屋敷にいた頃は水で苦労したことなどなかったのに。
「…………」
そう考えた自分に気付いて自嘲する。
自分も相当、魔法に馴染んでしまっているようだ。
《ふうん。好きにすれば》
彼女はどうでもいいとばはかりに頷いて消えていった。
それから普段通りに仕事をこなし、二人で朝食を済ませて再び庭作業に戻る。
自分が来るまではこの広い土いじりを一人で行なっていたというのだから驚きだ。
この話をしたときにそっぽを向いて言っていた。毎回いじる人が変わっていたら、草がだめになると。
それで物資の調達は任せても仕事にまでは手を出させなかったのだという。村の中でも高齢に入るというのに、大した体力だ。
覚えたての葉の特徴を観察しつつ、枝葉を分けて雑草を取り除く。この一角については土の状態も問題ないようだ。
そうやって腰を落として作業に集中していたところに、遠くから足音が近づいてきた。二人分の音を聞き取って意識を向ける。大人ではない。
傍までやってきたところで手を止めて指の土を落とした。日除け帽を脱いで立ち上がる。
「おや、あなた方は先日の」
見覚えのある組み合わせだ。
数日前に例の試合を行っていた二人が、片方は不機嫌そうに、片方は眉尻を下げて不安げに手を浮かせている。
状況が読めないのだが、なぜ彼は眉間を寄せて口を曲げているのだろうか。
あの時と同じように眦が釣り上がり気味で、意思のはっきりしていそうな印象を受ける少年がぶっきらぼうに声を掛けた。
「なにやってんだ」
挨拶もなしにである。
隣の少年ははらはらと彼の後頭部を見つめているが止める様子はない。
自分より二、三歳は上に見受けられるが、落ち着きのなさでは年齢が逆に見えそうだ。
「雑草の除去作業です」
「なんで来ないんだよ」
「おい、カイ……」
なんでも何も、仕事を放棄して遊びに出かけるわけにはいかない。
数日前から新たな勉強も加わり、途中で抜け出している暇がなくなってしまっていたのだ。
そう説明するも、少年……カイと呼ばれた彼は、不服そうに口を閉じている。どうしたものかと、この村でよく見かける毛足に緑の混じる茶髪が跳ねているのを眺める。
そういえば彼とは先の観戦からあいさつすらしていなかった。拍手もしなかったのでもしかしたらそれに怒ったのかもしれない。
「おい」
そんなことを考えているとびしりと指を刺された。
「はい」
「お前、俺が強いってわかってないだろ」
「……つまり?」
苛立たしげに言われるが、だとしたらどういう方向に持っていきたいのだろう。
あまりにも「少年らしい」態度に返って冷静になる。あの頃のお嬢様とは方向性は違うが気質は似ていそうだった。
「次は見てろよ!」
「先日のもしっかり見届けましたよ」
「ちがう!だから、一緒にこい」
「無理です」
間近で凄まれつつ腕を取られても無理なものは無理である。目を眇めた彼が強引に引っ張ろうとするのをその場で引き戻す。
こい、むりです、こいってば、できかねます、の応酬を続けていると、自分を掴んでいた腕を引き離す力が加わった。
「やめろってば!お前、ばか!」
「なんだよリュナン!」
「赤くなっちゃっただろ、ほら!ひどい」
そっと持ち上げられた自分の腕は確かにくっきりと変色した痕がある。すぐに戻るだろうが、色白の肌には綺麗に映える。
「あ」
そう声を漏らした彼が黙り込む。
心配そうに腕の様子を確かめている、リュナンと呼ばれた少年と自分を見ながら何も言わない彼に、暫くしてこちらから声を掛ける。
「明日のこの時間に」
リュナンの動きが止まった。
「いらしてくだされば、少しだけ時間を空けられます」
目を丸く見開いた彼は年相応の表情に見えた。
店に戻る。
少年たちの声は大きかったはずだが、彼女はお構いなしに薬瓶を開けて中を覗いていた。
「手は綺麗かい」
「はい。準備は整っております」
手招きされるがまま側に行き、両手を差し出す。瓶から出したものがぽとりと置かれた。
「ウナウジの葉、ワタの葉、アリアナマリアの根から煎じた薬草茶だ。今日はこれを作る」
見ると瓶の中身はほとんどなくなっていた。
これは日常的に服薬するもので利用客もそこそこいるらしい。鼻を近付けると芳ばしい香りがする。
ヨーラが言うことすることを全て覚える。
手は出してはいけない。だが目で覚えるんだ。
そう命じられた通り、彼女の斜め後ろから手順を観察する。
時折、道具や植物、薬の名前だけ教えてくれる。あとは無言だ。
いまも彼女の両手には棒が握られており、膝の上には分厚いすり鉢が抱えられている。
ごり、ごり、とゆっくり、確実に削られていく硬い根を覗く。
これは今朝届けられたものだ。採集組の村人に予め頼んでおいたのだが彼らは翌日には集めてきてくれた。
乾燥させる必要がないらしく、周りを洗った後すぐ放り込まれたその黒っぽい根が潰れて細かく砕かれていく。彼女の回す力は均等で、決して早くはないが丁寧に小さくしていった。
削られた中身から溢れた匂いが漂い出す。
部屋の匂いと混じって鼻に届いた。初日は大分感覚がおかしくなったが、翌日には慣れたものだ。
窓辺から輪郭のはっきりしだした四角い光が机に注ぐ。
「……きれいですね」
聞こえているのかどうか。
すり鉢の音が途切れることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます