山越え

「オニキス君は随分とディルバ村に溶け込んでいたんだねえ」

 馬を操りながら隣に座る自分に話しかけてくる。

 リムロウと自分が荷馬車に乗り、用心棒のギーガーは後ろをついて歩いていた。

 この馬だが、普通に想像していたものではなく、ごつごつと体格がよく、額に小さな角が生え、尻尾は毛ではなく鱗のようなもので覆われている。

 少し奮発すれば誰でも買えて体力もあり病気にもなりにくく人気らしいが、時折鳴らす鼻息がかなり荒々しい。

 一頭で普通の馬二頭分の力には優に匹敵するスケイルホースは、整備されていない悪路もどしどし進んでいくので、荷台の荷物が崩れないように制御する方が大変だったりする。

 初めて見る動物をじっと観察していたが、そう言われて首を傾げる。

「そうですか?」

「そうだよ。よっぽど腕が立ったんだろう?」

 ディルバ村に溶け込むイコール腕が立つ、という図式をどうにかしてくれ。

 別の話題に逸らして色々と話をしてもらっているうちに昼時になった。食事は朝と夜だが、昼は固形食を齧って小腹を満たすのだそうだ。

 差し出されたそれを齧る。何かの穀物だろうか。木の実のようなものも練りこまれている。味はまあまあだった。






 ディルバ村と背後の森を背にして真っ直ぐ進むこと丸一日。やっと違う景色が見えた。

 手前に横たわる浅い川をそのまま渡り、山裾まで辿り着く。これがヨーラの話していた山か。

 この山を越えた向こうに途中泊する村があるので、朝一から登り、日が暮れる前には向こう側に辿り着きたいとのこと。

「道を間違えなければ厄介な魔物には出くわさないよ」

 何度も行き来している彼にとっては造作もないことらしい。

「え、怪我をした騎士が来たって? そりゃあ多分、東から入ったか、谷間を通ったんだろう。あの辺は縄張りだから」

 そんな解説を聞きつつ悪路を進んでいく。スケイルホースは気にせず進むが、振動が大きくて腰が痛んだので仕方なくギーガーと一緒に歩かせてもらうことにした。木の根や岩を飛び越える度に心配そうに見守られつつ馬車の後ろをついていく。大人の身体が羨ましい。彼の一歩が自分の三歩分はあるのだから。

「ん、あれは……」

 途中、木の根元に見覚えのある草を見つけた。屈んで根ごと引き抜いて観察したところ、やはり本物であった。

「それは何だ?」

 後ろから覗き込んできたギーガーの前に近付ける。

「アエギラです。葉の汁が腹痛に効くんですよ。飲みすぎにも効果的です」

「回復薬ではないのか。薬師だったのか?」

「薬師の真似事です。回復薬というのは、総合傷薬のことでしょうか」

 何でもこの世界には回復薬という、決められた薬草を調合して作れる薬が出回っているらしく、それを使えば怪我が一瞬で塞がるのだとか。

 そんな話をヨーラから聞いた時にはあまりにファンタジー過ぎて冗談かと思ったが、魔素を含んでいると聞いて納得したものだ。回復薬はただの薬ではない、魔法の一種であると。

 ギーガーが言うには、回復薬か、なければ治癒魔法に頼るので、用途別に調合する薬師は珍しいのだという。薬師自体が少なく普通は調合師や錬金術師と呼び、彼らは回復薬などを主に調合して販売しているそうだ。薬師と何が違うのかと思うのだが全く別物らしい。

 それにしてもこの山は薬草がよく見つかる。喋りながら歩いているだけでも既に三種見つかっていた。

 摘んでは袋に入れる。平原をただ真っ直ぐ進んでいた時よりは断然楽しい。

「へえ、そんなに生えてるんだ」

 昼休憩中、リムロウが物珍しそうに広げた収穫物を覗いてきた。

 適当な岩の上に広げて下処理ができるものだけ先に済ませていたのだが、彼はそのひとつひとつをしげしげと観察している。

「これなんかまるで同じだな。よく見分けられるね」

「いえ、根の生え方も葉の付き方も違いますし、茎の筋が違うでしょう?」

「ううん、言われてみるとそんな気もするけど……大した目利きだ」

 感心されるが、どれもヨーラやノルン、そしてヨーラの師の手記のお陰だ。教えてくれる存在が何人もいたので、片手間の勉強の割に薬草についてはそれなりの知識が付いている。

 調合について知識を共有しあっている間、ふと、肌にまとわりつく気配を感じた。

「…………」

「オニキス君?」

 ほとんど同時にギーガーが同じ方角を見やる。

 最近はめっきり出番のなかった魔力感知を一方向に集中させ、感知距離を最大化する。およそ50メートル先、木々の合間に息を潜める塊が複数見つかった。

 必要な葉だけを取っていた作業を止め、岩の上に纏める。脇に置いていた荷物の中から小型の弓矢を抜き取った。

 ディルバ村で餞別に貰ったものだ。遠くまでは飛ばせないが、小回りが利いて狙いやすい。ギーガーより後ろに下がり、静かに矢を番えた自分を見て彼も槍を抜いた。

「魔物だ」

「まさか、こっちを狙ってるって?」

 リムロウが訝しんだのは、見えない魔物の存在自体ではなく、その魔物がこちらを狙っていることだった。

 荷馬車には特殊な道具が取り付けられており、この付近の魔物なら縄張りに入らない限り臭いを嫌って寄り付かないそうなのだが、現に虎視眈々と狙いを定める気配がちらついている。

 魔力の質からして、そこまでの脅威ではなさそうだが、野生で徒党を組まれていると厄介だ。

「こんなこと今までなかったんだけど……仕方ないか」

 疑問を挟みつつも荷台から細い杖を取り出してきたリムロウに思わず問いかける。

「リムロウ殿、それは?」

「ああ、大したことはできないけど、初級魔法くらいは使えるからね」

 そう言ってにっと笑う彼に驚く。微弱な魔力しか感じなかったのでてっきり村人と同じように魔法を使えないのかと思っていた。

「そうだったのですね。頼もしいです」

「あまり期待しないでくれよ」

 じりじりと近付いてくる気配を追いつつ、状況を把握する。

 片側がゆるやかな斜面、反対側が崖になっている一本道だ。敵は馬車の後方、斜面の上に潜んでいる。先頭の一匹がゆっくり動くのに合わせて後方から続いてくる。

「あの感じ。狼型の魔物でしょうか」

「……分からないが、この辺りに棲息するのは」

 そう、この辺りに棲息するのは、猛毒を有するニジルガラハウンドだ。他にも魔物はいるが、集団で襲ってくるのだからほぼ間違いない。

 それに何となくだが屋敷で闘ったことのある獣型の魔物と魔力の質が似ているように感じる。

「あまり動くな」

「そうだよ。というか、荷台に乗っていてほしいんだけどな」

 そう注意されてしまったため、仕方なく荷台に移動する。といっても中に入るのではなく、側面をよじ登って屋根の上に構えた。ここなら見晴らしもよく狙いやすい。

「ちょっと、何しているんだい」

「言われた通り荷台に移りました」

 彼らが倒れては自分も巻き添えを食らうのだ。魔物相手に女子供も関係ない。使えるものは使って勝つ、それが鉄則。

 ということで矢を番えたまま見張っていると、ついに先頭が動きを見せた。同時にぴりぴりとした殺気が強くなる。

「来ます」

 誰が言わなくとも分かっただろう。ギーガーは既に臨戦態勢に入っていた。それを見たリムロウも杖を前方に構える。

 暗い木々の合間から足音が聞こえる数秒もしないうちに突然目の前の林から獣が躍り出てきた。

 灰と緑の目をした魔物だったか。確かに体毛は灰色を帯びていて、瞳は緑がかった黄土色をしている。

 身を低くして駆けてきたニジルガラハウンドの一匹目がギーガーの近くで飛びかかる。

 事前に予期していたらしく、彼は槍を軽く振るって叩き飛ばした。側面を強かに打ちつけた獣が崖の方へ落下していく。

 続いてやってきた三匹については背後で詠唱された風魔法によって吹っ飛ばされている。最初と同じ末路を辿ったのを眺め、なるほど地の利を有効活用するつもりらしいと納得した。殺傷力の強い魔法を使用するより効果的だ。そして二人が打ち合わせもなくそれを実行するあたり、手慣れている証拠でもある。

 心配しすぎたかなと思ったところに第三波が襲ってきた。それも二匹ずつ、二手に別れて前後から噛み付こうとしてきたのである。ちゃんと最初の失敗から工夫してくる辺り、知能指数が高い。優秀な狩人といわれるだけある。

 さっと顔に焦りを浮かべて振り返り、口早に詠唱しているがどう見ても間に合わないだろう。そういう時は弱くてもいいからすぐに魔法を放った方が得策だ。小分けにすれば足止めくらいはできるかもしれないのに。

「キャン!」

「キャヒン!」

 甲高い鳴き声とともに仰け反って倒れる二匹。その目にはそれぞれ一本ずつ矢が刺さっている。

「くっ」

 別の方角から焦りを含んだ声が聞こえてきた。

 振り返ると、一匹が仕留められた隙を縫ってもう一匹がこちらに飛び上がってきた。なるほど、弱そうな方から狙うつもりか。

 まだ次の矢の準備もできていない無防備な少女の前に、跳躍してやってきた影。

 迷わず足元に並べていた矢を掴んで投げた。

 喉奥に刺さり大きく痙攣する。しまった、このままでは屋根が汚れてしまう。

 汚れを気にするくらいなら一撃で仕留めろと度々言われていたが、それでも元使用人として自分から汚しに行くというのは気が引ける。特に血などこびり付いたら大変落としにくくなるというのに。

 左腕から腕輪を外し魔力を通す。大きく、平べったく伸びた板の上に血が飛び散る。

「えいっ」

 ゴォン!

 小柄なので力を入れる時につい声が出てしまう。板の端を掴んで振り上げると、落下してきた獣の身体が弾かれて崖の方に放り投げられた。

 既に絶命して消えていった魔物を眺めている暇はない。板を小さくし、集めた血を同じように崖へ振り払う。取り切れない少量の汚れは小さく作った水魔法で綺麗に流して腕輪に戻す。

 あとは屋根の上を点検し、血が飛び散っていないことを確認したらやっとひと段落着いた。全く、この高さまで一発で飛び上がれるとは誤算だった。魔物の身体能力を舐めていた。

 初めから感知で捕捉していた個体数は八体。今のが最後だ。屋根から頭を覗かせてみると、二人とも外傷もなくこちらを見上げている。

「さっき、魔物が崖に落ちていったけど」

「ご安心ください。屋根は汚れひとつありません」

「ああ、いや、その事じゃなくて。その事はどうでもいいから……」

 もしかしたら彼も汚れた時は水魔法で処理していた口か。その魔力量では何十発も魔法を使えないだろうし、温存しておくに越したことはない。なのでここは自分が片付ける方が良かったはずだ。

 武器を背負い木枠を掴んで降りる。着地して埃をはたいていると、二人分の物言いたげな視線を受けた。

「慣れていたね?」

「まさか。緊張しましたよ」

 屋敷にいた頃は個室の中での模擬戦だったから、外での実戦はこれが初めてである。緊張するのも当然だ。しかも、普段は刃物や魔法なのに弓を利用したのだ。

 前衛の彼と魔法担当の彼がいてくれたお陰で無理をせずに片付けられただけである。どころか邪魔をしていなかったか気になる。聞くと、全然邪魔になっていない、寧ろ助かったという事だったので安心した。

「……冷静過ぎる。いつから戦ったことがあるのか、聞いてもいいかい」

 ああ、年齢の割に落ち着いていることが不審なのか。屋敷の者達からすれば、この「冷静さ」を身につけるように教育していたはずなのだが。

「確か三歳の頃にはナイフを握っていたような……」

「三……ええと、聞き間違いかな」

「三歳です。それにしても外は危険だと言われてましたが、本当でしたね」

 現にこうして襲われた訳だし、予習しておいたお蔭で死なずに済んでいる。使用人達の言う通りこの世界は身を守る術がないと生きにくい。

 閉口してしまったリムロウにギーガーも諦めたような顔をして道端に倒れている魔物を退かしにいった。あれが道を塞いでいると毒を撒き散らす可能性があり危険だ。同じように崖下に落とされていったのを見届け、そろりと腕輪を触った。

 いつもなら魔物避けの道具があれば襲ってこない魔物の襲来。魔物は魔素があれば食べなくても生きられるらしく、魔力を有するものをよく襲うという。

 濃厚な魔素を含む装備を見下ろし、もしやと黙り込んだ。

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