お別れ
移動当日。
部屋に集まったのは主要な使用人達だ。
廊下にはノルンも控えており、いつでも呼び出せるようになっている。
どうやら最後に案内事項があるらしかった。
「家令」が前に立つ。今の光景も記録されているのだろう。
「何事もなくこの日を迎えられたことをまずお祝い申し上げます」
事務的な祝辞だが礼を伝えておく。
見た目は前世の自分と同じ年齢だろうが、表情筋まで前世そっくりとは。自分もこのような感じに周りから見られていたのかもしれないと少し反省する。
ただし、自分はここまで鉄面皮ではない、はずだ。
「そろそろ陽が暮れますが、半刻後に荷をまとめてここを発ちます。道が狭いので途中までは徒歩ですがご了承ください」
「はい」
「道中は私とここにいる二人が護衛を務めますのでご安心を」
「はい」
見張りだな、と納得する。
ノルンを連れていけない時点でこちらの融通など考慮されていないだろう。
他の子どもの時はどうなのだろうか。何も疑問を持たず従うのだろうか。
自分はこの屋敷の異質さに気付くことができた。
自由にはさせてもらえなさそうだが問題は無い。何せ「一度死んだ」身だ。
この生はあの時からの延長線のようなものかな、と捉えている。これから自分がどうしたいのか、どうしようか特に考えはない。
ただそうではない子ども達は、この先どうなってしまうのだろうかと……とりとめのない事を考えた。結果は変わらない。先のことは誰にも分からないのだ。
「何か確認しておきたいことはありますか」
「そうですね、いえ、ここではありません」
家令に問われ首を振る。
ここでは聞きたいことはもうない。ただ、本家に行った後で知りたいことはあった。
なぜこんな屋敷を作っているのか、理由を聞いてみたかった。
だから、当主とは会って話をしてみたい。それが可能かどうかはさておき、いま一番興味のあることがそれだった。
「では、時間もありませんので隠蔽をかけましょう」
ここではないという言葉を深く言及することもなく、彼はてきぱきと指示を出す。
「隠蔽ですか」
「はい。夜の森を抜けるには少々危険も伴いますので、セレナディア様には気配を弱める隠蔽魔法をかけさせていただきます」
なるほど、と頷く。魔物もこの周辺から捕ってきているらしいし、満月の夜は魔力が高まると言われている。戦闘など、いらぬ騒動は回避しておきたいのだろう。
もしかしたら人目から隠す意味もあるかもしれないが。
部屋にいた他二人の使用人が私の前、そして背後に佇む。前の彼の手元には文庫本サイズの紙があった。
反対からでは見えないが、魔法式だろう。いつも同じ魔法を使っているに違いない。
既に式があるので、構築は容易だ。魔力を注いで発動すればよい。
突然襲った、肌にまとわりつくような違和感。
他人の魔力が身体を覆っているのだから仕方ない。
特に変化はないような気がしたが、自分では分からないのだろうか。
「大丈夫です。すでに効果は発揮されていますよ」
予想していたように教えてくれる家令殿。
「よく分かりませんね」
「傍目からでは魔力の気配が完全に消えています。存在値も薄れていますので、少し距離を置くと見失いかねません」
つまり私はいま、かなり影の薄い存在になっているというわけか。
「いいですか。ここからは我々と離れず」
ガンッ!
ドドドドン!
突如、どこからか地面を揺さぶるほどの轟音が届いた。
声を止めてお互いに周囲を伺おうとした瞬間、窓ガラスが破裂する。
後ろに後ずさろうとするより早く、家令が手を伸ばして自分ごと飛び退いた。
激しい爆音と、顔に熱風が当たる。
仰向けに倒れ背中を打ち付けるが、構わずに素早く起き上がった。側で彼も上体を起こす。
部屋の角から床が崩れ、下から火の手が上がっているらしい。赤い火の粉が足元にまで飛んでくる。
それと同時にもうもうと白い煙が吹き上げてきた。
「ぐっ」
息を吸う前にスカートの裾を割いて水魔法を発動する。
そこで、怪訝に眉をひそめた。
出現した水の量が指定分よりだいぶ少ない。
どういうことか、と思いつつ、重ねて同じ魔法を発動する。威力を数倍にしてやっと必要量を確保できた。割いた布を突っ込み水浸しにすると口元にあて、煙を吸い込まないよう低くかがみ込んだ。
一体何が起きた?
火事か? いや、それにしては規模が大きすぎる。
「セレナディア様」
鋭く呼ばれた名に振り返る。未だに慣れない名前だ。反応するのに少し遅れてしまう。
家令が身を低くしながらこちらに寄ってきた。温度のない表情が、いまはやけに険しく映る。
「魔法が効かない!」
「どこだ……妨害魔法の印を探せ!」
辺りから怒号が聞こえ、ゴホゴホと咳き込む音が混じりだす。まさかと思い、出したままの水を煙の元に噴出させてみた。
当たったと思われる部分から魔力のうねりと消失を感じ、目を眇める。
魔力の霧散。魔法無効化の魔法か。
文献で読んだ中には確かにその技術も記されていた。いくつかの属性と緻密な計算を用いて発動するため、即席では用意が難しく、専ら魔法陣や魔道具に刻まれたものを使用するタイプの高等技法だ。
しかし、奇妙だ。
手元に発動させることには成功した、ということは、この魔法は特定の箇所にしか施されていないというわけだが……建物全域を完全に覆わなかった目的は何だろうか。
明らかに人為的な災害だと分かったが、誰がこんなことを。
煙の量が増えた。
悠長に思考している場合ではない。
火の立つのを眺めていた自分の肩を、家令が強く押し出した。
たたらを踏み、よろめきながら体勢を整え扉に手をつく。
「避難を。必ずお守りします」
険しい双眸がこちらを見据えていた。その部屋からはまだ咳き込む人達の声がするというのに。
煙を吸い込んでは駄目だ。
それを指摘しようとするが、火の回りがさらに強まった。壁の一部が剥がれて落下する。
危ないと思ったのも束の間、彼は周囲に風の防壁を作り煙と落下物を全て防いだ。
「こちらは我々が対処致します。まずは庭に避難してください」
「……わかりました」
冷静な行動に、ここはすべて任せようと頷く。
彼は彼の職務を全うすべく動いているのだ。ならばそれに倣わなければ。
「お嬢様!」
呼ばれて振り返る。開いた扉の向こうから、馴染みの声が、いつものように私を呼んでいた。
表情に乏しい普段の彼女が、廊下に防御魔法を敷いて佇んでいた。
「何とか、この廊下は確保しました」
「ノルン、貴女も早く」
彼女が手を掲げて発動したばかりの魔法は、一定時間継続するタイプの式だ。魔法の持続にも普段以上に負担のかかる状態ならば、早く脱出経路を確保しに行ったほうがいい。
彼女の手を取り足早に進む。大人一人が腰を低くして進める程度の細長い道が風の壁によって確保されていた。そこから一歩でも出れば、もうもうと立ち込める煙と熱風にやられて焼死するだろう。既に通路も火の手が回っているらしかった。
はみ出ないよう気をつけつつ階段に辿り着く。そこで足を止めた。
眼下には、踊り場の付近で天井が崩れ、道が塞がれてしまった通路が見えている。
「……だめですね」
「どうなさいますか」
「他の場所から出られないか確かめましょう。最悪、私も防壁を作って耐えるしかありません」
魔法が効く場所と効かない場所ははっきりしているようで、彼女の結界は、先の通路の途中までしか作られていなかった。
となると、三階建てである以上、下ではなく上しかないわけだが。
「……子供部屋なら、他の場所より頑丈に作られているかもしれません」
ノルンがぽつりと言った。
彼女も上階を睨んでいる。やはり、そう考えるしかなさそうであった。
無言で階段を登る。上に行くとは考えていなかったのだろう、結界が無くなってしまったため、それぞれ自分の身体の周りに風魔法を構築する。
魔力が鈍重になったように動かしにくい。いつもの数倍も神経を使う。
どうも壁の辺りに触れると魔力が霧散してしまうらしく、なるべく中央を選びながら進んでいく。
本当に、なぜこんな魔法を発動する必要があったのだろうか。
考えているうちにいつも通いなれた自分の部屋の前にやって来た。階段を登って一番近い位置にあるのだから当然だ。
彼女に扉を開けてもらい、すばやく身を滑り込ませる。背後では火の手が上がっているのだ、もたもたしていられない。
そう思って飛び込んだのだが、入ってすぐ、その場で立ち尽くしてしまった。
「何も、ない?」
呆然と呟く。
そう、目の前には、火の手も煙の回る気配もない、いつもと変わらない風景が広がっているのだ。
「壁が厚いためでしょうか」
そう疑問を呈しながらあとから入ってきた彼女が扉を閉める。漏れてきていた煙が部屋に広がって消えていく。
そんなわけはないだろうと心の中で突っ込む。この部屋は、階下で爆発のあった位置からそう離れてはいない。
たとえ壁が厚かったとしてもだ、窓から火や煙が見えないのはおかしいだろう。
その疑問を抱いたまま正面の壁に駆け寄る。子供一人分ほどの小さな出窓だ。身を乗り出して外を眺めるには背丈が足りない。
仕方なく、隅にあるテーブルを踏み台にしようと引っ張りだした。それを見た彼女も押して手伝ってくれる。さらに何をするのか悟ったのか、脇に手を通して上に乗せてくれた。
礼を言うよりも先に窓の外を見やる。
右下の方から火の手が上がり、ごうごうと音を立てているのが分かる。だが、すぐそばのこちらには風の向きなのか、その欠片すらやってこない。眉を潜める。
「……奇妙ですね」
返事はない。
取り敢えず今はここから脱出し、屋敷の皆を救出することが先だと気を取り直す。
窓が無事ならここから飛び降りればいいだろう。魔力を手の上に出しても消えることはなかった。やはり出すのは難しいが、できなくはない。その結果を告げるために振り向く。
いや、振り向こうとした。
「…………?」
身体が、動かせない。
ぐ、と力を入れても同じだ。
まるで型に押し込められたような感覚が全身を包む。
「……ァ」
彼女を呼ぼうとしたが、声も出せなかった。口が動かないのだ。
何が起きたのか把握しようとしていると、そっと背中に触れる感触があった。
「失礼致します、お嬢様」
ノルンの声が背後から届く。
仰向けに倒され、お姫様抱っこ状態で寝台へ運ばれる。静かに毛布の上に落とされ、僅かに動かせる眼だけで彼女に訴えるも、何も喋らない。
理由を問いたいが自由にできない身体がもどかしい。思念だけで発動可能な魔法もあるが、ここも妨害されているようで発動するまえに霧散してしまう。
無言で格闘していると、何かを抱えて彼女が戻ってきた。荷物入れらしき袋のようだ。それを私の腹の上に置き、併せて持ってきた縄で身体と袋を固定された。どこから用意したのだ。
最後に、寝具の中から薄い掛け布を取り出し、小さく畳んで乗せられる。これも縄の余り部分で巻き付けられた。
念入りに結んでいる彼女の行動を眺める。あまりに冷静な態度だった。
ああ、と確信した。
全て、彼女がやってのけたのだ。
しかし、なぜこんなことをしでかすのか。移動を妨害したかったのか?
私か、あるいは本家に恨みでもあるのか?
だが普段の態度からは彼女がそうするほど不満を抱えていたようには見えなかった。
それに、かなりの現実主義者だ。敵いそうにない相手を敵に回すとは思えない。
身体をころころと転がされ、小さく頷いている。「よし」という副音声が聞こえてきそうだが、まったくよくない。殺そうという意思はないのは分かったが、どうしたいのか。
言葉を発することのできない様子を無言で眺めた彼女は、ぼそりと何かを唱えた。
ふわりと、重力を失ったかのような感覚を覚え、視界がずれる。背中から寝具の感触が離れ、身体が浮かびあがった。
「ア」
「お静かに」
お静かにも何も一声絞り出すのも精一杯ですが、と抗議したい気持ちは伝わってくれただろうか。
黙々と浮いた身体を壁際までふわふわと移動させ、さらに浮上させられる。
ちょうど背中に小窓がある位置だと把握し、まさか、と彼女を凝視した。
渾身の力で頭を振り、眉を寄せる動作で伝わったようだ。だが、することは変わらないらしい。
パタンと開け放たれた小窓から風が吹きつける。
そして突然懐から取り出した正方形の紙を見える位置に掲げられる。
そこにはとある魔法式が緻密に綴られていた。
物を浮かし移動させる魔法。いくつかの要素を組み合わせる必要があり、持続するにはかなりの魔力を要する。
風魔法の盾。周囲に風の結界を敷き、衝撃を受け流したり弾いたりする魔法だ。
ざっと見通しただけで、それぞれどういう意図のものか予想がついてしまった。
二つを組み合わせ無駄を排除した魔法式は高度かつ美しい。だか、そんな感想を抱いている場合ではない。
正気か、と目を疑う。
この規模の魔法に費やす魔力量を考えると、ここの使用人でも危険値まで消耗するはずだ。魔力を有する者は、体内の魔力が急に枯渇すると生命に危険が及ぶといわれているのだ。
だが何度見ても同じことしか書かれていないし、それを手にする彼女は着々と魔力を練り上げていく。
さらに懐から取り出したものを掲げる。濃厚な魔力を溜め込んだ魔石を。
もはや疑いの余地も無い。
「オ」
ノルン、と呼べたはずだった。
なぜこんなことをするのかと、伝えたかった。
まさか。
まさか私を、逃がそうと?
いつもと変わらないはずの彼女の表情がやけに印象的だった。
背筋を伸ばし、一仕事やりきったようなどこか誇らしげな態度で私を見つめる。
それはまるで私があの死の間際、最期に覚えたような、
「発動」
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