合格通知

 遂にこの日が来た。

 待ちわびていたような、ずっとこないで欲しかったような、複雑な気分だ。

 朝食のあとで部屋で待機し、暫くして呼び出される。

 いつものように彼女を伴って講義室へ入ると、今までで一番多い人数の使用人らが壁際に並んでいた。その中にはベニスの姿もある。

 無表情のまま中央へ向かう。よく魔法の指導を受けていた男が目の前に立つ。記録魔法が使える、私の中の渾名が「家令」になっている男だ。

 にこりともせず、厳格な声が低く発せられる。

「おめでとうございます。貴方様は晴れて試験を通過し、次の満月の晩に御家族の下へ行くことが許されました」

「光栄です。ありがとうございます」

 恭しく一礼する。よく分からないけど嬉しい、そんな表情はできただろうか。いまの私に少女の表情の再現は難しい。

「二週間ほどこの屋敷にて最後の生活を送られる事となられますが、快適にお過ごし頂けるよう誠心誠意、使用人一同心からお勤め申し上げます」

「ええ、宜しくお願いしますね」





 ところでなぜ満月の夜なのか。

 文献によると、一月のうちもっとも魔力の増幅が大きく、力の影響を受けやすいらしい。狼男という存在もこの時によく見かけられるというが、魔力が影響されるためではないかと言われている。

 子供を満月の晩に移す。

 周囲の魔力が煩雑ならば移動中も身を隠しやすいからか、あるいは家に着いて早々何かの儀式を行われるのか。

 後者はあまり考えて楽しいものでもないが、逃げ出さないようにとか、悪くて隷属の証を押し付けられるとかだろうか。この程度しか思い浮かばない己の想像力が悲しい。

 個人の財産というものがないため仕度はあっさり終わってしまう。着替えなども必要最小限さえあれば、向こうで用意されているらしい。背丈についても記録のおかげでばっちり把握されているということだ。便利な魔法である。

 そうなると二週間という時間は案外長い。

 特にする事もなく、頼みを入れていつものように訓練と講義を受けた。

 この日課にも随分と馴染んでいたようだ。

 朝起きた時と夜寝る前にも気の調整は必ず行い、魔素もぎりぎりまで消費する。使い切って回復するのを繰り返すと、魔素の保有量が増えるためだ。

 昼間はいつものように彼女と模擬戦を実施する。

 こめかみに迫る指を皮一枚で躱し、近付いた間合いをそのままに突きを繰り出す。

 難なく躱されるが、連打しているうちは互いに隙を狙って牽制時間に入る。

 長く引き伸ばされたような時間感覚の中で、ようやく相手の速度が落ちた気配がした。

 すかさず隙間を縫って突きを繰り出し、気付いて後退しようとする彼女の鳩尾を思い切り反対の指で突き上げる。

「ぐぷっ」

 空気の塊を吐き出して沈んだ彼女の前で息を整え、一礼する。

「お疲れ様でした」

「……お見事です」

 ここまでできればほぼ基礎は身に付いただろう。

 魔法と併せてこちらも毎日練習しなければ……そう考えていたところで、ゆっくり立ち上がった彼女が乱れた髪を整えながらこちらを見ていた。


 時折だが、何も言わず、しかし何か言いたげな視線を寄越す彼女に気付かないふりをするのも一年以上の付き合いだった。

 態度に出てしまってばれていては無意味だがこの場合は相手が悪いのだろう。普通の子ども相手なら完璧な対応だったのだ。

 今は、どうにもこの手の視線に敏感になってしまっている。

 この綺麗な所作の使用人が側にいるのもあと数日かと思うと寂しさを覚えた。だがここを出ても彼女にはまた仕事が回ってくる。

 ベニスもこれから新たな主人が付くだろう。ヴァイスの件を反省したところで新しい子どもが同じ性格な訳はないし、また「やんちゃ」をしないとも限らない。

 その分、欠片も羽目を外した覚えのない自分の世話をできた彼女は幸運だったかもしれない。

 そうして一つ実績を積むことで、多少なりとも彼女が日の目を見る機会が増えるといい。そう願うことが私からのささやかな贈り物だ。


「お茶で一息つきましょう。ノルン」

「かしこまりました。お嬢様」

 明日の晩には満月が見える。

 そのため明日の日中は移動の準備で忙しいだろうから、ゆっくりできるのも今日までだ。

「この付近の街にも寄れずじまいだったのは残念です」

「街ですか。よくご存知ですね」

「本でよく見かけましたから」

 街というものをよく知っているなという質問であることくらい理解している。

 結局この屋敷で社会や文化を学ぶ機会はなかったので、本の中の知識だと言い訳するしかない。こんな偏った教育方針で将来大丈夫なのだろうか。

「外がどうなっているのか、気になります」

「そうですね」

 静かに肯定する彼女の声にどこか寂寥感を覚えて見上げる。

 こちらを見つめるその視線はとても穏やかだ。

 気のせいだろうか。

 追加してくれたお茶を飲みながらゆったりと寛ぐ。午後の柔らかな日差しの差し込む室内には他の人の気配もなく穏やかな気分になれる。他人から受ける視線は常に評価に関わるが、ノルンの場合、保護者としての視線の方が強くあまり気にならないのだ。

 小皿からドライフルーツを摘み口に含む。酸味の効いた甘味が舌の上に広がった。

 新しい家はどんな所だろう。この辺鄙な森の中に立派な屋敷を構えられるくらいだから、それなりの資産はあるはずだ。

 それにあの膨大な数の魔法関連の書籍。ここでの教育方針も含め、かなり腕を評価する家柄に違いない。

 それも優秀な芽だけ摘むのだから、引き取って早々何かしらの役割を与えてくるはずだ。

 息抜きができるかも怪しいなと自身の将来を案じていると、先の彼女の様子が思い出された。

 どことなく諦念を含んだような口調。あれは、まさにそういう未来があると知っているからではないのか。

 聞こうにも監視が厳しく問うことが出来ない。「何も知らない」でいるはずの自分が訊ねていいのは、この屋敷内で生活していて予測できる範囲までだ。それ以上は全て怪しまれてしまう。

 ふう、と息をつく。

「何か愉快な話でもあればいいのですがね」

「突然どうされたのです?」

「いえ、私の未来は決まりましたから。何かこう、他に明るい事件でもないかと思いまして」

「はあ」

 隣に腰掛ける彼女は気の抜けた声で相槌を打った。

 こうやって同じ席についてくれるようになったのも、何度も声をかけ、説得を試みた成果なのだ。

 四六時中傍にいるわりに食事の時や休憩時間はひとり。

 せっかくならと繰り返し頼み込み、ようやく首を縦に振ってもらえることができてからおよそ半年。いやはや長く険しい道のりだった。

 昨年までに比べてよく話をしてくれるようになったのも、一緒に机を囲むことができたからかもしれない。

 内心で満足げに頷いていると、しばらく黙り込んでいた彼女がふと言葉を漏らした。

「明るい事件、ですか。そんなこともあるのかもしれませんね」

「はい?」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味を問い直しても、彼女は薄く笑うだけだった。

 自分と同じくらい表情を作るのが苦手な彼女が、久しぶりにはっきり分かる顔を見せた。悪戯めいた笑みは、面立ちを少し若く見せる。

「いえ。しかしお嬢様、未来は常に分からないのです。決まったなどと、確信はできかねますよ」

「ふふ。そうでしたね」

 珍しく言葉を改めさせられてこちらも微笑する。

 確かにそうだ。

 だが、それでもある程度決まった道というのはあるだろう。

 とりあえずは少女の身を生かすために努力してみるつもりだが、この少女もまた大変な星の下に生まれついてしまった。

「こんな休息もこれが最後ですかねえ」

「ええ、あっという間でございましたね」






 お嬢様は無邪気だ。

 常に怒り、常に反発し、常に拗ねて、誰かの気を引く瞬間を常に伺っているお転婆な女の子である。

 家族らしい家族は居らず、引き取られた養父の下にはすでに成人した兄と、育ち盛りの兄がいた。彼女は居場所を作る方法を知らず、しかし知らないなりに努力したのだと思う。

 使用人らの間では「困ったお嬢様」の印象を植え付け、新しい家族の前では寡黙な少女に様変わりする。上の兄は関心がなく、下の兄は関わり方が分からないのか避けている節があった。

 引き取ると宣言した肝心の旦那様は多忙を極めており家の事どころではない。

 旦那様が彼女をそれなりに愛しているのは知っていた。時折様子を聞いてくるのだから分かりやすいものである。

 ならば自分の務めは、家族の間を取り持つことだろう。

 幸い彼女の扱いは楽だった。拗ねる子どもをどうするべきか。要は居場所を作ってあげるところから始めなければならないのだ。

 小うるさくとも私のお小言に反応を示すようになり、次第に悪戯が増えていく様子に健康的な成長の芽を実感する。使用人仲間からは辟易した顔をされたが、これくらいのお転婆なら大したことではない。

 旦那様の仕事を下で調整し、空き時間はお嬢様の相手をし、どうにか捻り出した時間で同僚達と腕を磨く。割と充実した生活だったと言えよう。

 そんな時期にリタイアした私を欠いたあの屋敷はどうなったのだろうか。お嬢様はお元気であらせられるか。旦那様は仕事に飲まれていないか。ご兄弟方は新しい環境に馴染むことができたか。

 自分の行ってきた仕事をそれなりに自負していればこそ、自分が欠けたときの影響がそれなりにあるかもしれないと想像をすることができる。しかし、所詮は想像の産物だ。

 ああ、人生とはままならないものだ。






 薄暗い天井。

 なぜ忘れた頃に再び見るのか。

 やけに鮮明に思い出せる映像の最後に、見た覚えのない、ご家族みんなで笑いあう姿が焼き付いて離れない。

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