使用人
「これが光魔法です」
「丸いですね」
「そう、丸いのです。そして通常、これくらいの大きさで保てれば良い方なのですよ」
「……なるほど」
なるほど、だからあの時あんなに驚かれたのか。
彼の掌の上に現れた光は直径三十センチほどの球状で、微かに揺らめきながら白い光を発していた。決して先日自分がやってみせたような直線などではない。
別に直線が悪いわけではないのだが、彼が言わんとしていることも理解できる。
つまり、常識が欠けていると、周囲から受け入れられず浮いてしまうということだ。
それは避けたいので反省しつつ同じような光を出す練習をする。やはりただ行なうだけでは上手く行かないので、懐中電灯ではなく蛍光灯をイメージした。豆電球でもいいのだが何とも弱々しい明かりしか想像できないので止めておく。
掌の上に丸めた球状の魔素が蛍光灯、体内の魔素を粒子と仮定し、スイッチを入れる。パッと明かりが点いた。眩しい。
「……疲れはないですか」
「ないです」
「……では、光量も調整できるようにしましょう」
暗に眩しすぎだという言葉が聞こえてきそうである。彼はそんなことを言わないが。
明るくなった室内の原因を目を細めて眺めながら、先は長いと感じるのだった。
そんな風に初級魔法を習っていたのも数ヶ月前までの話だ。
厳しい寒さが深まり、いよいよ最期の仕上げと言わんばかりに訓練内容も複雑になってきている。特殊分野を除く全ての属性魔法を偏りなく学び、組み合わせた発動もできるように座学もややこしくなってきた。月日の流れは思っていたよりも早い。
この短期間に新しい子どもは増えなかった。減る事もなかったので、穏やかな時期であったといえよう。
子どもが減る時は、何となく屋敷内の空気が重くなる。使用人の誰もが深く問いかけてくるな、と拒絶している気配を放つのだ。
分からないでもない。幼い子に無邪気に理由を聞かれて答えられる範囲など、たかが知れているのだろう。
そんな無駄な事で自分の側仕えの心労を増やしたくはないので、なるべく質問は限定している。
そのお陰か、彼女は他に見かける使用人達よりいくぶん言動に穏やかさがあるように見える。これは自分を褒めていいと思う。
ただしそう感じるだけで、決してこちらに歩み寄ってくれる訳ではないところがミソだ。まあ、それに対して別段思うことはない。監視役としての職務を全うする姿は感心こそすれ、咎める事ではない。たとえその監視対象が自分であったとしてもだ。
だから彼ら使用人達が自身の職務に於いて至極もっともな疑問を呈するのも理解できるのだ。
以前、このように問われたことがある。
「貴女はどのような自己学習を行っているのですか」
そう、理解できても答えようがない事象というものもある。
「ご存知のように、書物で予習するのが精一杯です」
馬鹿正直に前世の経験につられているのです、などと口が裂けても言えない。蛍光灯事件の他にも色々とやらかしているが、せめてそれらしく、もっともな事を説くしかない。
「そうですか。では今は何を読んでいるのです?」
「竜剣騎士物語です」
「………なんと?」
「はい、竜剣騎士物語ですが」
まだ疑う目で見られているが、嘘を吐いているわけではないのだ。こちらとしては真っ直ぐ見つめ返すしか無い。
「そんな書物がありましたかね……」
「埃は被っていましたね、隅の方で。なかなか読み応えのあるお話ですよ」
「はあ。いえ、えー、予習しているのでは?」
「勿論、とても為になっておりますが」
彼はこの屋敷で指折りの使用人で、家令的立場として働いているらしい。記録魔法を使える唯一の人間である。彼の前で取った行動は記録され家族に転送されているようなので、特に注意しなければならない。
事実、冒険譚ほど為になる書物も無いのだ。
学術書は仕組み・結果を学ぶには良い教材だが、難しい言い回しが多く、ある程度魔法を嗜んでいないと何と何を掛け合わせた魔法かも分からない事がある。しかも実際はどう使えば良いのかそこから読み取るのは難しく、書かれている内容をぶっつけ本番で試してみるしかないのだ。
引き換え物語は、たとえそれ自体に意図は無いにしても、魔法がどのように生活に使われ、また、戦闘に用いられているのか垣間見る事ができる。笑えない現実だが、この世界ではファンタジーはノンフィクションだ。ドラゴンも妖精も実在するというし、物語の多くは各人の自伝だという。そんな有益な情報がふんだんに載っているのだから、優先して読み耽るのも道理だろう。
「竜の牙を加工する魔法式の掛け合わせなどはとても参考になりました」
「ああ、成る程。……道理で以前、あのような結果になったわけですね」
どこか遠い目をして呟かれるが、一体どの結果の事を指しているのだろうか。やや心当たりが多過ぎて決めかねる。
冬の凍てつくような寒さが時折和らぎ、少しずつ日照時間が伸びる頃。
その悲報は突然もたらされた。
「ヴァイスが?」
「はい。既に手続きは全て済んだようです」
あっさりと答えるが、知っていたとしても事が終わるまで教えるつもりはなかったに違いない。
まったく気付かなかった。何部屋もある屋敷とはいえ、同じ家に住んでいてその気配すら察知できなかったのだ。あまりの手際の良さに寒気すら感じる。
手続きという柔らかな表現でも処分という明らさまな表現でも同じことだ。
今年もまた一人、適応できない子どもが出た。言葉にしてしまえばそれだけのこと。
しかし、今回は多少顔見知りだったこともあり、ついいつもより考えてしまう。
あの時、自分が彼の行いを止めていれば結果は変わっていたのかもしれない。
それでも終わったことは変えられない。
元々少なかった人数がこれで四人だけになったらしい。
一人は少し年下の少女、一人は二歳半ばの男子、最後はまだ幼いため乳母と共に子供部屋で躾を受けているそうだ。一歳を過ぎた頃だそうだが、そんな幼子にどんな躾が可能というのだろうか。
流石に記憶が曖昧で思い出せないが、自分もそれをされてきたのだと考えると、背筋が寒くなる思いだ。
翌日、講師の中にヴァイス付きだった彼の姿を見かけた。
新たな主人が付くまでは雑務をこなすようだ。今いる子どもの一人が男子だからそう先の話ではないだろう。
側仕えを引き連れ書庫に寄ったところで鉢合わせるとは思わず、彼の名を呼ぶ。
「ベニス? 仕事中に失礼しました」
「いえ、資料を探していただけですので。こちらこそ失礼を」
卒なく一礼するが、彼の動作はどこか気品があるというか、動きにキレがある印象を受ける。
面白い事に、ノルンは同じ事をしてもキレというものは感じない。気品もあるにはあるが、埋没する所作というか、敢えて気配を断つように注意している印象だ。
どちらもそれぞれ素晴らしい技量であり、以前の立場なら衒いなく褒めちぎっているところだ。そしてあらゆる手段で自分の勤め先に引き抜きを掛けていたに違いない。
「実務も大変そうですね。どの資料でしょう? この辺りでしたら読み通しているので仰って頂ければ見つけられますが」
呆気にとられたような顔をすぐさま隠して御礼を述べる時間的誤差も違和感を感じない。本当、どうしてこんな辺鄙な訳あり住宅に勤めているのだか。もったいない。
ヴァイスのことで落ち込んでいるかと思いきや、彼はいつもと変わらなかった。
「助かります。題名は無いのですが、魔法陣の構造的欠陥について論じられた項目のある……比較的新しい魔術論文ですが」
「分かりました。この背表紙だったかと思います。お確かめ下さい」
教えてもらった内容を記憶から引き出して該当する物を指差す。背は低いが、こういう時身分というものは便利である。取り出すのは使用人の仕事なのだ。
一発で当てたことに動きを止め、さらに取り出した本を捲って改めたところ正解だったようでもう一度動きを止めてこちらを凝視された。
もの言いたげな視線だ。
「何か」
「いえ。御無礼を」
どことなく歯切れが悪いが、所在を当てただけでそこまで驚かれる方がこちらとしては心外である。
そう思っていると、何故か背後で彼に同意するように小さく頷いた彼女の姿が曇りガラスに映っていた。
「ヴァイス様はいつ頃いなくなったのですか?」
するりと訊ねてみたが無駄だった。
気配が強張るのを感じつつも、気づかない振りをして様子を窺う。
「先週の初めです」
「そうだったのですか。最近は全くお会いしなかったので、情報が何も入って来なかったのですよ」
「そうでしたか」
……ああ、これは駄目だ。
暗く、重い空気を無視できるほど図太くはない。
「ベニスは殿方の側仕えというのはどんな感じでしたか? 私は女子ですから、勉強に違いがあったりするのでしょうか?」
話題を変えて彼の気配をほぐさなければならない。
「そう、ですね。いえ、特に差は無いはずです。ただ男子というものは幼い時分はお身体を壊しやすいですから、充分気をつけなければいけませんが」
「おや、それは私もつい先日やらかしたばかりですね」
訓練中に放心し、その後高熱に魘されたのは記憶に新しい。
そう言うと、彼が苦笑した。場の空気がようやく元に戻ってきたように感じる。
「無神経なことを言ってしまいました。あの時はどうなる事かと周囲も気が気でなかったものです」
「そうなのですか、ノルン?」
「確か……私は周りを気にする余裕が無かったので」
そうだったのか。私にはいつものように卒なく世話をする彼女の姿しか分からなかった。
だが、それからというもの、以前に増して体調を気にかける台詞は確かに増えたように思う。少し咳をするだけで羽織物を持ってこようとするのだ。
過保護というか、それだけ気にかけてくれている証拠なのだが、その分、自分の職務以外には注意が散漫なのかもしれない。
「こう見えてノルンは最低限にしか周りを気にしませんからね。ベニスほど周囲に気を遣ったりしないのですよ」
「そのような事はございません、お嬢様」
「ほお」
彼から興味深そうに見られ、表情は変わらないが若干居心地が悪そうにしているのがわかる。
少し言い過ぎたかもしれない。最低限にしか気を配らないことが、仕事を放棄していることには繋がらないのだ。
「己の職務の中で、大事なことを果たすのに一生懸命なのですよ。それだけで優秀さが分かるというものです」
彼女の素晴らしさが伝わればいい。
評価されるべき人間が適切に評価されないというのは失礼極まりない。
少なくとも私は今までそのように教育を受けてきているのだ。昔も、今も。
やや胸を張って彼女をお薦めしたのだが、彼は呆気にとられたように彼女を見ているし、彼女は口を真一文字に結んで目を閉じている。……照れだろうか。
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