差異

 窓がなく、広さはあるはずなのに圧迫感のある部屋の中央で、肩幅に足を開いて肩の力を抜く。

 自分の立つ位置から半径一メートルの円状に拳大の石が何個も転がっている。

 そのひとつに目線を定めて呼吸を整える。

「四日前の成績は二十個でしたが、病み上がりでしょうから調整の日だと思いなさい」

 斜め後ろから掛けられた言葉に小さく頷く。声を出すと気が乱れるのだ。

 見た目の大きさに反してかなりの量の魔素を留められる石に意識を傾ける。

 この作業は魔法を扱うための前段階の訓練で、体外の魔素を体内に吸収・維持し、任意に指定した空間へ放出する基本操作に当たる。

 この世界に当たり前のように存在する魔法、それを最大限に活用するためにはこうした基礎訓練が欠かせないそうだが、出入りを繰り返す魔素の濃度変化に体調がどんどん悪くなっていく。

 一つ目の石から魔素を完全に吸い出し、体内に収めたものを自分の魔力で染め変える。そして、今度はその魔素を空っぽの石へ注入する。これも隣り合う石や空間に漏らすような無駄をしてはならない。

「次」

 声を掛けられ、右隣の石へ意識を移す。同じように入れ替えを行う。

「次」

 その後も繰り返し同じ作業を続けていく。呼吸が不規則になり、胃がせり上がる感覚が襲ってきたところでようやく終了の合図を受けた。

 質が変容した石が並ぶ様を眺めながら深く呼吸を整える。不快感があまり気にならなくなるほど落ち着いてから振り返ると、長身の男がじっとこちらを観察するように眺めていた。

 観察するような視線は、後ほど記憶映像として残すためだ。この魔法は高度で副作用も起こしやすいため、この屋敷では耐性のある彼しか使えないらしい。

 沈黙が長い。

 明らかに原因が分かっているので居た堪れなさが襲う。表情に出ないよう口元を引き締める。

 言われるままにやるしかなかったとはいえ、石の数は今までで最も多い数、いや、並べられていた分は全て染めたのだから。

「……素晴らしい成績です。この結果を維持できるように」

 さらに向上するように、でいつも締めくくられる言葉が、現状維持を命じるだけとは。





 実習を終え、出迎えの使用人と共に通路を歩いているうちに先程の原因について考える。

 明らかに魔力の操作というか、気の整え方が進歩している。

 体内を巡る魔素の流れを細かく調整することで濃度の変化に酔わないようにするのだが、その調整が前よりはるかに上達した気がする。お陰で限界まで身体を酷使できたし、反動も思ったよりは少ない。

 気持ちの乱れはほとんどないし、言われるままに行うことへの精神的負担もよく分からなくなった。記憶を得るまでは確かにあったはずなのだが。

 どちらの精神に引っ張られているのか新たに悩み始めたところで、向こうの扉から人影が出てきた。

 ノルンと同じ格好の使用人が扉を支え、後から子どもが現れる。こちらに向かってきたのでお互い脇に避けて通り過ぎた。

 挨拶すらないが、それを不快に思う者はいない。

 自分より少し幼いと見える少女の冷めた表情を去り際に眺め、彼女らが出てきた扉を潜った。

 中央に位置する整えられたテーブルと食器の数々の前に座れば早速スープやらパンやらと運ばれてくる。相変わらず栄養重視の品目に飽きてきた、と感じたところで、具を掬おうとした手が止まる。

 ここで生活していてそんなことを考えたことはなかったはずだ。

 前の毎日変わる料理を堪能していれば、舌が肥えるのは仕方がないのかもしれない。昔の記憶を振り払って食事を再開した。せめてスープの味くらい変えたいものだ。


 朝食後の座学も終え、午後には再び実習が始まる。

 初級魔法を延々繰り返すだけの反復練習なので、早朝のように記録は取られない。

 手を前に伸ばし、魔力操作で魔法を構築する。

 過去散々唱えてきた詠唱は最近はもう必要ない。魔法式さえしっかり思い描けば発動は容易かった。

 ふわり、と手先に球体状の渦が生じる。

 人の頭ほどもあるその渦を相手にぶつければ、弾かれるか巻き込まれて千切れるだろう。

 風を起こす魔法を指示通りに操作している最中、傍に控えていた男が僅かに首を傾げたのが見えた。

「この程度ですか」

 練習を終えたタイミングで開口一番にそんなことを言われる。

「更なる努力に努めます」

 申し訳なさそうな顔で返しておく。

 恐らく今朝の評価を聞いて期待していたのだろうが、これ以上悪目立ちしたくない。

 魔法の能率が上がったなんて周知されれば、間違いなく最後の審査は高評価で通過できるだろう。これまではそれでもよかったかもしれないが、前世を含めた経験を総動員して考えてみるに、相当問題があるように思うのだ。

 今なら規模を屋敷の高さほどにまで広げられそうな魔法をあえていつもの大きさに抑えるほどには。






 魔法。

 それは、この世界で当たり前の顔をして受け入れられる常識の一部。

 前世では有り得ない、摩訶不思議な現象だ。

 この屋敷しか世界を知らない自分も、それが当然と教えられ、日々一人前の魔法使いになれるよう教育されている。

 何でも、魔力がある者が制御に失敗した時に大変な事故を引き起こすので若い頃に訓練するのが常識らしい。

 しかしそれだけ便利な力でもある。だからこの屋敷内でもほとんど全ての使用人が魔法の扱いに長けていた。

 火を起こすにも魔法、水を浄化するにも魔法、雨の日の洗濯物を乾かすのも魔法、魔物から身を守るのも魔法、子供を寝かしつけるのも魔法。魔法、魔法、魔法有りき。

 そんな原子炉の如き依存度を誇る魔法が、この世で軽視される訳があるだろうか。なればこそ優秀な使用人は同時に優れた魔法使いであることが求められる。優れた魔法使いであれば、それだけ就職先に困らなくなる。

 さて、そんな世界に再び生を受けたらしい自分も、この屋敷で毎日のように魔法の練習をさせられている。

 同じような子ども達が何人かいるのだが、「支障があった子」は風の噂で何処かへ移動されていったと聞き、それ以来見かけなくなる。

 残っているのは、大した娯楽もなく、常に使用人に張り付かれ、厳しい評価を聞かされてもしがみついてこられた者だけである。

 幼いながらにこれが常識だと叩き込まれ、何が悪いのか、何を求められているのか肌で感じ取る。

 失敗すれば叱責を受ける、そんな体験は未熟な身体には辛いものだ。自分も本当に小さな頃はよく泣いていた覚えがある。

 そして使用人達は言う。

 六歳になった時、健康で特に問題もなければ家族の元に帰ることができると。

 当時、家族の意味を知らない自分はそれが何か問うた。曰く、血の繋がりがあり、何かあればお互いに助け合う、共に暮らす仲間だと。

 見返りもなく助けてくれる存在とはどんなものだろうか。

 屋敷にはない知識だが、自分もそこに入れるのなら今の努力も無駄ではないと思えた。……そのようにしてこの屋敷に連れてこられる子ども達は努力する。

 ところが、今の私は二人の記憶がある。

 この際、死の危機に瀕した少女の命が消えて空の器に私が宿ったのか、そもそも最初から私自身がここで産まれ落ちたか、はたまた二つの意識が融合したのかは問題ではない。

 重要なのは、過去の少女の記憶を辿った時、「私」の直感が、あの時、家族とはお互いに助け合う存在であると語ってくれた使用人の態度に失笑めいた感情を感じたことだ。

 助け合う存在になるために、親元から離し、徹底的に管理し、生き残った者だけが家族として迎えられる?

 それはどんな温かい家族だろうかと、今なら使用人の考えていた事も想像がつく。

 いずれにせよ明るい未来ではないだろうと当たりをつけ対策を講じるほかない。だから下手に目立つような真似は避けておきたい。





 水平に構えたナイフを短く薙いで身を傾ける。飛び込んできた獣の腹が真一文字に引き裂かれ、噴き上がった血飛沫が肩越しに地面へ飛び散っていった。

 ずしゃっ。

 背後に血を避けて態勢を整え立ち上がる。音のした方を向くと、今しがた倒した四足の獣が痙攣しながら喉奥で唸りを上げていた。

「汚れを避ける暇があるのなら、一息に殺しなさい」

「はい」

 壁際から指摘され頷くと、素早く近寄って喉元を裂いた。完全に事切れるまで構え、息を止めたのを見届ける。

 呼吸を整えている間に、壁際から声を掛けられた。

「いつもより動きが良くなっていますね」

「よく寝て身体が軽いんです」

「そうですか。明日も同じ魔物を用意しますので今日と同じようにお願いします」

「分かりました」

 文句も言わず首肯する。

 一般に魔力を内包する害獣を魔物と呼び習わすそうだが、この屋敷では三歳にもなればナイフ片手に狭い個室で戦闘を強いられる。

 確か当時の記憶では、この世は魔物が跋扈して危険だから、一人立ちするには自分で倒せるようにしなければいけない、だったろうか。口を酸っぱくして説かれていた。

 抵抗しようにも問答無用でカリキュラムに組み込まれているので、逃げた子供は「いなくなった」。

 最初は牙も爪も取り除いて弱らせた小物から、慣れてくればハンデを減らし数を増やし、中型を投入していく。戦い方は何でもよく、物理的に刺そうが殴ろうが、薬を振りかけようが、魔法を浴びせようが自由で、最終的に殺せれば問題ない。

「………」

 いま改めて考えるに、これはその行為そのものに慣れさせるために行なっているのではないか。

 生き物を殺すことへ躊躇いをなくすために。

 しかも、最初から襲われる恐怖はあれど殺すことへの罪悪感は薄かったように思う。「褒められたことではないが必要ならばやる」程度の感覚だ。

 ただいつものように殺し終え、何事もないような顔をして刃物を預けた。

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