子供

 何時ものように午前の座学を終え、昼を挟んで庭に出る。

 日差しが柔らかく降り注いでいるこの時間は、主に身体を動かすことを命じられている。

 ただ熱中させる気はないのか、いずれも軽度の運動に留まり、フェンシングも基本的な動作を覚えさせたらあとは打ち合うだけで、発展的な練習までは教わらない。

 正直に言おう。

 全く、物足りない。

 なぜ魔法学習にあれだけ力を注いでいるのに、身体作りに精を出さないのか、勿体無いにもほどがある。

 その上、やらされるのがフェンシングである。魔法との相性からしても無駄だ。騎士道精神を養う暇があれば護身術でも叩き込んだ方がまだしも有益な時間になろう。

 体調不良から復帰して初めての練習時にそう結論付け、翌日にノルンを説得したのだった。

 幸い魔法に関わらないことには頓着しないらしく、この時間は監視の目も彼女しかいない。

 いつものように道具を持ってきた彼女を見て首を振る。

「ノルン、今日は気分ではありません。庭の散策がしたいです」

「畏まりました」

 素直に細剣を隅に置いて背後に張り付く。まさにお目付役の鑑のような動作だ。

 のんびりと庭を歩き回った。

 とはいえそれほど大した敷地ではない。菜園が広がり、花々は申し訳程度にしか植えられていない。柵がある縁まで行き、その先を眺めれば一面に広がる木々が見える。

 門の先に整備された道が見当たらないのは、ここの者達が逃げ出すのを防止している可能性がある。

 そして、外部から隠す意味も含んでいるのかもしれない。

 そんな敷地内をぐるりと一巡し、さて、と腕を組む。

「特に面白いものも無いですね」

 否定も肯定もせず控える彼女を振り返る。

「ノルン、フェンシングは次の評価に必要ですか」

「いいえ、必要ではございません」

「なら、あまり興味がないのでやめたいのですが」

「構いませんが、代わりに何をなさいますか」

「魔法の練習です」

 その時、初めて彼女が非難するように首を振った。

「お嬢様は朝と午後に充分に訓練がございます。その他の時間は、魔力の回復に当てないと最後の訓練で力を発揮できなくなります」

 まさに正論である。

 一日のスケジュールがそのための目的で組まれているのは知っている。

 このように言われるのは分かっていた。だが肝心なのはそこではない。

 少し首を傾げて思案げに視線を巡らせる。

「ですが少しでも成績に繋がることをした方がいい気がするのです」

「期日が迫って焦るお気持ちは分かりますが、今のお嬢様でしたら心配することはございません。問題なく合格するでしょう」

 え、と内心で瞠目する。思った以上に自分を買ってくれていた。

 そんな驚きはおくびにも出さず、やや不満げに訴える。

「その時が来なければ分からないではありませんか。何かしていなければ不安なのです。せめて、何かないでしょうか」

「左様でございますか……」

 今度ばかりは彼女も途方に暮れたように視線を上向けた。だがどうすればよいか考えてくれているようで、否定するつもりはないらしい。

「しかし、やはり魔法だけはやめた方がいいでしょう。またお身体を壊しかねません」

「はあ。そうですか……やはり、体力をつけなければ話にならないということですね。フェンシングは飽きましたけれど」

「別にフェンシングをなさらずとも良いのですよ」

 苦笑気味に言われる。いつもより人間らしい態度が表れている気がしつつ、それなら、とさらに言葉を重ねる。

「でしたら女性でも身を守れる練習をしたいです。殿方と違って力もないですし、体力がつけば魔法の負荷にももっと耐えられますよね?」

「護身術を学ばれたいということですね。ええ、それでしたら結構でございます」

 問題なしと太鼓判を押してもらって安心する。問題がないということは、教えてくれる人材にも心当たりがあるということだ。

「ノルン、もしかして教えていただけるので?」

「勿論でございます。お嬢様」

 予想通り、その道にも精通しているらしい彼女から直々に教えてくれることとなった。作戦成功である。






 こうして剣技の代わりに体技が日課に組み込まれ、生前行っていた訓練を取り入れてもそこまで不自然では無いところまで運ぶことができた。

 とはいえ、この身体は余りにも非力だ。力を受け流したり受け身をとる際の動作に必要な筋力さえ無いのだから、まずはそこから付けなければ以前のような身のこなしは難しいだろう。

 単純な筋トレや走り込み、加えて呼吸法を基礎としつつ、ノルンからは無手を学ぶ。

 空手に近いものを感じるが、似たような文化を有する国があるのかもしれない。ここの生活様式も明らかに欧風だし、もしかしたら日本も存在するやもしれぬ。

 まだ「日本」ですら無いかもしれないが……そんなことをつらつら考えながら足を捌き半身で彼女の脇に入り込む。トン、と肘を叩き流してそのまま前方に投げ飛ばした。

 宙を一回転して仰向けに倒れたが、綺麗な受け身で衝撃を流す様は流石の一言に尽きる。

 動きに無駄がなく、見ていて惚れ惚れする所作だ。

「………まさか一本取られるとは」

 呆然とした調子で小さく呟く声が聞こえてしまったと焦る。

 この体格差で明らさま過ぎただろうか。あまり考え事をしながらやるのは良くないなと反省し、上手い言い訳を考える事にする。

 彼女の教えが良いから? いや、それはそうだが、まだ教わってから二週間程度、やっと組手らしき様を呈してきた段階である。しかも教わっていたのは空手のはずなのに、投げ技を返してしまった。ロングスカートを履いたまま試合うと柔術の方が都合がいいと身体が勝手に判断してしまったようだ。

 では私に才能があった? いやいや、魔法より才があると自分から自慢してどうする。魔法のために鍛えているという外聞を踏み外すのは得策ではない。

「脇が空いていると思いましたので。簡単に入り込めたのですが、もしかしてわざと?」

 ならばここは彼女の実力に対する話題に切り替えるとしよう。

 図星だったようで、小さく苦笑して起き上がり、背中についた埃を払った。最近よくこういった表情を見かける。

「はい、気付けたら次にどう動くべきか教えるつもりでした。が、この体たらくです。私の見通しの方が甘かったようですね」

 次はもっと上方修正するか、という副音声が聞こえた気がした。

「たまたまですよ。ですので期待しないで下さいね」

 釘を刺しつつ距離を置いて構え直す。

 やや息が上がってきたが、これくらいでバテるようでは話にならない。呼吸を整えつつ、次の初動に気を張る。

 その時ふと、なんとなく視線を感じて振り返った。

 屋敷から出てきたらしい少年と側仕えらしき男が、遠目からこちらを見ていた。

「止めますか?」

「いえ、続けましょう」

 首を振り制止する。

 いいのか、という顔を引っ込めた彼女はすぐに気配を整えた。

 瞬時に気を整える、これができる人間は本当に少ないのだ。

 教育現場として申し分ない環境なのは間違いないのに、と内心で嘆息する。






「いつもこのような事を?」

 頭上から降ってきた声に顔を上げる。先ほどこちらを観察していた少年が地べたに座る私たちを覗き込んでいた。

 彼は確か自分と同じ時期に入ってきた子供だ。

 やけに丁寧な言葉遣いに違和感を覚える。

 まるで、大人を相手にする口調だ。

 産まれてすぐ教育が始まるらしいし、読み書きも四歳くらいにはさせられるから、ここでは別におかしなことではなないだろう。

 ただ、過去出会ってきた幼い子たちと比べるとあまりに差があるだけだ。

 自分も似たようなものだが……前世の記憶と混じった今ではどこまでが少女の素であるかよく分からない。

 一通りの組手を終えて休憩に入るところまで視線はずっと感じていた。何度かノルンが手を止めようとする気配がしたが黙って続けさせた。

 もし彼が興味を持ったら単純に練習仲間ができると考えたのと、ひとつ、確かめたいことがあったから。

「はい。最近やり始めたのですが」

「これは何をしているんですか」

「身を守るための体術を学んでいます」

「僕もできますか」

 挨拶もなく、口早に質問してくる。こういう所は歳相応の態度なのだなと思いつつ、どうしたものかと考える。思ったより状況が悪かった。

 まず、私の側に控える彼女の気配が怜悧に変貌した。

 気のせいかもしれないが、いつもの単調な気配や呆れたような態度ではなく、口を引き結び、私と彼の会話を注意深く観察しているのだ。

 そして、影のように少年の後ろに控えていた青年もまた、少年の頭の辺りを目を細めて眺めている。

 不穏な空気を感じ、おもむろに頬に手を添えた。

「私は体力を補うため、魔法に耐えられる素地を作るため、そして女性であるがために鍛えているに過ぎません。私の一存ではどうにも……」

 言外に熱意ではなく必要義務として行っているのだと匂わせつつ、否定も肯定もしないことで自主性などないと示した。そして自分以外の誰かに問題を投げ渡すために視線を彷徨わせる。

 少年の後ろに控える彼と視線があった。

「………どうなさいますか、ヴァイス様」

「やる」

 くるりと反転し、自分の側仕えを見上げる様はまるで散歩を期待する子犬のようだ。

「ベニスもできるんでしょう? 僕に教えて下さい」

「ご命令とあらば」

 命令でもなければやりたくなさそうに一礼するところを眺め、ノルンと視線を交わした。もう次の講義まで時間がない。

 丁寧に立ち上がり埃を落とした。

「殿方でしたらすぐ上達するでしょう。では、私達は勉強の準備に参りますので失礼します」

 そそくさと玄関に向かうも特に引き留められることもなかった。

 ちらりと振り返ると、使用人のヴァイスにやり方を聞く少年のどことなく無邪気な顔があった。

 それに対して説明する彼の固い横顔を認め、やはりあれはまずいのかと口許を引き締めた。

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