第13話 敵地攻略3

 ラニはひとしきり笑い 溜め息をつくと、私をベッドの上に引っ張り上げ、半ば自分の胸に乗せた。片手を私の髪に差入れ、私に上を見上げさせる。同じシャンプーの匂い、そして彼の肌の香り(匂いではなくあくまで香り、同性同士なら分からない香り)がする。「君は本当に面白い!」吐息が顔にかかった。同じスコッチの香り。

「それに実にトリッキーだ!」また愉快そうに笑った。「そんなに面白い?」彼は目を閉じて、私の髪を撫ではじめた。私はそれだけで心地よくてたまらない。「いや、今のは自分を笑ったんだ…。こんなに細い、格闘技の基礎も知らない女の子にひっくり返されたんだ」「中学生みたいなね!」私が混ぜっかえすとさらに笑った。「その中学生に、勝つための心得を教えたのは僕だしね」私は彼の胸を軽く叩いた。

ラニが髪から首筋、肩へ手を滑らせ、私の腕をしっかりと掴んだ。「臆病なくせに大胆な事をするし。今だって、こんなに緊張しているじゃないか。全身が硬い」その手を私の首筋に戻し、二本の指でマッサージしはじめる。彼の大きな手なら、私の首には指2本で充分だ。(ああ、でもなんて上手なんだろう!)

 何とも言えない状況だった。私は彼の胸に頭を乗せて、肩から腕、掌をもみほぐされている。仕事で一日中鉛筆を握っていた手の強張りがとれていくと、全身の緊張もとれ、強烈な睡魔に襲われた。彼にこれ以上のことをする気がないのは明らかだ。私は部屋から出るべきなのはわかっている。でも眠気はあまりに強く、心地良さは抗いがたい。(…そう言えば、高校の国語の先生は空手部の生徒によく肩を揉んでもらっていた。空手部が一番上手いからって。本当にそうだ)


 ラニに起こされて目が覚めた。気がつくと、彼に背中を預ける体勢で横になっていた。彼の右腕を枕にして、さらに左腕をがっちり抱えている。昨夜はあのまま眠ってしまったらしい。「リセン、起きたなら離してくれ。困っている」慌てて離すと(彼の手を脚の間に挟んで、しっかりホールドしていた)ラニはバスルームに立った。(…そ、それはお困りでしたでしょう、すいませんでした!)

 シャワーの音が聞こえる中、私はうとうとしている。心地良くて起きたくない。(考えてみて、世界中でこんなに安心して眠れる場所はほかにある?)彼がバスルームから出て着替えている気配がしても、私は目を閉じていた。

 「君、いい加減起きなさい」顔に冷たい物を押し当てられ、観念して目を開けた。いつものような何の感情も無い声だ。私は起き上がり、ベッドの上に横座り(バスローブは下部がキュロットのようになっていてはだけにくい。ご安心を)すると、グラスを渡された。彼はボトルのままペリエを飲んでいる。私も一口飲んだ。顔にかかった髪の毛を払うと、寝乱れてボサボサになっているのに気づいた。編まずに寝たからだ。ラニは飲み終わったボトルをキッチンに置いてきてから、私の隣に座った。「向こうを向いて」私が顔だけ向きを変えると、脇の下に手を当てて持ち上げ、座り直させた(赤ん坊のように)。私も幼児のようにグラスを両手で持って炭酸水を飲む。(何するのかな?)

 彼は私の髪を手で梳きはじめた。丁寧に整えてから、小指の先で少し髪をすくうと、最初はぎこちなく、後は迷いなく髪を編んでいった。編み終え、毛先を留める物をどうしようか考えていたようだったが、ラッピングのリボンを持ってきて、それを結んだ。私は自分の髪に触ってみる。編み込みが完成していた。

 (何もせず)抱っこされて眠った、髪を結ってもらった。(これって、中学生どころか園児の扱いでは?ひょっとしてこの人子持ち⁈いやそれより、この人難攻不落だわ。攻略失敗だわ)面白いって言われたし、電池の要らないおもちゃ説正しいかもしれない。意気消沈して頭の中真っ白で、間の抜けた事を言ってしまった。「えー上手!編み込みなんてした事あるの?」振向くと、ラニはいつものように無表情で私を見ている。「帰り仕度をしなさい。送って行く」と言った。


 リカのモットー『例え最終的に逃げられたとしても一口だけでも噛みちぎれ!』が心の中に聞こえた訳ではない。サンクが言うように、彼は外国人だ。それにこんな凄い人(素晴らしく頭が良く驚異的に器用で有能だ…)が私をまともに相手にするはずがない。"嫌われたらどうしよう"も、"関係が続かないかも"もない。それが私を怖いもの知らずにしたようだ。彼に抱きついて言っていた。ラニが体を少し強張らせたが、それも無視した。「嫌だ帰らない、今晩もここで寝る!ラニと、今度はこれもそれも無しで!」バスローブと彼の服を引っ張った。

 すると、彼は意外な事を言った。私に抱きつかせたままで。

 「Perche’?(なぜ)」


 「なぜ?」黙っているとしつこいくらい何度も訊いてきた。ああそうだ、昨夜 意外な展開になって言いそびれていた。それに、イタリア語はこんな場面で困らない言葉ばかり知っている。(イタリアのポップスのあるグループが好きで、それでイタリア語に興味を持った。まあ、あの国の歌って言ったらねぇ)簡単な言葉。(日本語で言うよりもずっと容易いじゃないの。照れもなく恥ずかしくもない)。何故悩んでたんだろう。

 「…Ti amo」ラニの上唇にある傷跡を知っている。自分でもやり過ぎではと思ったが、そのあたりにキスした。

 私は目を閉じていたが、彼は私の事を見つめているのがわかった。いつものように言葉を聞くより、表情や仕種を観ているのだ。キスに応える様子もない。だけど、もう体を強張らせてもいない。私の手を取りゆっくり自分の体から離し、立ち上がった。軽く手を引いて私も立ち上がらせる。「帰り仕度をして、ガレージに来なさい」相変わらず無感情な声。やはり振られたか、仕方ない。ふと見上げると、ラニが微笑んでいた。

 やっぱり笑うとなかなか男前じゃないの、などと思いながらラニの部屋を出た。その時(やっと)気がついた。昨夜は私を追い出そうと思ったら、いつでもそう出来た。寝落ちした私を母屋に連れて行く事だって、彼には造作もない事。さらに、もう他のみんなは私がラニの部屋で一晩過ごした事はわかっているはずだ。さすがの彼でも、それがわからないではないだろう。

 戦いにおける心得その1の補足、敵を追い込むならば退路も断て。(あれっ、ラニったら自分からハマったの?)

 勝手口から母屋に入ると、マオが待ち構えていた。「リセン、昨夜ラニの部屋で何あった?今朝太陽が西から昇ってないか確かめたよ!」にやにやして言う。「まあ確かに天変地異の前触れに思えるよねー」思い切りの満面の笑みを返してやったら、それ以上何も言われなかった。(ふん!)

 荷物を置いてある寝室に行って着替えていると、リカが入ってきた。「えー、その髪の毛ラニがぁ?」リカは私の不器用さをよく知っている。答えないでいると身体をぴったりくっつけてきた。「…なぁなぁなぁ!どないやった?どないやった?」リカの場合は笑って誤魔化す事は出来ない。「とても」「うんうん、とても?」「立派な」「立派な?」「上腕二頭筋!」「アホ!」リカが地団駄を踏んだ。荷物を持ってさっさとその場を去るのが一番。(ふん!)

 玄関には、今度はサンクが居た。「ラニを笑わせるなんて、どんな手を使ったんだ?」おや、サンクはからかう気はないらしい。「なんかね、電池の要らないおもちゃ説が有力みたい」サンクが大笑いした。「向こうが何枚も上手って事だな」「しょうがないじゃない、自分の頭の悪さは自覚してる」サンクが私の背中を軽く押した。「ラニが待ってるよ」「サンクに背中押されても自信出ない!」彼は女性に触れるのも触れられるのも苦手だ。



 (もちろん、料理長に話していないくだりもあり)料理長が少し考えてから言った。「俺には、あいつの方が惚れてたように思えるぞ?」「日本では『タデ食う虫も好きずき』って言葉があるんだ」意味を説明すると料理長は、また大笑いした。「おまえもタデが好きなんだろうが!」私も笑った。

「彼の方が先に惚れてたのかわかんないけど、私の気持ちはわかってたんだろうと思う」「あいつは、自分の気持ちをどうしていいのかわからんでいたろう…それを、おまえが!」と言って更に笑った。「おまえはホントに奇想天外だ!」

私は、彼が出張中で良かったと思っている。(さすがに こんな事まで話してるの知られたら…料理長にも"やきもち"焼いちゃうわ)

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