第7話 Questo e’ un giocattolo(これはおもちゃです)1

 「結構色んな人が居てさぁ」と、私は料理長に説明した。チヨダとエッジ、この2人はたぶん現役の国家権力だった。ネロのことを私がチヨダと呼んだのは、自己紹介のときに「ひとに言えない職業です、合法です!」と言ったから。「じゃあ、内閣調査室か麻薬捜査官か、1番あり得るのはチヨダかなあー?」と言ったところ、とてもイヤな顔をしたが「よくそんな言葉知ってるな!」と驚いてもいた。(チヨダ=公安の隠語。今はもう違う表現かも)否定すればするほど余計にそう思われるから、面白がってしつこくチヨダと呼んでいた。(私の事アホ娘扱いしてたからじゃ)

 もう時効だから言うが、この会のゲームで使っていたライフルなど、どう素人がぬるい目で見ても合法とは思えなかった。よく現職の人が関わっていたなと思う。

「ピナっていう人は、海の上の警察権のある方の現役の人だったんだ」〈海猿〉ではなかったがピナと呼ばれていた。航海士(というのか知らない)だったが、病気したとか怪我したとかで地上勤務になり、なかなか海上に戻して貰えないので、辞めようか迷っていたそう。いかにもな海の男。怒鳴り声は誰よりも大きく、全てにおいて荒っぽかった。

 「警察権、なぁ」と料理長。「ある方は、海上警察と言い換えられるよね。無い方は…警察権が無いから、日本は軍隊と言ってないんだと思う」「なるほど」




 ゲームは月1~2回のペースで開催予定だった。負けん気に火を着けられたのもあるが、"やたら頑丈そうな連中"の鼻を明かしたのが楽しくて痛快だった私は、また参加したかった。たとえ圧倒的に不利な状況で、単独で行動しなければならなくとも。なんとか方法がないものだろうか?参加させてくれるとは思うが、出来れば勝ちたい。

 考えた挙句、意を決して(勇気を振り絞って)ラニに相談した。(この頃は初対面の時程怖くなくなっていた。慣れたのだ。でも頼み事をするには気合いが必要だった。イタリア語は聞く分には半分くらいわかる程度になっていたが、自分の言いたいことを言える語学力はなかったし、ラニもまだ細かいところまで日本語は わからなかった)

 「Per favore dimmelo、Vittoria(教えてください、勝利)」辞書片手にうったえると、彼はしばらく私の顔を見ていた。(相変わらず無表情で。でも慣れたのでそんなに怖くない)

 軽く頷くと自分の部屋に来いと言って席を立った。


 ラニの部屋に入るのは初めてだった。(隣のマオの部屋には何度か遊びに行った事がある。創りは同じで1Kアパートのよう。小さなキッチンとシャワーブースがあった)ラニは皆と雑魚寝しなかったし、ジャグジーに入ることもなかったが、こんな狭いシャワーで大きな身体を屈めていたんだ。必要最低限しか話さない男には、必要最低限の物しかない部屋。備えつけのカウンターテーブルの上には、きっちり角を揃えて積んだ書類、ファイルなど。私に(これまたきっちり整えられたベッドに)座って待つように言うと、そのテーブルの下からレポート用紙を取り出して、何やら書き始めた。途中手を休め、私にゲームの際に使った地図を渡し、見ていなさいと言った。

 地図を見ながら、私はラニがペンを動かしているのをこっそり見ていた。彼は左利きだったが、右で書いている。(横書きでは右の方が書きやすいよね…)とぼんやり思う。男性の強くて、更に器用な指って魅力的。特にラニの強さは良く知っている。強靭な腕(私を片手で持ち上げる)広い肩も大きな背中も(山中の事とタンデムシートの事をリカとサンクが羨ましいと言っていた)。「見ていますか?」気づいたらラニがペンを止めて私を見ている。(言葉は丁寧=日本語習い始めだから、だが、震え上がるような冷たい声)低く渋い声なので余計に怖い。日本人と声質が違うし本当に怖い。

 地図に目を戻すと、ある事に気づいた。ラニが持っていた物だが、彼の手書きの印がある。(これは…)

 彼が、書いた分のレポート用紙を持って私の目の前に立っていた。「気がつきましたか?」「これは私が登った木だよね?こっちは登れそうな大きな木」

よろしい!とでも言うように頷くと、更に厳しい声で「僕がしなさいと言ったことをしますか?必ずしますか?どうして、と訊かずにしますか?」と言った。(仕事の時は"私"それ以外は"僕"の方が良いと少し前に提案したところだった)

 「約束出来ますか?出来るなら教えます」(もう、イエス サーしか言えないムード満々じゃないですか!)怖いのも もちろんだが、私の中の負けん気が つい返事をしてしまった。「教えて!ラニ、お願いします」レポート用紙を渡された。「覚えなさい、来週までにです。日本語で良いから」とても綺麗な筆記体の英文だった。英和辞典も渡してきた。地図を指して「それもです!」

 (…『鬼軍曹』というものが存在する理由が理解できてきたぞ…これだけ怖けりゃバカでも覚えるわ!)

 ラニはイタリア語は日常会話なら出来るが、読み書きはあまり出来ないと言っていた。私も出来ない。だから英文だったのだが、中1程度も出来ない私には大変だった。極力易しい文章を書いてくれていたが。それでも、辞書を引く前にわかった事がある。これは今回の対戦相手それぞれの癖だ。なんとか訳し、暗記を始める。暗記も苦手だったが、難しかったのは地図だった。(これの何を覚えよと?)


 1週間後、ラニの部屋に呼び出された。「覚えましたか?」「日本語で良いから言いなさい」私が、誰々が何々の癖や傾向があると口述するのを黙って聞いていたが、言葉を聞いていたのではない。私の様子を見ていたのだ。ちょっとでも私が自信なさげに言うと、すかさず「もう1度言いなさい!」だんだん日本語が面倒になったのか「Ancora!」

 緊張でぐったりだったが、ラニは休む事なく新(さら)の地図を広げた。「君が隠れる、と思う木はどこですか?」(そうきたか!)

 私は鉛筆で地図に線を引いた。「いくつかのエリアに分けたの。覚えやすいように。…ここには登った木がこれで…」地図上に印をつけるが、やはり私の様子を見ている。「でもラニ、どうやって体力も体格も圧倒的に勝る連中に私独りで勝てるかな?木登り禁止になっちゃったし」和英辞書を引いて見せながら言うと、いきなり胸ぐらを掴まれた。

 (早口でまくしたてる時は、1番得意な言語になるんだな…)「体力体格に劣る!そんな事を敵が容赦してくれるとでも思っているのか⁈」フランス語で言っているので、一言一句全くわからない。(それなのにどうしてこの人の言ってる事わかるんだろ?)「それを逆手にとるくらいの事を考えようと思わないのか⁈」あまりの恐怖に硬直する。涙が滲んでくる。現実が遠く感じる。自分自身も遠く思える。「だから、それをどうしたら?」自分の口が勝手に見当違いの事を言っている。ラニが私の額の真ん中に人差し指を突き立てた。涙どころか違うものが出そうになった。「僕は少しだけ教えます。後は君が考えます!」

 ガレージに一緒に来いという。「ごめんラニ、先に行っててもらえる?今のでブラが外れた」今度は彼が怯む番だった。(ブラって万国共通の略語じゃないらしい。ラニにしちゃ察しが良い場面だったね。この頃はフロントホックブラ愛用。次からはスポーツブラにしようと思った)


 ガレージの畳コーナーに連れていかれると、柔道衣を渡された。(用意良いっすね)上だけで良いから着ろと言われ、着た途端、脚を払われた。4年振りに受身をとる。思わず痛いと言いそうになるが、なんとか堪えた。立ち上がらなければまた怒られる。立ち上がる、背負い投げ一本。受身。払い。受身。10回もしないうちにそれだけで私は息が上がり、立ち上がるまでにだんだん時間がかかるようになる。

 ゼイゼイいって伸びていると、ラニの左手が帯を掴んで私を持ち上げた。私の顔を見て「…Ancora」もう2度と聴きたくない言葉だ。

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