第15話 惨劇

 開けられたドアの向こうは、空気に薄く色がついていた。


 奥では刺青顔のオッサンが何やら煙草をふかしているが、臭いは私の知るものとは異なる。もしかしたらタバコではなく大麻あたりなのかも知れないが、そんなことはどうでも良い。


 チンピラどもがギャアギャア騒ぎ始める前に、用件を言う。


「金を出せ」


 違った。それも大事だが、差し当たって最優先ではない。


「それと、私の服を返せ」


 全裸で帰るわけにはいかない。服を着るのは大事だ。私だけならともかく、宮永さんも裸のままで外に出すのはダメだろう。


「随分と活きの良いネエちゃんだな。コウノさんはから逃げてきたのか?」

「コウノ? ああ、あの独活うどの大木なら、向こうで伸びているぞ」

「あぁン⁉」


 馬鹿にしたように鼻で笑うが、そのコウノとやらが元気ならば私を追ってくるだろうことくらい想像できないのだろうか。


「繰り返すが、死にたくなければ服と金を出せ」

「ッざけてんじゃねえよ、糞女クソアマ!」


 せっかく忠告してやっているのに、近くにいた角顔ピアス男はキレて拳を振りかぶる。しかし、動きが大きい上に遅すぎるだろう。前蹴りを男の顔面にめり込ませれば、拳が私に到達することもない。


「あー、鼻水ついた! 汚い!」


 足の裏のネッチョリとした感覚に、思わず声に出してしまう。靴を履いていたならば気にしないのだろうが、素足ではとても気持ち悪い。とりあえず倒れた男の服で足を拭く。


「てめえ、空手だかやってんのかしらんが俺らに勝てると思ってるのか?」

「ほう。あんたこそ私に勝てると思ってるのか? 言っておくが、私は強いぞ」

「ほざけ!」


 テーブルの上から皿を投げつけてくるが、そんな程度で牽制になると思っているのだろうか。左手でキャッチし、右の前蹴りを今度は胸元に叩き込む。


「ごふ」


 変な声を出して男は膝から崩れ落ちる。足にメキョという感触があったし、少なくとも胸骨にヒビでも入ったのだろう。

 さらに足を振り上げ、前のめり体勢を崩した男の頭に踵を落とす。と、同時に倒れていく先に受け取った皿を放ってやる。


「あんたたち、そんなに死にたいの? 服を返して金を出せば見逃してやると言っているんだぞ?」


 呆れてしまうが、そんなことではこのチンピラどもはへこたれることもないらしい。

 とは言っても、おそらく強靭で不屈な精神力を持っているわけではない。こいつらは単に、想像力が足りないだけだ。自分が本当に殺されるとは全く思っていないのだろう。


 次に向かってきたのはボクシングのような構えをとる頬のコケた眉無しだ。それでどうするのかと思えば、普通にボクシングのジャブを放ってくる。


 どうにも頭の程度が低すぎる。それとも、このバカは私が二人を蹴り倒したのを見ていなかったのだろうか。


 チッチッと舌打ちを繰り返しながら放ってきた左ジャブに右足を絡めて、左のトーキックを喉元に突き刺す。比喩ではなく本当にメッキョリと喉に食い込めば、命に関わる怪我となる。

 喉が潰れれば気道が塞がるだけではなく、放っておけば出血が肺へと流れ込んでいくのだ。


 とは言っても、すぐに死ぬわけではない。人間、一分や二分は息を止めていられるものだ。落ち着いて仲間に助けを求めて救急搬送されれば助かる見込はある。


 もっとも、落ち着いていられればの話ではあるが。目の前の男は完全にパニックに陥っているようで、両手で喉を押さえて踠き暴れている。そんなことをしていれば命が縮むだけなのだが。


「いや、だから本当に死にたいのか? そんな程度で私に勝てるはずがないだろう」


 さっき倒した二人も起き上がる気配もないのに、残っている者は誰も救急車を呼ぼうともしない。命の危険があることも分からないのかと呆れてしまうが、チンピラたちはそれでもめげることなく「テメー!」「コラー!」と喚き散らす。


 そして、一人がナイフを手にし、もう一人の大麻をふかしていた男はなんと拳銃を引き出しから取り出した。


「このクソアマァ! ぶっ殺されてえらしいなあ!」


 叫ぶ大麻男の手に握られる拳銃が本物か偽物か私には区別がつかないが、それは別に大した問題ではない。拳銃を持ち出してくる奴らが相手だということが大事なのだ。


 つまり、今警察にこの場を押さえられても正当防衛になる。常識的に考えれば、銃を持つ相手に手加減なんてしていられないはずだ。それに、宮永さんも囚われたままなのだ、逃げるのは容易ではなかったという言い分も立つ。


 男は見せびらかすように銃を突き出してくるが、別に怖くはない。もちろん弾が当たれば怪我をするだろうし、場合によっては死んでしまうだろう。だが、それは当たればの話だ。


 当たらないものを必要以上に恐れる必要は全くない。バカにして煽ってやれば、相手の行動もより分かりやすくなる。


「ハッ、そんな物を持てば強くなるとでも思っているのか?」

「強がり言ってるんじゃねえよ、バァカ」


 パンパンと続けて音が響くが、私の体には傷一つ付きはしない。


 腕を伸ばして真正面に撃つのは銃の基本なのかも知れないが、それではいつ何処に撃つのか見え見えすぎる。射線を隠すために、銃に新聞紙や衣服を掛けたりするのは漫画などでもお馴染みだと思うのだが、大麻男はそんなことも知らないのだろうか?


「当たれや!」


 簡単に銃弾を避けられたのを見て大麻男は目を剥き叫ぶが、そんなことをしている間に私は一気に踏み込んで間合いを詰める。


 その勢いのままに鞘に入れたままの刀を振り上げれば、銃を持つ小指と薬指が折れる。それでも銃を落とさない根性はすごいが、それはそれで悪手だ。


 銃ひとつだけにこだわらず、キックで牽制しつつ発砲するなど有効な戦い方はいっぱいある。変に一つの武器に拘ると、動きの幅が狭まってしまう。結果、容易に予見し対応しやすくなるものだ。


 もう二発撃ってくるが、一発はそもそも明後日の方向に飛んでいくし、もう一発の回避も大した問題ではない。横へと跳んだ勢いを殺さず向きを変えて接近すると、左手で相手の腕を掴んで引っ張りつつ、顎先へ向けて剣の柄を叩き込む。


「くっはははははは!」


 思い通り奇麗に攻撃が決まると思わず笑いが漏れてしまう。それを隙と見たのか、意識を失い倒れていく大麻男の横からナイフ男が迫ってくるが、刀を鞘から抜いて一閃すれば方がついてしまう。


「で、私の服はどこだ?」


 私が質問を投げかける相手はドアの外でへたり込んでいる意気地なしだ。今にも泣きそうな酷い表情をしているが、平伏して服従を誓った者を虐げることをするつもりはない。


「あ、ゴ、ゴミはあっちに……」

「私の服をゴミだと⁉」

「ひ、ひああ!」


 下っ端は怯えまくるが、コイツに八つ当たりをしても何にもならない。部屋の隅のゴミ袋を示されると、その中に私のものらしきジャージを発見した。一緒に宮永さんのジャージも入っている。


「弁当の容器と一緒に捨てるなよ……」


 広げてみると脂がべっとりと付着し、醤油だかソースのシミもそこかしこに付いてしまっている。

 仕方がないから洗うしかない。小さな醤油のシミくらいならばともかく、ベトベトに汚れているものを着る気にはなれない。


「おい、洗剤はあるか? 洗濯機はどこだ?」

「洗濯機なんて無いです」


 部屋の作りからしてマンションのようだし洗濯機くらい置いてあると思ったのだが、残念ながらチンピラどもは家事をするという概念が希薄のようである。


 しかし、浴室にはボディソープがあるということなのでそれで洗うことにする。こかのチンピラは随分と頭が悪いようだったが、シャワーを浴びる知能はあるらしい。


「あなたはそこのバカどもの財布から金を集めておいてくれ。ああ、小銭はいい」


 所在なさげにフラフラしている下っ端にはお金の回収を言いつけておく。小銭は自分のものにしておいてくれればいいだろう。


 ベトベトを落としたら、服を乾かさなければならない。ビショビショに濡れたままの服を着る気にはならない。


 ドライヤーを見つけたのでそれを使えば乾燥も早くなるだろうが、その前にお金の確認だ。


「これしかないのか?」

「あ、は、はい」


 下っ端はオロオロと視線を動かすが、別に彼が一枚や二枚抜いていても構わない。単に、五人も六人もいるのに所持金額の合計が五万円にも届かないことに驚いただけだ。


「子供じゃないんだから、万札の数枚くらい持っていないのかよ」

「そんなに持ってないっすよ……」


 悪事による儲けはがほとんど持って行ってしまうらしく、下のチンピラは財布の中がスカスカというのは普通らしい。だが、まだ望みは消えていない。部屋の隅に金庫らしき物体を見つけてしまったのだ。上と下の境目がどこにあるのかは知らないが、ここにも上とやらは出入りしているのだろう。


「これの鍵はどこにある? どうやって開けるんだ?」

「オレはその……、コウノさんしか開けられないんで……」


 コウノというと、最初に倒したデカブツか。まだ死んでいなければ良いと思いながら寝室の方に行ってみると、あうあうと呻きながらゆったりと踠いていた。


「おい、コウノとやら。金庫の開け方を教えろ」

「で、べえ」


 何かを言おうとしてもうつ伏せのままでは上手く喋られないらしい。仰向けにひっくり返したり、頬を叩いたり水を掛けたりして何とかして開け方を聞き出す。

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