第7話 師匠とは大切なもの

「そう言うバカ君はモテないの? 足が早ければモテるのは小学生までだからね。知性を磨くことをお勧めするよ」

「誰がバカだ! 俺は小西だ! だいたい、俺は学年三十番以内に入ってるんだぞ!」


 小西とかいうバカは微妙なことを言ってくる。わざわざ三十位以内と言うことは、二十位より上にはなれないのだろう。


「普通、トップテンとかスリーじゃない? 三十ってどうなの?」


 噴飯もの、と言うより呆れてしまう。そんな発言をしているから知性が足りないというのだ。


「いや、小西。伊藤さんって学年一位だよ? 成績で張り合っても勝てないよ……」


 中村さんのツッコミにバカ小西が目を剥く。私は中一の時からずっと一番なんだけど、知らなかったのか…… 自分では割と有名だと思っていたんだけど、思い上がりだったかも知れない。

 勉強の成績では私には勝てないのは確かだ。学校の試験には点数の上限があり、常に満点をとる私に勝つには、満点を超えなければならないのだ。


「勉強はともかくさ、陸上でも勝てないんだけど、どうしたら良い?」


 いや、それは頑張ってよと思う。そちらは頑張り次第で私を上回ることができなくはないはずだ。


「ピーチクパーチク騒いでいる暇があるなら、訓練の方法でも考えたらどうなの? こんなことしていたって強くなんかなれないよ?」


 私の言葉に、取り囲んでいた下級生の女の子たちが一斉に俯く。ちょっと厳しかった? いやいやいや、今は部活の時間だし、自分たちの訓練に集中すべきだ。


「で、伊藤さん」


 村岡くんは空気を読まずに声をかけてくる。この人は中々のつわものだ。

 砲丸や槍投げはどうなのか、ということだ。

 どうと言われても、槍投げはやったことがない。だって、体育でやらないし。砲丸投げは体育でやったけど、ルールがいまいちよく分かっていない。


「砲丸のルールって、そんなに複雑だっけ?」

「基本的に円の中から投げるだけなんだけど、他には両肩を結んだ線より後ろに持ったらダメくらいしか無いよ?」


 その、後ろ、という表現がイマイチよく分からないのだ。線より後ろと言うのは表現として不適切だと思う。

 前か後かの基準は面であって線ではないはずだ。その面の向きが鉛直方向なのか、胴や頭の向きなのか、どういうことなんだろう?


 とりあえず、投げてみる。投擲の訓練は一応しているし、こういう競技で試してみるのも悪くはない。

 砲丸を右手に持ち、腰だめに構える。砲丸投げの基本フォームは知っているが、肩から放つあの投げ方は私には馴染まない。


 呼吸を整えてゆっくりと気を溜める。


 剛力招来。


 なんて言っても、気を溜め、膂力を最大限に高めるだけだ。

 左に一回転して、大きく前に足を踏み出し、全霊を込めた右手に左手を添えて斜め上に向けて砲丸を放つ。


 記録は十九・一メートル。

 なんか、みんな「分かってた」とか言っているけれど、何がだろう?


「いや、お前ら分かってねえよ」


 村岡君がドヤ顔で言う。そういうアナタは一体何を分かっていると言うのか。


「伊藤さんが今投げたのは、男子用だ」

「なッ…… なんだって~~~!!」


 驚きだ。砲丸に男子用と女子用があるなんて。いや、以前に体育の座学で聞いたことがあったかもしれない。


「で、私の記録ってどうなの?」

「日本記録超えてるよ!」


 どうやら、中学の男子用は大人の女子用と同じ重さらしく、私はそれで女子の日本記録を超えてしまったらしい。

 っていうか、日本記録、随分低くない?

 世界記録って二十何メートルだよね? 私、二十メートルにも届いていないよ?


「日本は砲丸全然ダメなんだ……」


 私の素朴な疑問に陸上部顧問の鈴本先生が苦虫を噛み潰したように答える。日本の砲丸界ってそんなに酷いのか。

 まあ、花形競技じゃないし、人気が低いのもあるんだろう。


「日本の女子だと、十八メートル越えたのは一人だけだったはず。世界記録は二十二メートル越えてるのに」

「でも、伊藤さんならいけるって! 中学生で十八メートル越えてるんだもん、何年かやれば世界記録だって夢じゃないかも!」


 なんか周囲が興奮気味に盛り上がっているが、今のところ、私は陸上競技の選手になるつもりは無い。


「他人に夢見ていないで、勝利は自分で勝ち取りなさい」


 周囲の態度に眉を顰めてしまう。何故、「自分も頑張る」と思えないのか。ハッキリ言って程度が低すぎる。こんな様子では、陸上部には私が得られるようなことは無さそうだ。


 その後、練習を色々見せてもらったが、みんな、あまりやる気が無い。ふざけているとかではなく真面目にやっているけど、それだけなのだ。

 そりゃあ、伸びないよ。

 ただ『それっぽい』ことを繰り返しても、効果は薄い。


「何のためにやっているのか、目的意識が足りない。一つひとつの訓練の意味を考えて、きちんと効果が得られるように意識して取り組むこと」


 かく言う私も、昔言われたことなのだが。

 見事なまでに、みんな揃って言われたことをやっているだけだ。

 私も指摘されるまで、そんなことを考えもしなかったが、ここには顧問の先生がいるのだ。顧問とは一体何をするのだろうか?


「大会で勝つために頑張ってるつもりだけど……」

「そうじゃなくて、今、その訓練をして何を達成するの? 記録が何秒縮むの? 何メートル伸びるの?」


 勉強でも運動でも、努力するという概念は基本的に同じだ。目標を掲げ、そこにどう進んでいくかを突き詰める。

 個々の鍛錬はその中でどんな位置付けなのか、それをすることでどれだけ進むのか。それを理解していなければ、効果は薄いものになる。


「これをやったら一秒速くなるなんて方法あるなら教えてほしいんだけど……」

「言い方が悪かったかな? その練習では百分の一秒も縮められないの? だったら、その練習を何故やるの? 百分の一秒縮めるために、これをやるとか、あれをやるとかしないと、記録なんて伸びないよ」


 そこで泣きそうな顔をされても困る。

 努力とはそういうことの積み重ねを言うのだ。ただ漫然と頑張るのは努力でもなんでもない。


「そんなことを言われたって、どんな練習したらどれだけ速くなるとか、分からないよ……」


 具体的な数字はコーチだかトレーナーの領分なのだから、中学生の選手が分からないというのは仕方がない部分もあるのだが、方針すら自分で掴んでいないのは良くない。

 しかし、目標を掲げて、それに対して行ったことの結果を付き合わせることで、自分でも見えてくることはあるものだ。


「まずは、どんな効果を目指しているのかをハッキリさせることじゃないかな?」

「スタートダッシュとか踏切りの練習は分かるんだけど……」


 そうやって言うけれど、たぶん、分かっていない。


「何が良くなくて、どうなることをイメージしてる?」

「そんなこと言われても……」


 きちんと指導を受けていなければそんなものだ。私も本当になんの指導も受けなかったら、今のレベルには達していないだろう。


「じゃあ、まず、自分が理想とする選手の研究じゃない? どんなフォームでどんなタイミングで動けば良いのか。目標のイメージが無いと、迷子になっちゃうよ」


 自分のフォームを撮影して、トップ選手と比較してみるとかすれば方向性くらいは見えると思うんだけどな。今時、中古のスマホでも十分な撮影機能があるのだ。文明の利器は大いに利用すべきだと思う。


「そんなズルはダメだ!」


 突如、鈴本先生が割り込んできた。なんでも、ズルをせずに気合を入れて取り組めば良いのだとか。

 開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのか。

 よく分かった。みんなが伸びない理由はこの人のせいだ。男子でさえ私に及ばない理由はそれしか無いだろう。


「この人、いる? 別の人に代わってもらった方が良くない? 邪魔する人より何もしない人の方がマシだよ?」


 今時、世界的な有名選手で、ビデオチェックしていない人なんていないと思う。中学や高校でも、全国上位ならそれくらいしていてなんの不思議もない。

 私だって、剣のフォームの撮影をして、動きの確認くらいしている。


「俺たちはみんなそうやってきたんだ。ズルばかりしようとするな。苦労して頑張った分だけ伸びていくんだ」


 そんなことを言ったって、みんな全然伸びていないじゃないか。自分と同じ苦労をしなかったらズルだとでも言うのだろうか。そんなものは進歩とか教育の否定に他ならないだろう。

 教師の発言としては、不適切極まりない。


「あなたの頃とは時代が違うのだと分からないのですか? 世の中の進歩に取り残されていると気付かないのですか?」


 当時と今では多くの競技種目で記録が塗り変わっているだろう。それは、練習方法や環境の進歩によるものだ。

 昔と同じやり方では、昔と同じ記録にしかならない。

 何十年前だかの当時で日本記録も出せなかった人のやり方なら、期待などできるはずもない。そんなやり方で根性入れろと言われたってやる気になるわけがないだろう。


「苦労しないで成長などあり得ない。気合いや根性は成長していくのに欠かせないものだ」


 なんて、くだらない主張だろうか。壁は一つしかないとでも思っているのだろうか。

 壁に誰かが梯子を付けたなら、そこを登ればいい。昔と同じように必死によじ登るなどバカのすることだ。「自分の時にはそんな梯子は無かった」なんて当たり前だ。世の中は変わるものだし、大抵のことは便利になっていく。

 だが、そうして壁を超えていけば、先人が見たこともない壁に出くわすことになる。


「心配しなくても、あなたが到達できなかった先では、みんな苦労しますよ。それで何が不満なんですか?」


 学校の勉強では何十年、何百年という先人の苦労をすっ飛ばして先に進むことが求められているのだ。運動競技だって同じだろう。ウェアやシューズなどのスポーツ用品だって、五十年前のものとは性能が違う。練習方法もより良いものが見出されている。

 それについていけない時代遅れの人が『指導者』であること自体が間違っているだろう。

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