第8話 期末テスト

 七月。

 夏休みが近づいてきたら、当然、その前に期末考査がある。

 みんな普段から真面目に勉強すればいいのに、毎度毎度この時期になってから騒ぎだすのは学習能力が低いとしか言いようがない。

 だけど、学校内が騒がしいのはそういう問題だけでもない。


 新しい校長が学校改革を唱えて頑張っているのだ。

 定期試験にもそれは及んでいる。

 生徒にも関係ある話としては、試験の難易度の話だろう。


 平均点が六十から七十点になるように、出題数や個々の問題の難易度を調整するようにという話が出ている。

 まあ、どうなろうとも私は満点を取るからあまり関係ないが、平均点付近だった人は大変だろう。


 近藤さんと及川くんが「ヤバい、ヤバいよ」と泣きそうな顔で訴えてくるが、二人とも、もともと殆どの教科が四十点台なのだから、それはそれで大した問題にはならないだろう。

 他の人が点数を落とすことが予想されるからこそ、今回ここで点数を伸ばせられれば一気に順位を上げられるチャンスとも言える。


 この二人は春休み前に、私に「勉強を教えてくれ」とやって来たのだ。

 最初は、そんなのは先生に言えとお断りしたのだが、先生の教え方だと全く分からないのだとか。

 しつこいし、仕方ないからちょっと見てあげたんだけど、まあこれが酷かった。



「じゃあ、ちょっと教科書とノート見せて」


 どの程度のレベルなのかが分からなければ、方針も何も決まらない。テストの回答も見た方が良いのだが、それは後日ということで取り敢えずは教科書とノートだ。


「何か恥ずかしいなあ」


 近藤さんは素直に出してくるが、及川くんは頬を赤らめてモジモジとする。本気で引っ叩いてやろうかと思った。


「人にものを頼んでおいてモタモタするんじゃない! 勉強を見てほしいの? ほしくないの? どっち?」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 強く言われて及川くんは、慌ててカバンから教科書とノートを出して机に積み上げる。


 パラパラとめくってみるが、二人とも教科書は、開いた形跡はあるものの書き込みなどは無い。本当に勉強しているのか疑わしいほど、きれいな状態だ。

 そして、二人ともノートしか無かった。


 まず、及川くんのノートだが、文字が読めない。いや、部分的に判別・解読が可能な文字もあるので、全く読めないわけではないのだが、ハッキリ言って読みたくなどない。

 ミミズがのたうったようなグチャグチャな文字が並び、いや、ちがう。文字は並んでない。なんて言うんだこれ? ええと…… そう、書き殴った文字が散らばっている。そのうえ、ワケの分からない落書きが所狭しと描かれている。


「これは勉強ができないんじゃなくて、勉強をしていないって言うんじゃない? 真面目に勉強をするだけで成績上がると思うけど?」


 思ったことをストレートに口にしてみるが、及川くんは「いや、だって……」と女々しい態度を崩さない。


「それと、あなた、ちゃんと字を書けるの?」

「書けるよ! 書けるに決まっているだろ?」


 いや、決まっていないだろう。ということで、書いてみてもらったんだが、やっぱり書けていない。『あ』の時点でオカシイ。


「よく見て、『あ』の縦棒って左から右に曲がるの。右から左じゃない」


 隣に大きく書いて説明すると、近藤さんは微妙な苦笑いで固まっている。


 だが、取り敢えずの方針は決まった。

 及川くんがすべきことは、まず、字をきちんと書けるようになることだ。

 コピー用紙を一枚取り出して、『あ』から順に平仮名を書いていく。


「はい、これ見本。今日中に平仮名を書けるようになって。一つ一つの線の位置、長さ、向きぜんぶこれと同じように」


 私は別に書の達人ではないが、字はそれなりに綺麗に書ける。小学生の頃に練習したのだ、少なくともヘタクソではない自信がある。

 及川くんの字を採点してくれる先生って凄いと思う。私なら読まずにバツにするよ。


「そんな字で、今までよくテスト零点にされなかったね」

「丸バツ問題あるからじゃない?」


 ため息交じりに呟いた言葉に、近藤さんがツッコミを入れてくる。

 そういう彼女のノートを見ると、なるほど、文字はとても綺麗だ。私より上手いかもしれない。

 聞くと、ペン習字をやっていたと言う。なるほど、納得だ。


 とまあ、それは良いのだが、彼女の問題は、ノートに書かれているその内容、というか書き方だ。

 黒・赤・青・緑。太字に細字。意味も無く色々なペンを使い分けてカラフルに書かれ、さらにマーカーでいろどりが添えられている。

 どう見ても、勉強をした結果といえるものじゃない。いや、一体全体何をしたいんだか分からない。というか、正直、これは目に優しくない。

 読みたくない、と言う点では及川くんのノートと五十歩百歩かも知れない。


「え? 先生もお母さんも、ノート綺麗だねって褒めてくれるよ?」

「何…… だ…と……?」


 いや、何をどう考えても、それはオカシイでしょう。ノートに色を付けるのは勉強ではない。私はそんなことをしたことが無い。

 これは個人の資質とか才能は関係ないだろう。私が天才だから黒一色で足りるとか、そんな話じゃないはずだ。以前に読んだ本に「ノートを飾るな」と書いてあったし、これは私独自のやり方ではない。


「でも、こっちの方がカワイイもん……」

「で、それでテストで何点取れてたの? 私は黒だけで満点だけど? そもそも私のアドバイスを聞く気が無いなら、帰ってちょうだい」


 どうしても納得したくないのなら、そう言うしかあるまい。アドバイスをくれと言うからしてやっているのに、それを聞く気が無いとはどういうことか。


 数学の勉強の時は、数学だけを考える。

 私としては当たり前のことなのだが、少なくとも彼女にとってはそうではないらしい。

 英語でも理科でもカワイイ方がやる気が出るとか、全く意味がわからない。


「雑念を捨てて集中しなさい。勉強だけに全力を注げないなら、そうするつもりすら無いなら、私が教えることは何もありません」


 これは私の偽らざる本音だ。私は常にそうしてきた。

 勉強中は剣のことは考えないし、剣の修練中は勉強のことは考えない。

 しっかりと切り替えて、全力で取り組めば、それなりに結果は付いてくるものだ。『それなりに』というのが曲者ではあるのだが、中途半端よりも良い結果になるのは自明の理だろう。


 強めに言うと、泣きそうな顔で俯きだした。全く面倒だ。


「カワイイとか、勉強に関係ないでしょう? 可愛くしたら数学の方程式が解けるの? 英単語を覚えられるの?」


 極端な言い方をすると、学校の勉強は、理解して覚える。それだけだ。良いか悪いか別として、教科書を丸ごと全部覚えれば、テストでそれなりの点数が取れる。


「じゃあ、伊藤さんのノートってどうなってるの?」

「あ、見たい、見たい!」


 逆切れ気味に近藤さんが言い、及川くんが乗ってくる。

 まあ、別に私のノートは見られて恥ずかしいものではない。


「なにこれ……」


 私はノートの使い方はこれで良いと思っているが、二人にとってはそうではないようで、とても驚いていた。


「板書とか取ってるやつは……?」

「そんなの無いよ。英単語とか年表とか色々覚える用と、問題解く用だけだから。大事なポイントとか必要なことは全部教科書に書きこんでいるから大丈夫」


 私の言い分を二人は必死に否定しようとするが、私はこのやり方で学年一位を取り続けているのだ。万人にとって良い方法なのかは知らないが、少なくとも私にとってはこのやり方は合っているのだろう。


「って言うかさ、二人とも、私のやり方が気に入らないなら好きにやれば良いじゃん。なんで私のところに話を聞きに来たわけ?」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 二人そろって頭を下げるが、ハッキリ言って、不愉快だ。どうしてもと言うから見てあげているのに、私のやり方を認めたくないとはどういう了見なのか。


「私は自分から勉強教えてやるから有り難く聞きなさい、なんて一度も言ったこと無いよ?」


 私は別に偉ぶるつもりは無いが、この二人が何故こんなに偉そうに口答えしてくるのか不思議でならない。かと思えば、泣きそうな顔で俯くのだ。


「あのさ、教えて、って言ってきた時点で私とあなたたちは対等じゃないの。私は真面目にやるつもりの無い人の面倒を見るつもりは無いから」


 強く、強く釘を刺しておく。これでダメなら、もう私は知らない。付き合ってられない。


「とりあえず、二人とも課題は明白ってこと。演習が足りない」


 二人とも覚える用・問題を解いてみる用のノートが無いのだ。そりゃダメだろう。

 ノートに綺麗に纏めたらら理解も記憶もできる、なんてことは無い。それで足りるなら私に頭を下げる必要など全く無い。


「覚えるまで書く、正解できるまで解く。それをやって」


 まあ、及川くんはそれ以前だけど。まず、誰でも読める字を書けるようになろう。

 字とは、コミュニケーションの道具だ。他人が読めない時に価値は無い。




 そんなこんなで気長に近藤さんと及川くんの勉強を見ていたのだが、最近は結構良くなってきた。

 当初は集中力など皆無の状態だったのが、三十分近く集中していられるようになっている。及川くんの字も上達したし、書く速さもある。

 これなら、集中力が持続する間にテストの回答を済ませられることができるだろう。


 と思っていたのだ。

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