第9話

 昼下がり、玄関で靴を履いている和江。

 後ろに立つ哲也。


「出かけるのか」

「リハビリがてらのお散歩……。天気のいい日は、スポーツ公園まで歩いてるの」

「杖ついて行くには結構な距離だな」

「うちのことは陽子さんがみんなやってくれるし……。時間はあるからのんびりとね」

「なら、付き合うよ」

「結構です」

「そう言うな。

 足手まといにはならないからさ」



 杖をついてゆっくりと歩く和江。

 その隣で景色を懐かしむ哲也。

 やがて公園にたどり着く二人。


 そこに近づいてくる小型犬連れの老婦人。

「あら、珍しい。今日はお連れさんとご一緒なのね。施設の方かしら」

「元旦那なの」

「へえ、和江さんもそんな冗談言うんだ。

 ちょっとびっくり……。

 あら、ごめんなさい。またね」

 犬に引っ張られて去っていく女性。

「何だ、あれ」

「いつも明るくて、いっぱい元気をくれる人よ。あのワンちゃんもかわいいでしょ」

「ああ」


 足元からいっせいに飛び立つ鳩の群れ。

「二人で、こんなにのんびりできる時が来るなんて思ってもみなかったわ」

「昇が生まれてからは、バタバタだったからなあ」

「せっかくあの家を買ったのに、あなたは仕事ばかりで、寝るためにしか帰ってこなかったし……」

「謝ることばかりだ……」


 焦って取り繕う和江。

「ごめんなさい。

 もちろん、感謝もしてるんだけど……」

「いいよ、いいよ。

 それより、ここって、まだ祭りとかやってるの?」

「ああ、もうすぐ夏まつりね。

 盆踊りとか、出店とか。昔のままよ」

「ちょっと待ってろ」

 一人離れていく哲也をいぶかしげに見送る和江。


 コンビニの袋を手に、戻ってくる哲也。

「失敗、失敗……。屋台のソフトクリームって、コンビニには売ってないんだな。

 まあ、いいだろ。気持ちの問題だから」

 和江にカップアイスを手渡す哲也。

「どういうこと」

「ここの祭り……。

 二人で来てた時も、昇と三人の時も、いつも、お前はソフトクリーム買ってさ。

 うれしそうだったから」

「別にソフトクリームがうれしかったんじゃないわよ……」

「ん」


「そう言えば、まだ聞いてなかったわね」

「何を」

「別れてからどんな生活してたのか」

「ラーメン屋」

 目を丸くする和江。

「もう、サラリーマンはうんざり。

 そもそも、同業で転職したって出世の見込みゼロだったしな」

「でも、なんでラーメン屋なの」

「ずっと通ってたラーメン屋があってさ。

 ある日、そこの主人に愚痴をこぼしてたら『俺の後、継ぐか』って話になってね」


「へえ」

「もちろん料理なんてやったことないド素人だよ。けど、企画やマーケティングには自信あったし」

「味で勝負じゃないんだ」

「結局はビジネスだから」

「で、行列とかできたわけ?」

「昼時だけね。

 当たったらチェーン店にしようとか、テレビの取材にはこう答えようとか、いろいろ考えてたんだけど。

 しょせん妄想に過ぎなかったな……」

 自嘲気味に笑う哲也。


「あなたの欠点は、自信過剰なところ」

「その通り。俺ならできると思ってた。

 有名になったら、胸を張ってここに戻って来るつもりだったのに……」

「あなたらしいわね。

 でも、それなら今晩、家でラーメン作ってくれない?きっと、みんな喜ぶわよ」

「無理無理。

 俺がやれるのはあの店の設備があってこそなんだ。うちの台所なら、インスタントや冷凍食品の方が簡単でうまいに決まってる」

「融通が利かないのね」

「俺は根っからの料理人じゃないからな」

「せっかく頑張ってきたのに……」


 空を見上げる哲也。

「そうか……。

 じゃ、みんなで俺の店行くか」

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