第8話

「まあいいや。続けよう。

 俺は猿田を呼び出して何度も説得した。

 今回の不正程度なら、もみ消してやる。

 だから、母親を更始会から引き離して、これまで通りに働けってね。

 けれども、あいつは、なかなか決心できずにいて。刻々と時間だけが過ぎてゆく。

 そのうち、更始会の連中も俺の存在に気づいてさ。いろんな嫌がらせをしてくるようになってきた。

 金づるを組織から奪おうとしてるんだから当然だよな……。


 会社には毎日不審な電話。

 家のそばにはいつも監視してるやつら。

 しまいには、お前や和江を引き合いに出してくるほどのエスカレートっぷりだよ。

 もう完全に常軌を逸してた。

 こりゃ、猿田からも家族からも離れるしかないと……」

「その時、警察に相談は?」

「警察が完璧に家族を守ってくれるか?

 事態が悪化するだけだろう」


 割って入る和江。

「そんなの初耳よ。私」

「正直に話せば、反対しただろう。

 安易に動かれて、家族が拉致されたり殺されたりしたらどうする。

 少なくともその時点で俺が消えれば、それで解決する話だ。

 だから、猿田の不祥事に絡んでいたことにして、退社と離婚で清算した」

「結局、しわ寄せが全部私に来るということまでは予想できなかったんでしょうね。

 私はあなたが出ていった後、すぐに脳卒中で倒れて……。

 これでもリハビリで良くなったのよ。

 あなたは自分のやりたいように振る舞って満足だったでしょう。

 でも、そのせいで周りがどれほど苦労したか……」


 涙ぐむ和江に戸惑う哲也。

「知らなかったとはいえ、本当に申し訳ないことをした。ほとぼりがさめたらすぐに戻って挽回するつもりだったんだよ。

 それが、まったく思うようにはいかず。

 結局このザマだ」

「このザマって……。

 どう見ても前途洋々の若者だけどね」

 悲しそうに笑う和江。


「ああ、うん……。

 とにかく、もう戻って来ることなどできないと覚悟してた俺に訪れた貴重なチャンスだから……。

 おそらくガンも消えてるだろうし……」

 熱く語り始めた哲也を制する昇。

「おっと、危ない危ない。うっかり、引き込まれるところだった……」

 絶句する哲也。

「……まだ信じられないってのか」

「だって、その話を裏付けるものなんか何もないんだろ」

「そりゃあ……」


 言葉を失う哲也に向けて、いきなりこぶしを突き出す和江。

 一瞬呆然としたのち、ためらいつつも、そのこぶしをつかむ哲也。

 それを引いて抜け、逆に哲也のこぶしをつかむ和江。

 さらにそれを抜けて、和江のこぶしに自分のこぶしをこつんとぶつける哲也。


 固まった場の空気を破る葵。

「何、何?それって何かのおまじない?」

 たまらず吹き出す和江。

「ふふ、ただの挨拶よ」

「挨拶?」

「これは昇も知らないでしょ。

 毎朝、お父さんを送り出す時、二人だけで交わしてた挨拶」

「おばあちゃんとおじいちゃんだけのサインってこと?」

 はしゃぐ葵。

 対照的に元気をなくす哲夫。


 怪訝そうに声をかける昇。

「どうした」

「これ、子供や孫の前でやることか?」

「照れてるんだな」

「馬鹿にしてくれて結構」

「いや。

 ……俺も信じることにするよ。

 悲惨すぎる善人だ」

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