少年 焔
ザバン!! ガボガボ……。
無音の世界。奥の方で水流に身を任せ、ぐるぐると回る「私」が見える。
――え、私?
そう思ったのもつかの間、自分の体が私に向かって凄いスピードで進んでいく。
手を伸ばして左足を掴み、引き寄せ、抱きしめた。
――え、何してんの?
思わず顔が赤くなっちゃうようなシチュエーション。
――あれ……これって!? え、え!?
自分の体が気絶する私を一瞥し、すぐに上へ向かって泳ぎ始める。
細い指が自分の周りの水をかき、また凄いスピードで進んでいく。
右手首に巻き付くあやとりがゆらりゆらりと揺らめいた。
向こうに明かりが見える。それはお日様の色。
自分の体はその光に向かって右手を伸ばして……。
「ハッ!」
体がぶるりと震えて瞬間的に現実に引き戻された。
ガバリと起き上がると原色そのまんまの青と綿のような雲が頭上に広がってる。
キョロキョロ見回してみてもそこは気持ちの良い草原が広がっているばかりで海だとか湖だとかは全然無い。
これは……。
「……、……夢かぁ」
心の底から落胆した。
ため息が出る。
「結構良い雰囲気だったんだけど。……誰が助けてくれたんだろ」
ハァー。
また大げさなため息が零れた。
敢えてもう一度言うけど、心の底から落胆した。
仕方なしに頭上を流れる雲を目で追いかける。そよ風が気持ち良い。鳥も鳴いてる。花の香りは心地良く充満していて私のとげとげした心を溶かし――。
……!?
「え!? ちょ、ま!?」
え、いやいやいや、ここどこ!!
心地良いこの場所や素敵な夢の感慨にふけってる場合じゃない、マジでここどこ!
立ち上がると向こうの方にどこまでもどこまでも広がる「街」が見えた。でもそれは私達人間が普段見慣れているそれとは大きく異なっている。
ごった返すビル群は悉く緑の餌になっていて廃墟と化している。道路やら信号機やらもひっちゃかめっちゃかに倒れたり砕けていたり。基本街として終わっている風景がそこにはあった。
「何ここ……人類滅亡?」
頭から血の気がサーッと引いた。
うそうそ、序盤からいきなり人類の生き残りとか嫌だからね!?
「と、とにかく街に出て人を探さなきゃ」
居心地の良い丘を下って崩壊した街へと駆けていった。
「誰か、誰かいませんか!」
街は相変わらずシンとして生命反応がまるで感じられない。――あ、緑は別だけどね。
暫く歩くとグチョ! と変な音が足元から聞こえた。恐る恐るそこに目をやるとそれは黒いブヨブヨで、足を持ち上げるとニチャニチャと糸を引いた。
「うわ! やだやだやだ!」
足を振って取ろうとするけどあまり効果は無さそう。
「やーだー!」
足を地面に力いっぱいこすりつける。
――と、その瞬間!
ギョロッと黒いブヨブヨに「目」が浮き出た!
「ギャアアアア!!」
何これキモっ!
思わず逃げ出すと向こうの方が何やら賑やかしい事に気が付いた。
せ、生存者だ……!
「た、助けて、助けて!」
その喧騒の中に飛び込んだけど――。
ふさふさの毛並み、どう考えても幼稚園児が描きそうなフォルム。
黒色が多い市場のようなそこには獣人やら、黒くて丸い体の未確認生物(取り敢えず黒丸と呼ぼう)とかがうじゃうじゃいた。
人じゃない!!
「ヒッ!」
もう正気なんて保ってられない。
あっちへふらふらこっちへふらふら逃げるように彷徨った。
獣人に睨まれる度、黒丸が大きくなったり小さくなったりする度私は大げさにおののいて周りの注目を余計に集めた。
ヒソヒソ聞こえる。
もうやだ……家に帰りたい。
泣きそうになる。
「いた! 人間は石垣市場だ!」
遂には鎧を被った警察っぽいのまで出て来た。
もうやだ! 誰か助けて!
別に何の罪も犯してないのに周りの目が気になって走らざるを得なかった。
曲がり角を曲がるとうさぎのかぶり物をした少年がバットを持って立ちはだかっていた。
逆方向に曲がると足元を小さいふさふさの黒いのが無数に駆けてゆく。
ゾワゾワッと鳥肌が立った。
「ヒイイイイ!」
そうこうしてる内にあっという間に袋小路へ追い詰められてしまう。
挙動不審な明らかに怪しい人間にそこの住人は野次馬のように群がった。警察っぽいのがその先頭に立ってやれやれと首を振る。
「大人しくしてくれ、頼むから」
三つ叉のほこをこちらに向けて静かに近づいてくる。――妙な動きをすれば命はない。
と、一人(?)の黒丸が「人間」と小さく呟いてこちらに手を伸ばしてきた。
それを皮切りに他の黒丸も一斉にこちらに手を伸ばしてきた。
「人間」
「人間」
「人間」
もう恐怖は最大限、足はすくんで動かないし、小さくなって震えることしか出来ない。
涙がぽろぽろ頬を滑った。
――誰か助けて!
そう願った瞬間だった。
「お困り?」
頭上から声がする。
「え……?」
見上げても、逆光でそれが誰なのか良くわからない。
でもこの場所には到底似合わない強烈な青の原色の中、石垣の上から私を見下ろすその人影は随分頼もしく見えた。
「お困り?」
「あ……」
「助けてやろうか?」
――笑った?
そう思った瞬間
「
私に手を伸ばしていた黒丸が小さく呟く。――と、途端にそこにいた他の黒丸が
「「焔ー!!」」
と叫んでその手を焔と呼ばれた人影に向かって長く伸ばした!
シュルシュルシュル!
それは無数の蛇が一斉に獲物に向かって距離を詰めるように、焔に向かって襲いかかる!
しかし当の本人はそれをものともせず、素早く石垣の下――私の目の前に飛び降りると乱暴に私の手首を掴んで思い切り走り出した。
赤く、少し長い髪が彼のシンプルでダボッとした服の上で揺れた。
私の手首を掴んだ彼の右手首にはあやとりが巻き付いており、彼が地面を蹴り上げる度に楽しそうに跳ねた。
「わ、コラ、待て!」
野次馬の間をまるで風のようにすり抜けて一気に飛び出す。
凄い……!
みるみるうちに奴らから離れていく。
後ろから先程の黒丸が追ってくる。
「「焔ーー!!」」
「厄介だな」
初めてこちらを振り返る。予想以上に長い前髪は片目を隠し、もう一方の目はいたずらに輝いていた。
「綺麗……」
「ん?」
「い、いや」
思わずそっぽを向いた。
「ま、良いや。仕方ない、これでもくらえ!」
焔がそう叫ぶと彼の後ろで既視感のある大きな黒いブヨブヨが飛び出した。
「……!」
思わず顔がこわばる。
でもおかげで黒丸達はわちゃわちゃっとそこに積み重なり、滅茶苦茶になった。
「「焔ーー!!」」
その間に私達は路地の向こうへと姿を消していった。
私達が辿り着いたのは細身のうさぎが経営する駄菓子屋さん。沢山の水溜まりでぬかるんだ道の傍でその店は寂しく商売をしてた。
店の前に蹲っていた私の目の前に空色のアイスのような物が差し出される。
焔だった。
「食べる?」
「アイス?」
「ソルベ」
「ソルベ……?」
あれ、それってお酒入ってなかったっけ?
「そっちではアイスって言うんだろうけど、こっちではソルベって言うんだよ」
「へ、へえ。ありがとう」
「いいえ」
シャリ。
口いっぱいにサイダーの爽やかな味が広がった。
美味しい。
「こっちにはどうやって来たの」
焔がソルベを弄びながら聞く。
「……分かんない」
「ふうん」
「ねぇ。ここはあの世?」
「馬鹿」
焔がまた私の手首を掴んで自身の胸に押し当てる。
ひ、ひぇえ!
とく、とく、とく……。
「生きてるから」
「そ、そうですね」
この人……行動がいちいち危なっかしい。
「ここは故郷。人間は居ても人間らしくない、それが故郷」
「こきょう……」
「あんたは異世界から来たんだろ? 名前は?」
あ、そっか。こっちから見たら私達の住む世界は異世界なんだ。
「ねぇ」
「あ、何?」
「だから名前」
「え、あ……浬帆」
「俺は焔」
「知ってる」
会話はここで途切れた。焔の下にソルベの水溜まりが新しく出来てる。――食べないのかな。
でも黙ってた。
時間が、ゆっくり、流れる。
私は俯いてどんどんソルベを噛んだ。
相変わらず焔の下にはソルベの水溜まりが広がってる。
汗が、流れた。
「ねえ、浬帆。『陰』見なかった?」
不意に焔が口を開く。
「陰?」
「目ン玉ギョロッとさせたブヨブヨ」
「う……」
「見たんだ」
「見た……後ろから出て来た」
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