エゲレステンバー

エリー.ファー

エゲレステンバー

 白んできた朝日に少しばかり闇夜が近いと宣うので、自分のことを蔑ろにしてみる。

 窮屈だった夜がもう過ぎ去ったのだと分かると、挨拶もほどほどにしてクラブから出た。

 雨が軽く降っていた。

 下着がないので、たぶん、どこかで落としたのだろう。

 下から入り込む風がやけに現実感を持って体温を奪う。

「傘、忘れたな。」

 言葉を吐いた。

 戻ってこなかったので、たぶん、落ちているような傘の一つすら見つからないだろう。

 こんな遠い異国で自分が何をしているのか、急激に分からなくなる。というか、そういう感覚を欲してここに居るのだから、それでいいのだけれど。

 良いのだけれど。

 寂しかった。

 男の話をしたような記憶がある。しかし、あるだけで明確ではない。たぶん、友達の話もしたのだろう。弟が海外の大学を出て、医者として働いている。というようなことを言ったと思う。

 それくらいしか。

 あたしの人生の自慢はない。

 雨がまだ降ってくる。雨宿りをしていては、遅くなってしまう。

 このまま、どこかに帰ろうか。

 家に帰ろうか。

 家じゃなくとも、どこかの宿に入ればいいか。

 友達の家に入ればいいか。

 そうしよう。

 そうしよう。

 こんな体でどこかの屋根の下に入れるわけでもなし。

「あ。こんなところでどうしたのよ。」

 ルームメイトだった。

 久しぶりに会った気がした。

 実際、二週間ぶりではあったのだけれど。

「どうしたの。本当に。何か、その疲れてるみたいだけど。」

 応えなかった。

 応えられなかった。

「また、寝た。寝てきた。」

 ルームメイトは視線を外して小走りに遠ざかって行った。

「死ねば。」

 それは、そうだろう。

 分かってるよ。

 それくらい。

 ちょっと、期待して言ってみただけなのに、なんでこんなことを言われないといけないのか。こちらの身にもなればいいだろう。こういう生き方をしていれば、それなりに苦労もある。

 だから。

 その。

 同情をしろとは言わないけれど。

 少しくらい優しく声をかけてくれてもいいだろう。

 そう、心か思ったりもする。

 もちろん。

 自分がそういう行動に出たことはないけれど。

 それは。それだ。

 これは、これだから。

 そういうあれじゃない。

「あ。なんだ。お前かよ。」

 昔の男だった。

 相変わらずかっこいい。

 背も高い、肩幅もある。

 中々良いと本気で思える。

 たぶん、二回か、そう。

 六回くらいだと思う。

「あのさ。」

「ああ、いいよ。二枚払うから、あそこのホテルにしようぜ。代金は俺がもつからそこは気にすんなよ。」

 は。

 違う。

 そういうあれじゃない。

 そういうあれをするための、そういうお金を稼ぐ、あれをしようとしている訳じゃない。

 あんまり。

 そうやって。

 察しのいい感じ出すな。

 そういう方向の察しの良さじゃなくて、こっちの感じで察しの良さを出せよ。

 そっちは期待してないんだよ。

 なんだこいつ。

 マジうぜぇ。

「帰って。」

 男は帰って行った。振り向きもせず、普通に小走りで去って行った。

 また、少しだけ時間がたつと、男の子がやって来て傘を差しだしてくれた。

「お姉さん、濡れちゃうよ。」

「ありがとう。やさしいね。」

 雨はまだ降っている。

 しかし。

 傘の取っ手の部分だけ少年の熱が残っていて、温かい。

 あたしは少年のことを見つめる。

 でも。

 この国の文化に傘をさすというようなものはない。

 傘をさすのは富裕層くらいだ。

「どういうことかな。」

「そういうことだよ。」

 ありがとう。

 大好きだよ、これからも。

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