司暮と芳子(第三者視点の桂菱)

剥離が進んだか。

それとも連日の疲れが溜まったか。

その日梔芳子は体が重かった。


不気味なほど静かな丘。視界の隅を這いずり回る影。目玉が生まれ、こちらを見遣る。


「…疲れているのかな?とんでもないものが生まれてきたんだが…」


冗談交じりに呟くと「しっかり…切って!」と刀霊からゲキが飛んだ。


その時である。


「僭越ながら、休息が足りていないように思います」


刀を抜き「ここは私が」と声がかかる。


名刀を受け継いだ剣術の達人。花守の桂司暮であった。芳子が可愛いと思っている花守の菱千利と良い仲である、と噂の当人である。

内心ドキリとしつつ、努めて冷静に「これは桂殿…申し訳ない…お力お借りします」と額の汗を拭いながら答える。


「いえ、同胞の危機に駆けつけるのは当然の事ですから。ああ、それと…折角美しい顔立ちをされているのですから、疲れを滲ませていては勿体ないですよ。芳一殿」


「なっ…」芳子といえど同年代の男に言われ少し照れた。


そして桂司暮の見事な剣さばきにより、戦闘は予想以上に手早く終わった。


落ち着いて刀を納める様子を見て、この男なら可愛い千利殿を任せてもなんの憂いも不安もない、と芳子は思った。


「桂殿は好色一代男かもしれませぬなぁ…容姿を褒められて不覚にもときめいてしまいました…しかしそれ以上の褒め言葉は千利殿にとっておいてくださいな…照れます」と冗談で返した。


「芳一殿はご冗談がお上手ですね。とはいえ、そうですね。千利さんを悲しませるようなことは言うべきではありませんね。」

と、納得した様に頷き「気をつけなくてはいけませんね。ご忠告ありがとうございます」と生来の生真面目さで礼を言った。


「まぁ、私の杞憂でしょうね。お二人の良い噂は私の方まで伝え聞いております故…昨日は仲睦まじく手を繋いで帰られたとか…ふふふ…」頰に手を当てて微笑む。



その日はちょうど菱千利の救援に入り霊魔を片付けたところだった。

祓い終えて一息つくといつも律儀にお礼を述べる千利が見当たらない。

はて、と辺りを見渡すとそこには噂の桂司暮と二人、初々しく会話をする千利の姿があった。


「ほぅ」

噂は本当だったとは。

と、緩む口元を押さえつつ、更に見ていると手を繋いで歩き出したのでソッと後をつけた。


手を繋いでいるところを見たのはたまたまだったが、後をつけたのはたまたまではなかった。しかしそれを言うほど芳子も無粋ではないので言葉を飲み込む。


「まさか噂になっているとは…これは参りましたね」とさも嬉しそうに言う男を憎めないと思いながら「ご馳走さまでございます。仲良きことは美しきこと…このような世の中ですが良い噂を聞けて私も嬉しゅうございます」と言葉を返した。


すると思ってもいない申し出が司暮から飛び出した。


「今日は気分が良い…蕎麦でも奢りましょう」


「なんと…太っ腹な!助けて頂いた上にご馳走になってしまうとは…かたじけない。しかし幸せのおすそ分け、有り難くご相伴にあずかります」


可愛い千利の良き人ならば…もう少しだけ知りたいという好奇心を抑えきれず芳子は司暮の後に続いた。



案内されたのは白木が香る小洒落た蕎麦屋であった。

飲める口なら…とあれよあれよとお酒も運ばれて、蕎麦の前に肴と共に一杯やることになった。


互いに酌をしてお猪口をスッと上げる。

クイっと飲み干すと淡麗ながらも香り高い芳子好みの酒であった。


流石桂殿は良いお店を知ってらっしゃる、と言おうとしたら真っ赤な顔の司暮と目が合いギョッとする。


「…もしや桂殿、お酒に弱い…?」


「いやぁ、そんなことはございません」

と今度は手酌で酒を干す。

たった二杯で完熟柿のようになってしまった司暮に呆然となりながらも、饒舌となった司暮が得々と千利との惚気を話し始めたので様子を見守ることにした。


「しぇ、千利さんはですね…非常に可愛らしくてですね…こう…刀を振るう手だというのに美しく、柔らかい乙女の手でした…」


「あぁ、千利さんはまだ十九…私は急ぎ過ぎているのれしょうか…」


「千利しゃんの唇…」


「おっとそれ以上はいけない」何となく艶めかしい話の流れになってしまったので、芳子は助け舟を出した。この男のため、というより千利のために。


するとまたポツポツと司暮が話し始める。


「…私は千利さんを守れるでしょうか…私は千利さんと一緒に…いき…て…」


瞼が落ちてきて最早眠そうな声色である。

濃いお茶を店主に頼み、羽織を一枚司暮に掛ける。


「大丈夫…優しい人は皆強いですよ…強くないと優しくできませんから」


貴方も千利殿も優しい人です、と続けた。


「我々は大人しく見守っております故」


その後はお茶で何とか復活した司暮と共に月見蕎麦を食べて蕎麦屋を後にした。


月が夜道を照らす美しい夜だった。

願わくば二人の行く先に幸多からんことを、芳子は月に祈って司暮と別れた。

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