第44話 発覚と拘束と三人目の精霊

 はっ、として僕は目が覚めた。

 見慣れた僕の部屋の天井だ。


 ベッドから身を起こすと、幼女から大人になったアイリーンが枕元に伏せて寝ていた。

 だいぶ泣いていたんだろう。シーツが濡れている。


「……起きたか、お前様」


 気がついたように顔を上げて、僕をみつめる。そして何か言いたそうに一瞬、唇を噛んだ。僕も言いたいことはあった。

 どちらともなく視線をそらす。

 そっと彼女の指先が僕の指に触れた。


「アイリーン……」 

「なんじゃ」


 助けてくれたのはわかる。でも、あんなふうに喰べてしまうとは……。

 何度も夢をみていたように思う。セシルを頭から喰べ、こちらを向いてにやりとするアイリーンの姿を。はたまた僕自身が喰べられてしまう場面を……。


 最初からセシルはいなかった。彼女はグリモワール本人だった。

 グリモワール本人に言われても、実際にこの目で見ても、それが現実のことだと思いたくない自分がいる。セシルとは学園のときからの付き合いだったし、はじめて好きだって言われた相手だったんだ。正直、割り切れない、


「あんな儂をみて嫌いになったか……」


 ポツリと呟くように問いかけてくる。

 なんとなく視線を合わせられずに、互いに宙をみている。


「……あのさ、」


 と、口を開きかけたところに、アイナ指揮官がワイダ宰相たちと部屋に入ってきた。

 なぜか近衛兵たちが数人僕たちを囲んだ。アイナさんの表情もかたい。


「いきなり入ってきて何を考えておるのじゃ!」

  

 アイリーンの抗議を無視して、厳しい顔をした宰相が手持ちの書状を読み上げる。


「ピーター=ヨハンソン、貴様を密入国管理法違反と世界転移魔法使用の罪で拘束する!」

「え?」

 

 近衛兵たちが僕を縛り上げる。


「ちょ、ちょっと! 何するんですか。あ、アイリーンっ!」

「ほら、お縄になれ! 人喰い魔導書が!」


 捕まったのは僕だけではなかった。隣にいたアイリーンもまた拘束された。彼女の場合、僕とは違って黄色く点滅する光の輪が手足にはめられた。


「エア! フレイヤ!」


 抵抗しようと二人の精霊を呼ぶ。

 が、返事はない。

 

「貴様が寝てる間に精霊たちは拘束したのです!」


 上からさげすむような視線を浴びせながら、アイナさんが胸を張る。

 たしかに彼女たちの気配が感じられない。二人とも高位精霊だ。おとなしく捕まってしまったとは思えない。


「立つのです! 犯罪者めがっ!」

「……っ」


 後ろ手に縛られ無理やり立たされた。


 ★★★★★


 アイナ指揮官直々にしょっぴかれた挙句、僕は独房に入れられた。

 誓約をしている精霊たちとはもちろんのこと、アイリーンとも離れ離れだ。


 広さは人二人が横になれる程度。窓がないため薄暗く灯となるのはロウソク一本だけ。床には穴が空いているが、どうやらトイレらしい。


 それに静かだ。

 洗面台に水が滴り落ちる音だけが響く。


「ほら、食事だ」


 ガチャガチャと金属が擦れあう鈍い音がする。

 パンと水だけ。これが僕の食事だ。

 

 食べおわって硬いベッドに横たえると、これまでのことが走馬灯のように脳裏に浮かんできた。


 気がついたら、アンリエッタという同室の女の子と一緒だったこと。

 左腕に巻きついていた魔導書のおかげで追試験を通ったこと。そのことをきっかけに学園で友達が増えていったこと。そしていつの間にか精霊を含めた女の子たちと仲良くなったこと。


 いろいろあったなあ……。

 僕の運もここまでか。



 ただただ時間が流れていく。

 ちょっとでも気分を変えようかと、起き上がる。


「顔でも洗うか……」


 今までアイリーンをはじめ、誰かしらそばにいた。そのためだろうか、暗い部屋でボソッと呟くと、声がこだまするように聞こえる。


 洗面台に水を張って水面みなもを覗きこむと、ゆらゆらと女の子がみえた。


「わっ!」と、思わずのけぞった。


 だって僕以外ここにはいないはず。もう一度おそるおそる覗いてみる。

 そこには透明感のある女の子が、ゆらゆらこちらをみて手を振っていた。試しに後ろを振り返ってみても誰もいない。


「……い、さま……。異人さま?」 と声がする。

 もう一度勇気を出して今一度覗くと、やっと気がついてくれたと言わんばかりに、水面から飛び出して、僕の上半身を濡らした。


「あ~あ。ビチャビチャだよ」

「ごめんなさい、わたくしとしたことがつい……。申し遅れました、わたくし、水と氷の精霊グラキエ=アクアと申します。お初にお目にかかりますわ」

「えっ、水と氷の精霊?」


 目の前の女性は触れると消えてしまいそうな雰囲気を漂わせている。瑞々しく動くたびにきらめくロングドレスが目立つ。背丈は僕とたいして違わない。


 首を傾げて不思議に思う。何って唐突すぎる。

 これまで精霊たちとはこちらから召喚してきた。今回はなにもしてない。ただ洗面台に水を張っただけだ。


「あの、僕は召喚してないんだけど……」

「ああ、そうでしたわね。ご説明がまだでした。わたくしは炎の精霊女王から警告をいただいて、自らまいりました」

「フレイヤが?」

「ええ。わたしくの永遠のライバルですわ。彼女がとても切羽詰まった様子で、こちらに大きな災いが降りかかる、この世界が滅してしまうというものですから、貸しを作ろうかと思いまして」

「ちょっと待って! 世界が滅ぶ? そんなことをフレイヤが言ったんだ」

「はい、フレイヤは神官が危険な存在だ、と言っておりましたわ」


 ん? フレイヤや僕が知ってる身近な神官って、アイナ指揮官しかいないぞ。あの炎の聖霊女王さんがアイナさんが嫌いなのは知ってるけど……。危険ってなんだよ、危険って。嫌いすぎだろ。


 まあ、それはともかく、目の前にいる精霊は自分の意思で現れたってことか。


「世界が滅ぶ、とかよくわからない話はひとまず置いておいて、君は自分で僕のところに来たってこと?」

「はい、さようです。わたくしのことはどうかグラキエとお呼びくださいな、異人さま」


 そう言いながら、僕の前で跪いた。


「え、えっと。まだ誓約を結んではいないから、そんな風にされても……ね?」


 弱ったな。精霊とは誓約を結ばないと、精霊固有の魔法を使うことはできない。フレイヤのようになし崩し的にいつの間にか交わされた、なんてこともあるけど。


「あら? そんな心配そうな顔をされなくても。わたくしと異人さまは既に誓約を交わした間柄ですわ」

「へ? どういうこと?」

「あちらで水を飲みませんでしたか?」


 グラキエは洗面台を一瞥した。


「そ、そりゃあ。喉だって乾いたし」

「でしょう? それはわたくしの一部ですわ。もはや貴方さまの一部になったのと同然ですわ、異人さま」

「それだと以前、監獄ここに入れられた連中も、ってことだよね……」

「いえ、それはございません。第一、あの偉大なアイリーン様のお相手ですもの。ちゃんと事前調査はして、ここに参った次第ですわ」

「アイリーンを知ってるの?」

「それはもう……。精霊で知らぬものはおりませんわ。魔導書の中の魔導書ですし、根源の魔導書様ですもの。そのお方に見出された異人さまもまた、ご高名ですわ」


 知らなかった。アイリーンが有名な魔導書であることは聞いていたけれど、そんなにすごい子だったんだ。

 あれ? 今、僕がアイリーンに見出されたからすごいって!?


「ちょっと買いかぶりすぎだよ。アイリーンはすごいかもしれないけれど、僕なんて大したことないよ」


 僕が手を振って否定すると、グラキエは頬に手をあてて小首を傾げる。

 少し考えてから、僕の目をまっすぐに見つめて問いかけてきた。


「貴方さまはご自身のお力をご存知ですか?」

「大したことないよ、本当に。だって学園じゃいつもビリだったし、ようやく入った魔術師軍でもやっとのこと、みんなについていってる。精霊たちはもちろんだけど、みんなのおかげで何とかなってるんだ。僕自身の力なんかじゃないよ」


 時折、感心したようにうんうんと頷いていた。独り言のような告白が終わると、優しくにっこりとして僕に教えてくれた。


「貴方さまは『異人』です。おそらく異世界からアイリーン様が連れてこられたのでしょう。異なる世界から来られるということ自体、高い魔法力がないとできません。そのことをアイリーン様は見抜いておられたのでしょうね」

「……病気が治ったとき、アイリーンが死にそうな人の魂の代わりとして、僕を入れたとか言ってたな」

「異人だというご自覚はおありだったのですね」

「まあ、アイリーンには言われたし……でもどうして、『異人』の魔法力が高いの?」

「異なる世界からこちらへ転移される際、ほとんどの方は崩壊してしまいますから……」

「え? 崩壊って……」

「文字通りの崩壊ですわ。肉体も精神も一粒残らず消え去りますの。世界転移は自然のことわりに反することですから。たとえ魔導書の根源たるアイリーン様であっても、貴方さまの力がなければできないことですわ」


 びっくりうした。気軽にできるものとばかり思っていた。

 異世界転生や転移って、元いた世界では物語のなかではよく見聞きしていたから。

 それに何の取り柄もない自分がこうして転移してきたってこともある。


 エアやフレイヤたちが力があるって言ってたのはこういうことだったんだ。


「異人さまのおごり高ぶらない姿勢は素晴らしいですわ。第四階梯さまや精霊女王が、つき従うわけですわ。わたくしもご同行させてくださいませ」


 グラキエは改めて姿勢を正し、僕の前で跪いた。

 誓約を交わしちゃいけないって理由はなかった。


「う、うん。よろしくグラキエさん」


 僕がうなづくと嬉しそうに微笑んで、ロングドレスが煌めいた。

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