第42話 初陣
寮に戻ってくると、僕の部屋には先客がいた。
アンリエッタとセシルだ。普段、彼女たちとは別部屋だけど、消灯時間までおしゃべりしたりすることは多い。僕の部屋にきちゃうのは学園で同居していたせいだろう。
戻ってくるなり、つかつかとアンリエッタが詰め寄ってくる。
「ピーター! もう明日の朝、出陣だってさっ」
「そのようだね。さっきアイナさんから聞いたよ」
「聞いたよって……。よく平然としてられるわねっ。まだ本格的な訓練は一回しかしてないのよっ。それなのにもう実戦でしょっ、あたしは不安だわっ。ねえ、セシルもそう思うでしょ?」
「そんなこと言ってもねえ……。だって命令だから。上司のいうことは絶対よ、アンリ」
二人とも眉根を寄せて抱き合った。
彼女たちは不安なんだ。
だって入隊して間もないのに、ちゃんとした訓練は雪山で一回だけ。そんな状況で魔術師軍として出陣しなくてはならないのはあまりに過酷だ。
アンリエッタもセシルも魔法で他者の命を奪ったことはない。他者を傷つけた経験があるのは僕だけだ。ふと、体育祭でグリモワールに支配されたヘンリーのことを思い出す。残された彼の妹の厳しい視線と叩かれた頬の痛みは忘れられない。
「守らなくちゃいけないから……」
彼女たちにというより、僕自身に言い聞かせるようにつぶやいた。それを聞いていたのか、ずるりと僕の体内からフレイヤが現れた。
「へえ、なかなかいいじゃん☆ 力は貸すわよ、てへへ☆」
「あらん、あたしもいるわよん。ご主人様」
フレイヤとエアが親指を立ててみせる。
エアには何度か助けられているけど、フレイヤとは初めての実戦になる。実際に敵と対応したエアとうまく連携が取れるのかとか、いろいろ不安がある。
「……おじゃまする」
「や。固くなってないでござるか」
僕たちを気遣ってか、ミロンさんたちが顔を出してくれた。どかっと僕のベッドに座ると、手にしていた小袋を開けた。
「わあっ!」
セシルもアンリエッタも目を輝かせている。広げられた袋からはお菓子の類が見え隠れしている。
「どうしたんですか? これ」
「ああ、お主たちと親睦を深めたいとミロンが言うのでな」
「……それはお前だろう、少尉」
などとお互いに遠慮がちに
要はお菓子でもつまみながら、リラックスさせようと考えているんだろうな。
「いいですよ、ありがとうございます」
遠慮することなく、さっそくお菓子をパクついてるアンリエッタや精霊たちのたくましさを見てると、何とかなるさ、と思った。
★★★★★
魔術師軍は特殊な部隊だ。
弓矢が届かない遠距離からの魔法攻撃や、大規模な敵陣を一網打尽にする。
そして今回のようにモンスター退治も仕事の一環だ。
西方森林地帯は、王宮がある都から馬で五日かかる。だから朝日が昇る前にこうして飛行術で空を飛んでいるわけだ。下から見るとちょうどひし形になる。渡り鳥が群れをなして飛んでいるようにも見えるだろう。
先頭を切るのはもちろんアイナ指揮官、人四人分ほど下がって右側がアンドレ少尉、左側がミロン軍曹だ。僕たち新米はというと、ミロンさんの斜め左がリーンと僕、アンドレさんの斜め右がアンリエッタ、守りの後衛にセシルがいる。
この布陣は魔力量が多く体力があるものが列の先頭に、と考えてのことだという。
さすがにいくら飛行術を使っているからといっても、遠方だ。それなりに時間も体力も使うので、こういう細かい配慮は助かる。
さいわい暖かく日差しもあり、飛行するのには快適すぎるくらいだ。
先頭のアイナさんは鼻歌混じりだし、隣にいるアンリエッタやリーンもすっかりリラックスしている。これからモンスター退治をするとは思えないほど悠長だ。
「さて、あそこで少し休むのです!」
そう言ってアイナさんが指さしたのは、西方森林地帯を遠方にのぞむ山の頂だ。
飛行術は魔力を消費する。風精霊の力を借りてるとはいえ、その魔力の供給源は僕たち自身だ。それにお腹も減ったし、のども渇いた。ありがたくみんなで一息いれることにした。
「はあ、疲れた」
「何言ってるの、ピーターっ。あと一日ほど飛ばなきゃならないのよっ」
「お腹すかないの? アンリ」
胸を張って地平線を指差しているアンリエッタだったが、僕の言葉に反応してか、ぐぅと鳴った。
「た、戦う前にしっかり栄養をとらなくてはねっ」
「……あはは」
空腹を主張しているお腹をかばうアンリエッタの様子をみて、セシルは苦笑した。彼女もお腹が空いてるはずだが、そんなそぶりはみせない。
「ほら、アンリもセシルも景色ばかりみない。休息も業務だ」
なんとなく浮き足立っている二人をミロンさんがたしなめた。久しぶりに寮から離れて外出したせいなのか、陽気にあてられたためなのか緊迫感はない。どんなモンスターなのかわからないのに。
食事も終わり、山から再び空へと舞った。
はるか彼方にあった森林が近づくにつれ、次第に雲行きがあやしくなってきた。今にも雨が降りそうだ。どこからともなく、冷たい風が吹いてきた。
「な、なんだか寒くない?」 震える声でアンリエッタが話しかけてきた。
「うん、ちょっとね。雨降りそう……」
元々コートを着ているミロンさんや薄着なアイナ指揮官はともかく、アンドレさんも上着を羽織った。
「着ようか、アンリ」
「そうねっ」
支給された軍用コートを着たとき、遠雷が聞こえたような気がした。
「ご主人様、この天気おかしいですぅ。風の流れが変だし……気をつけてくださいぃ」
エアがひしっと僕の頬にしがみついた。
たぶんこれ、モンスターが近くにいる!
★★★★★
予感は当たっていた。
耳をつんざくほどの雷鳴がした。稲妻とともにそれは現れた。
「これはこれはウジ虫のピーター様、お久しゅうございます」
目の前に現れたのは、いつぞや見たことがある山高帽を被った男ルキフゲだ。
「む! なのです。みんな気をつけるのです!」
アイナ指揮官の指示のもと、総員戦闘態勢にはいった。
前回はたしか文化祭の花火のときに少し戦ったんだな。確かあのときはファイアーボールが主だったはず。
「アイリーン様もお久しゅうございますな」
「黙れ! このキザ野郎が」
「まだそのようなお姿なのですか? 大魔導書アイリーン様……」
「黙れと言ってる!」
くくっ、と含み笑いをするルキフゲを睨みつけると、今にも飛びかからんとリーンが体勢をとった。
「ち、ちょっと。何言ってるの? 大魔導書アイリーンですって? リーンちゃんがっ」
「ふふ、知らぬのですか? アイリーン様もピーター様もお人が悪い……」
リーンが大魔導書アイリーンであることは、ずっと隠してきた。
『人喰い魔導書』だからすぐに捨てよ、とまだ彼女が本だった頃にマグナス先生に言われていた。でも僕は捨てられなかった。だってダメダメだった僕に魔法を教えてくれて、いろいろ助けてくれたのはアイリーンだだったんだ。
彼女自身も少女リーンであることを望んでいた。そのほうが大魔導書アイリーンであることを隠せるって言って……。
「ねえっ? ピーター、ほんとなの? 大魔導書はどっかにいったって言ってたわよねっ?」
「……」
「うそっ! うそよ! うそだといってよっ! ピーター! リーンちゃんはあなたの従姉妹じゃないのっ」
「本当じゃ、儂はリーンではなくアイリーンじゃ。ピーターを責めるでない。アンリエッタよ」
僕が俯いていると代わりにアイリーン本人が応えた。彼女の横顔をちらりとみた僕はいたたまれなくなった。血が滲むほど下唇を噛みしめ、わずかに震えている。アイリーンだってつらいのだ。
真実を聞いてワナワナと震えているアンリエッタ。
僕らの事情を無視して、パチンと指を鳴らす音がした。
次の瞬間、戦闘どころじゃなくなっているアンリエッタに向かって、複数の火球が飛んでいく。
「アンリ! ええい、ウインドブレーカー!」
間に合わない! そう思った僕は風魔法でアンリエッタを突き飛ばしていた。
火球は幼なじみには命中せず、宙に消えていく。
「何するのよっ! あんたなんか嫌い! リーンも嫌いっ!」
「ちょっと待つのです、アンリエッタ。今は戦闘に集中するのです」
「……わかりました」
アイナ指揮官に止められたものの、僕やアイリーンを見ようともしない。
「ふふ、仲間割れですか。いいことです」
ルキフゲが再び指を鳴らすと、瞬く間に僕たち一同は炎の壁に覆われる。
ファイヤーウォール、炎の壁だ。
「これで貴方たちは逃げられなくなりました。さてご挨拶も終わりましたし、とどめを刺しますか」
にやりと笑い山高帽を被り直すと、ルキフゲは大量の火球を僕たちに向かって叩きつけた。
「時間の扉よ、開け!」
とっさに僕は時間制御魔法をかけた。一斉に放たれた火球から逃れ、ルキフゲに一矢報いるにはこれしかない、そう判断した。
詠唱が終わるやいなや、
僕が時間をコントロールできる範囲はこれまでの経験からわかっている。僕自身の目の届く範囲内だ。それでも急襲には対応できる。
みんな、時間制御に気がついたようで、あわてて降り注ごうとしている火球から逃れた。
「さらに腕を上げられたようで何よりです、ピーター様。あのお方が執着されるわけだ。では死になさい」
三日月のように口角を上げて不敵な笑みを浮かべると、ルキフゲは両手を合わせた。両手からは漆黒の剣が現れた。
「わが魔剣ティルヴィングの
そう言いながらこちらに向かって大上段に剣を振りかぶって突進してきた。
あちらの剣の方が長い! 短剣しか持ち合わせていない僕がかなうわけがない! 反射的に身をかばうように両腕をクロスさせて前に出した。
「そんなので我が身を守れるものか」
脇からルキフゲの剣先をはね除けたのはアンドレ少尉の長剣だ。
「少尉申し訳ない」
「そんなことはいい。とっととこのキザ野郎に魔法をぶちこめ!」
魔剣ティルヴィングの切っ先をかわしながら、少尉は僕に指示した。
こいつ、ルキフゲの弱点はどこだろう……と、考えてみるがなかなか思いつかない。
『よいしょっと、出番のようだね☆』
体の奥からフレイヤの声がした。背中から首にかけてズルリとした感触がした。
「おや、精霊女王様じゃないですか……」
「ふん、誰かと思えばルキフゲじゃん。グリモワールの奴の小間使い風情がこの人間を倒すというの?」
クスクス笑いながら、全身を燃え上がる紅に染めていく。フレイヤが戦闘体勢に入った証拠だ。
「わかりませぬ……アイリーン様といい、フレイヤ女王様といい、第四階梯様といい……どうしてみな、こんな人間風情に力を貸すのです?」
「バカじゃないの? ち・か・ら・があるからよ。ピーター、一緒に唱えようよ☆」
首を傾げているルキフゲをかまうことなく、フレイヤは左掌をかかげる。その手をとって僕らは一緒に詠唱した。
「「メラフレイムストーム! 消し炭となれ」」キザ野郎!」
よほどルキフゲが嫌いだったようだ。最後の『キザ野郎』はフレイヤがつけ加えた台詞だ。
炎が嵐のように吹き荒れ、いっせいに山高帽男めがけて降り注いだ。火の魔法を得意とする彼も炎の精霊女王の怒りには耐えられず、悲鳴をあげながら燃えていった。
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