第39話 ひそんでいた炎の精霊
「ほら! 起きろ、お前様よ!」
気がつくと両頬をぺしぺし交互に叩かれていた。
「んっ……」
目の前が少しずつ明るくなる。馬乗りになって顔を叩いていたのはリーンだ。
気がつくと僕はベットの上にいた。少し枕が硬いから自室ではないようだ。上体を起こすとミロンさんやアンリエッタたちがいた。
複数のベッドがあってカーテンで仕切られているところをみると、どうやら医務室らしい。
情けないことに鼻血を出してしまった後の記憶がない。
「お前様、大丈夫か?」
「あれ? 倒れちゃったのか、あのあと……」
「何を能天気なことを。あんたね、庭の魔法陣の中で倒れてたのよっ。何をしてたのよっ」
「何って……。いや、炎の精霊を召喚してたんだけど」
「炎の精霊? そんなのいないわよっ。朝っぱらからなに妄想してるのよっ」
「え、そんなばかな。リーンもミロンさんも見たでしょ⁉︎」
フンっ、とそっぽをむくアンリエッタはさておき、魔法陣のそばにいたリーンたちに同意を求めてみる。二人とも顔を見合わせ眉根を寄せるばかりだ。
あれ? 夢の中のことだったのか。ほんとは失敗しちゃったんじゃないだろうな。不安になってあたりに視線を漂わせる。もしかしたらそのあたりに隠れてるのかも。
「さっきから落ち着かないわねっ」
「そうですよ。キョロキョロしちゃって……」
「あのさ、アンリ、セシル……。真っ赤な肌をした女の子を見かけなかった?」
元同級生二人も顔は見合わせるとため息をつく。
「はあ? 知らないわよっ。またエッチな夢でもみたんでしょっ」
「ピーター君、頭を強く打ったのね」
「ち、違うって……」
なぜか背中が汗ばむ。みんな完全に誤解してるようだ。
「あのな、お前様……見かけたことは見かけたのじゃ。だけどすぐに消えてしまったんじゃよ。のう、ショタ軍曹殿」
「……と、年下は好きだがショタではないぞ、リーン殿。で、何か精霊と話したのか? ピーター君」
「ええっと、誓約したいって話をしてたんです。それで条件を出されて、OKってことになったんですが」
「うむ」と、なにやらしたり顔で頷くミロンさん。
「条件?」
「はい。あ、ほら、アンリも自分の風精霊と誓約を結んだ時だって、条件を出されただろ?」
さりげなくアンリエッタに話をふった。炎の精霊に抱きつかれたなんて言ったらひどい目にあう。
アンリエッタはううんと
「あたしのときはお菓子と交換だったわっ。懐かしいわねっ」
「そうそう、ご主人様とキ……もごもご」
「わああ、な、なんのことかなあ」
げ! 危ない、危ない。あわてて肩にのっかっていたエアの口を塞いだ。風精霊のことを例にあげたのはまずかった。こんな状況で『キス』なんて単語が出てきたら。きっとアンリエッタたちに袋叩きにされちゃう。風精霊との経緯を知ってるリーンはすました顔をしてるけど……。ああ、このままこの場をスルーしたい。
妙な空気が漂ったそのとき、不意に声がした。
『おおい! さっきからあたいを探してるみたいなんだけど?』
声がした方を見ても誰もいない。むしろアンリエッタたちの視線が痛い。でも聞き覚えがある声だ。かすかな希望があったのかもしれない。不審がられるのを承知で姿なき声の主に問いかける。
「誰?」
『誰とは失礼ね☆ 忘れちゃったの? フレイヤお姉さんだよ☆』
「え? どこにいるの? 姿が見えないんだけど」
奇妙なことに声が身体のなかから聞こえてくるような感じだ。
『あ、いっけな――い☆ 今、出るから』
「ちょっとっ、あんた誰と話してるのよっ」
「誰って……ほら、探してた精霊……」
言い終わらないうちにみるみるアンリエッタたちの顔が引きつっていく。
「どしたの? みんな、顔色悪いけど?」
「ピーター君、う、後ろ……」
青ざめたセシルが指を指しているので、振り向くと僕の背中は燃えていた。いや、熱量を感じないから、燃えているっていうのはちょっと違う。
身体の中からずるっ、ずるっと
ざわつきがなくなると、誰かがポンっとベットから飛び降りた。
「うわ!」
「うわって、なによ。うわって。あたいだよ。フレイヤだよ☆」
人の形をした炎が目の前にいた。深紅の瞳にゆらゆらと逆立っている赤髪、艶やかな紅色の肌。どうみてもさっき誓約を交わしたフレイヤだ。
「ごめんごめん☆ あったかくて、ついつい中にいたよ、てへへ☆」
「なかにいたって……。儂らにわからんわけじゃ……」
てへぺろしている炎の精霊に対して、リーンが呆れた口調でため息をついた。魔導書であるリーンや精霊であるエアにも気づかないことがあるんだな。
『あらあ! ファイヤークィーンじゃありませんかぁ。おひさしゅうございますぅ』
「あらあらあら、これは風精霊第四階梯☆」
フレイヤとエアがお互いにお辞儀してる。態度も口調も軽いエアがうやうやしくするなんて珍しい。
「二人とも知り合いなの?」
『ご主人様、この方は炎の精霊の女王ですわよん。この方をお呼びになるなんて……。さっすが、ご主人様ですぅ』
「てへ☆ 勝手にみんながそう言ってるだけで、とてもとても……あたいなんかじゃ
急に厳しい目つきになり、フレイヤはリーンを睨みつけた。フレイヤを取り巻く炎が一瞬、青白く見えたのは僕の気のせいだろうか。
「……この若い男に
エアと接していたのは違って氷のように冷たい。これに対し、リーンもフレイヤを睨み返した。
「……憑いてなどおらん。儂はこの子を守護しているのじゃ」
「ふ―ん。二の舞にならなきゃいいわね」
「なるわけがない。もうごめんじゃ」
なにか遠くを見つめるように目を細めると、左腕にからんできた。普段は軽く絡ませてくるのだけなのだが、妙に密着してくる。まるでわが子を離すまいとする母親のようだ。
「……わからないな。どうして炎の精霊でも高位のものが、ピーター君と誓約した?」
「そうですよね、不思議です。エアちゃんだって偉い精霊さんなんでしょ?」
「なあに。あたいがこの子を選んだのは簡単なことさ」
「そ、そうよっ。いつもピーターばっかり……」
ああ、そっか。なんとなく理由がわかる。リーンがそばにいるからだ。マグナス先生に言わせれば、『人喰い魔導書』と呼ばれるほど強大な魔導書だ。
『膨大な魔力が漏れにくい』と以前、本人が話した幼少時の彼女の姿はかりそめの姿。それでも精霊たちや神官にはバレてしまうようだ。風精霊エアや神官であるアイナさんにはわかっていた。おそらくフレイヤも。
口の軽そうなエアも、今このときばかりはリーンの様子をうかがっている。
「……簡単なことじゃ。こやつの潜在的魔力が高いからの」
「あら、そう? 言われてみれば……。ちょっとこの子、違うかな」
『そうですよぉ。ご主人様は時間制御魔法が使えるですよぉ』
ここぞとばかりエアがリーンのフォローにまわる。時の流れをコントロールできる魔法は僕の武器の一つだけど、それは僕だけが使えるってわけじゃないだろうに。
「そういえば、訓練の時に急に応答速度が早くなったな。あれか」
「あ、はい。ミロンさん。申し訳ないです。僕の力では自分自身を加速させることしかできないもので……」
「いやいや、他の者やその場の時間をも制御できるものは宮廷魔術師にもいない。そんなことが可能のは時の女神くらいだろう」
「時の女神?」
『ご主人様、あたしたち風精霊の上位のお方ですよん、ね、リーン』
意味ありげにエアはリーンに同意を求める。当のリーンは唇を噛んだまま無言のままだ。
『ま、まあ。そんなに修行してなくても、すぐにご主人様は時間を制御できたから大したものよん』
突き刺さるようなリーンの視線から目をそらすと、エアは小さな胸をはってみせた。
フレイヤが目を細め、リーンも自分のことのように自慢そうに小さな胸をはった。リーンにしてみれば自慢の弟分を自慢してるような感じなんだろう。なんだか照れくさいや。
「……考えてみるとピーター君の魔力量は多い。私の魔法をあれだけ連続で避けることができた。そのうえで時間制御を使ってきたからな。それにこうして高位の精霊たちを具現化しているものな」
「高位の精霊? エアとフレイヤがですか? ミロンさん」
「ああ、そうだ。ピーター君。たいてい誓約した精霊は指示を聞くだけだ。そこの二人のように、人格を持ってる精霊は少ない」
「そういえば……あたしやセシルの風精霊さんはあんまりお喋りしないわねっ」
「うん。エアちゃんのようにお話ししてくれない……つまんない」
羨望の眼差しをエアたちに向けるアンリエッタとセシル。
そんなに羨ましいの? いろいろ助言をくれることもあるけど、けっこう賑やかだよ。女の子としては一緒におしゃべりしたいんだろうな。
「ふむ、それにピーター君」
「はい、ミロンさん」
「君は自分自身の能力を過小評価している。こうやって炎の精霊とも誓約したではないか」
ポンと僕の右肩を叩くと、用事があるといってミロンさんは医務室から出ていった。
上司がいなくなってほっとしたところで、真剣な顔で炎の精霊が声を
「ところで……ピーターとやら、あたいは溜まってきたので発散したいんだけど」
「えっと、クィーン……さん? 溜まったって何がですか?」
「く、クィーンはよせ! 恥ずかしいじゃないか……そうだな、フレイヤと呼んで☆」
急にボンっと頭の上の炎が大きくなった。
赤面したりしてても、元々真っ赤なんだから表情は読み取れない。それでもめちゃくちゃ慌てた口調からして、本気で恥ずかしいらしい。
「わかりました、フレイヤさん。どうしたいんですか?」
溜まってるのはストレスだろう。それだったら一緒に訓練するとか筋トレするとかすれば解消できる。単純にそう考えてた。
ところが……である。
「なあに、ちょっとあの建物を燃やしたいんだけど、いいだろ? えへへ☆」
「へ?」
ちょっと何言ってるかわかんないんだけど。
「あの建物を燃やしたいんだ、いいよね☆」
にこにこしながら彼女が指さしてたのは、宮廷魔術師軍がいる場所からほど近い王宮の塔だった。
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