第38話 炎の精霊フレイヤ

 歓迎会という名のみだれた宴会が終わって、次の早朝のことだ。

 みんな、はしゃぎ過ぎてまだ寝ているようだ。


 久しぶりにリーンと二人で中庭を散歩していた。


「昨夜は大変じゃったのう、お前様。モテモテで……」 


 くくっと笑いを押し殺しながら、僕を小突いて冷やかしてきた。


「な、何言ってるんだよ。助けてくれないばかりか、一緒になって絡んできたくせにさ」

「そ、それはじゃな……。お前様に悪い虫がつかないようにじゃな……」


 なんだか歯切れが悪いなあ。いつもズバズバ言うくせに。


「それはそうと久しぶりじゃの。お前様とこうして散歩するなぞ。いつぞやの花火以来か‥‥」

「うん。なんだか照れる」


 照れているのは僕だけじゃないはず。

 だってさっきからリーンの頬がほんのり赤い。


 きゅっ、と僕の左腕を抱き寄せ、べったりと肌をつけてくる。


「ど、どうしたの? リーン」

「……なんとなくな。それはそうとお前様よ、先日、炎の精霊が見えたのじゃろう?」


 そういやそうだった。僕の方を見てにっこり微笑んでくれた覚えが……。


「いてっ!」

「何をにやついておるのじゃ! この女たらしめが!」


 ぎゅう、と思いっきり手の甲をひねられた。


「女たらしじゃないよぅ‥‥」

「ふん、天然の女たらしは始末におえんわ。とんだやつをす……」


 と、言いかけて口をモゴモゴさせると、急に大きな声を出してきた。


「と、ともかくじゃ! 炎の精霊を眷属けんぞくにつければ、ミロンとかいう女と対等に戦えるのじゃ」

「眷属って何?」

「平たくいえば家来ってことじゃ。今のところお前様は風精霊第四階梯だけじゃろ?」


 そりゃあ、エアだけが今のところ一緒にいてくれる精霊だけどさ。彼女のことを家来だなんて思ったことはないな。

 待てよ……。精霊って魔法の種類と同じだって習ったな。ってことは、僕はたった一種類の魔法しかマスターしてないのか。


「ねえ、リーン。結局、僕って風魔法しか知らないってことだよね」

「うむ、そういうことになるな」


 思いっきり力が抜けちゃった。

 今まで僕は何してたんだろう。これじゃ遊んでいたのと同じじゃないか。就職できたからって喜んでる場合じゃない。


「どした? お前様、顔色が悪いぞ」

「いや……ちっとも強くはなってないんだなって。このままだと大魔導書にさえ負けるんじゃないかなって思ってさ」


 いつもにまして真剣な眼差しで僕を見つめると、リーンは黙って頷いた。


「心配するな。儂がいくらでも手伝うぞ。そのための第一歩として、まずは炎の精霊を手懐けるのじゃ」

「‥‥朝早いな、二人とも」


 不意に背後から声をかけられた。声からしてミロンさんだ。


「チッ、これからなのに……。気配もなく儂の背後からとはやりおるな」


 口をとんがらせて機嫌が悪そうにしてるリーンと一緒に振り返ると、毅然とした態度のミロンさんが立っていた。


「おはようございます、軍曹」

「……訓練中と戦闘時以外は軍曹はやめろ。昨夜、恥をさらしてしまったし、今さら階級で呼ばれたくはない」

「はあ……」


 上司なんだから別にちゃんと呼んだほうがいいって思うんだけど。

 最初に会った時よりも表情が硬い。ここはミロンさんの言う通りにしておこう。


「……わかったのか」

「は、はい。ミロン軍……さん」

「……まあ、いい。ところで炎の精霊がどうの、と話していたようだが‥…」


 どうやらリーンとの話を聞いていたらしい。目の前にいる上司も確か火の魔法を操る術者だ。


「えっと、訓練で炎の中に炎の精霊を見たんです。その精霊さんを眷属に加えられたらいいかなって……」


 一瞬、ミロンさんの目が大きく見開かれた。


「なに? 炎の精霊を見ただと! 確かか?」


 急に目の色を変えて、首元を摘むとガクガクと僕を揺さぶった。詰め寄るミロンさんの迫力に焦ってしまう。


「ち、ちょっとミロンさん! く、首がしまっ……」

「……あ、許せ」


 はぁはぁと息を乱していると、リーンが心配そうに僕の背中をさすってくれた。


「……落ち着いたか? 炎の精霊はな、めったなことでは姿をみせん。その姿をみただと」

「ま、まあ。見てたらこっちに気がついたみたいで」


 そうあの時、僕の視線に気がついて微笑んでくれたのだ。確信はないけど仲良くなれそうに思えたんだ。


「……うむ。風精霊を実体化させて時間制御を使えるだけではないのか」


 一人で何かぶつぶつ言って納得してるミロンさんだが、かまわずに言葉を続ける。


「それで今、リーンと話をしていたのですが、炎の精霊を家来……というより友達にすることは可能なんでしょうか?」

「なぜ私に聞く?」

「だってミロンさんは炎魔法の使い手だから‥…」


 背の高い彼女を見上げるようにすると、こほんと小さく咳払いをした。


「ま、まあ。炎の精霊を配下に置くのには手順がいる」

「手順?」

「ああ。間違えると焼かれてしまうからな」

「いっ……! そんなに危ないんですか? 呼べばくるものとばかり」

 

 呼び出した途端、火だるまになってるシーンが目に浮かんだ。脇や背中に冷や汗が流れてくるのがわかる。


「お前様、どうしたのじゃ? 震えておるぞ」

「炎の精霊を仲間にするのはちょっと‥…」


 この場から離れたい。

 困ったことにリーンはすっかり乗り気だ。


「……ピーター君、君はまだそんなに強くない。攻撃力は必要かと思うが」


 気になってることをミロンさんに指摘された。体のふるえが止まる。


「攻撃……」

「そうだ。攻撃系の魔法が君には足りない。風魔法の中でも流れを制御することは得意でも、風そのものを刃にはできてない」

「風そのものを刃に……そんなことができるんですか?」

「……ああ、もちろん練習を積む必要はある。ただ風魔法を極めてもダメなんだ。魔法での攻守は手数ではない。組み合わせだ」


 組み合わせ……か。風魔法、特に時の流れを変えることで、相手を翻弄ほんろうしようってやり方には限度がある。戦いの最中に、相手より先に僕自身の体力が尽きてしまえば負けてしまう。結局、致命的ダメージを与えられるだけの武器がなければ勝てない。

 実際問題、今まで大魔導書グリモワールと戦って逃げられている。完全にグリモワールを倒したわけじゃない。


「わかりました。ミロンさん。リーン、悪いけどミロンさんと一緒に手伝ってもらえないかな?」

「……ふん、このエロ魔法使いとか?」

「え、エロじゃない!」

「このむっつりスケベが」


 ミロンさんにあっかんべするリーン。ミロンさんもミロンさんでリーンに悪態をついている。それでもリーンは小言をいいながらも、地面に召喚儀式用の魔法陣を書き始めていた。


 あの魔法陣から精霊のお姉さんが出てきた途端、僕は炎に包まれちゃうんだろうか。一抹の不安がよぎる。


「何をおびえておるのじゃ。儂がおるから大丈夫じゃぞ」

「……」

「……顔色が悪いな、ピーター。そんなチビよりも私の方が頼りになるぞ」


 またか。キリキリと胃が痛い。


「二人ともいてくれるから助かるよ」


 なんとか二人の関係がこじれないように言葉を選んだ。内心、冷や汗ものだ。この二人が喧嘩をはじめちゃったら、炎の精霊なんて言ってられないもん。別の意味で炎上しちゃう。


「さて、お前様。この魔法陣の中へ入るがいいぞ」


 リーンに言われるまま、おそるおそる僕は魔法陣の中へとすすむ。

 ほわっとした青白い光に包み込まれていく。


「汝ら、炎の中にすまうものたちよ。ともにあらんと思うものは前に出よ!」


 召喚のための詠唱が響き渡る。どうやらリーンとミロンさんが唱えているようだ。どんどん意識が落ちていく。彼女達の声が遠くなっていく。


 ★★★★★ 


 ここはどこだ。

 真っ赤に燃えている視界の向こうに、ゆらゆらと人影が見える。

 その人影は徐々に近づいてきた。


 それは全身真っ赤な炎をまとった少女だ。


 すぐ目の前までくると、大きな瞳をきょとんとさせた。全身が真紅だ。瞳も肌も髪の毛も。が印象的で背丈は僕と同じくらいだ。エアといつもいるせいか、精霊といえば小さい子だと思っていた。


 どう誓約を結んでいいかわからないや。エアの時はあっちから声をかけてきたんだし。


「あ、あの……」

「きゃは☆ しゃべった。人間とお話しするの久しぶりだわ、えへ」


 おそるおそる声をかけてみると返事がかえってきた。あれれ、なんか妙に軽いぞ。学園の下級生と話をしてるみたいだ。


「僕はピーター、ピーター・ヨハンソン。できれば僕と誓約を結んでほしいんだけど……いいかな?」

「あたいはフレイヤ。う――ん。いいわよ☆ こちらの条件はあたいにストレス発散させてくれることと、あっためてくれることかな」

「ストレス? あっためる?」

「気にしない、気にしない☆ 男の子は細かい事、気にしないの」


 けらけらと笑いながら、僕に抱きついてきた。彼女の炎で焼かれてしまうと思ったのは一瞬のこと

 次の瞬間、しっとりとしたものがプニュっと僕の胸に押し当てられた。


「わあっ! も、燃えるぅ。あ、あれ? わっ! は、裸! はわわわわ……」


 胸に押しつけられ狭そうに形を変えているのは、どうみてもおっぱいだ。

 は、はじめてだよ。だ、ダメだ。鼻血が……。


「ん? どうしたの? もう少しあったまりたいんだけど……」

「い、いや……も、もう僕……」


 体験したことがない感触にいろいろなものがマックスになりはじめてきた。だって密着度があがってるんだもん。

 あう……鼻血が……。


「キャ☆ どうしたの? ピーター」


 情けないことに僕はそのまま気を失ってしまった。

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