第29話 本物とニセモノと気持ちと
「よ、よろしくお願いします。セシルさん」
「で、では。お手柔らかにお願いしますね。ピーター君」
「は、はい……」
こうやってセシルと面と向かって座ると落ち着かない。こんな至近距離で、正面から彼女と話をするって、ほとんどなかったのだ。
機会がなかったわけではない。
僕が近寄ると、ススっと距離があくのだ。嫌われているのかな、と思ったこともある。
不思議なんだけれど、部屋の中では僕のそばにいることが多い。おそらくアンリエッタよりも近くにいることが多いかもしれない。そんなときも
すごい恥ずかしがり屋さんというのが、セシルに対する僕の評価だ。
それにしても……。クラス一番と言われるだけある。汗水たらして、問題を解いている姿も、どこかエレガントだ。もし美の女神がいるなら、きっとセシルのことじゃないかって思うくらいだ。
普通、美人って声がかけにくい。ところがセシルはちょっと比べものにならない。なんていうか……ふんわかした雰囲気があって、トゲトゲしさがない。
「……くん? ピーター君?」
いけね。妄想にふけっていた。
「あ、ご、ごめん」
「もう、ピーター君ってば、さっきから話しかけてるのにお返事がないんだもん」
ちょっと
「ご、ごめん。ちょっと考え事しててさ」
「今はお勉強中だから、よけいな事を考えたらダメだよ。テストって集中力が肝心なんだからね」
「わ、わかりました。セシル先生」
「もう……先生じゃないってば」
少しからかってみると、まっ赤になって否定するのが可愛い。天使のようだ。
「ところでこの問題解けました?」
セシルが指さしたのは、ちょうど解けなくって困っていたところだ。ちゃんと見ていてくれたんだろうか。
「全然。術式を解いても、何だか変な結果になっちゃうんだよ」
「そっかあ。もしかしたら式の展開を間違えているかも。そうだ! 隣に行ってもいいですか? ちょっと遠くって……」
なるほど。どうやら実際にやって見せてくれるらしい。その方が助かるかも。
「いいけど」
そう言いながら席をずらすと、すぐに彼女が脇に座ってきた。ちょんと膝小僧同士がくっっついた。
「で、ピーター君。この魔法術式はね、こうやって式を変形させて……代入すればいいんだよ」
一生懸命、説明してくれているけど、ちっとも頭に入ってこない。だってさっきから、セシルの生足が僕の足にあたってるんだもん。いやでも彼女の体温やら、肌の感触が伝わってきてしまう。
「聞いてるの? ピーター君」
「だ、大丈夫だよ。聞いてる、聞いてる」
「本当? どうやって式を変形させるのかな」
さすがに君の肌の感触がよくって……とは言えない。そんなこと言えば、真面目な彼女ののことだ。顔を真っ赤にさせて、部屋から出て行っちゃうだろう。
せっかくクラスでも評判の美少女と二人っきり。などという、スケベ心が奥底から湧いてきちゃっていた。
期待の目を僕に向けているセシル。
ほんとは聞いてなかったから、解けっこないんだけど。
★★★★★
にこにこしている彼女の隣で、僕は冷汗を流していた。
どうしよう……。うむ、わからないぞ。
……。
…………。
「どうしたの? ピーター君。手が動いてないよ?」
う。鋭い。
固まってるのが気になったのか、もっとセシルが密着してきた。
胸のむにゅとした感触が、腕に伝わってくる。さすがにくっつきすぎだよ。
「ね? ここをこうやって……」
当の本人は胸が当たっている事なんて気にもしていないようだ。僕のノートに書き込むため、さらに身を乗り出してきてる。
ちょうど僕の体に、彼女の胸が押しつけられるかたちになってしまった。
柔らかくて大きい……。
ふにゅっとしたマシュマロのような感触が、服を通して伝わってくる。やわらかいだけではない。弾力があるのだ。
普段からすぐに大きいってわかる彼女の胸だが、触れているとそのすごさがよくわかる。アンリエッタがりんご程度の大きさだったら、セシルはメロンほどの大きさだ。
それに何やら
「ほら、できた! ピーター君、見てくれてたかな?」
何気なく彼女が振り向いた時、事件が起こった。
ふいに視界にセシルの顔がアップになった。
と、思ったのはつかの間、彼女の透き通るようなピンク色の唇が、僕の左頬に触れる。ほのかな香りと湿り気が
「――――っ!」
「えっ!」
がたんと音を立てて、あわてたようにセシルは僕から離れた。
「あ、あの……」
あたふたと手を動かしながら、セシルは僕に言った。何とかして立ち上がったけど、腕のあたりまでまっ赤にしている。まるで熱病にでもかかったかのようだ。
彼女につられてじゃないけど、僕もなんだか顔が火照ってきた。
今のはキス……だよね?
セシルはそっと唇を指で押さえている。
どう彼女に声をかけたらいいんだ? 何だか気まずい。
……。今のは事故。うん、アクシデントだ。
セシルが悪いわけじゃないし、わざと僕がキスしたわけじゃない。
そうだ。あやまろう。
「あ、あのさ。ご、ごめん。セシル……」
「……こ、こっ、こちらこそです」
全身を朱色に染めたまま、急にたどたどしくなる。さっきから僕をじっと見ては、視線をそらしてしまったりを繰り返している。
急にスーハースーハーと、深呼吸をしたかと思ったら、「うん」と自らの意を決したようにうなづいた。
「あの……ね、ピーター君。お話、ちょっといい……ですか?」
よっぽどのことなんだろう。目つきが真剣そのものだ。
「う、うん。ちゃんと聞いてなくってごめん」
「そうじゃなくって!」と、彼女らしくない強い口調で迫ってくる。
グッと間合いを詰めてくると、少し唇を噛んで口を開いた。
「ピーター君、私はあなたが好きです! ずっと前から好きでしたっ!」
え……? 何この状況。
告られてるの? そんな急に言われても準備が……。
耳元に自分の鼓動が聞こえてくる。やばい、どうなってるんだ。
彼女が僕を好きなわけがない。以前、飛行練習中にけがをした時のように、魔導書グラン=グリモワールが取り
あ、彼女、ずっと頭を下げっぱなしだ。
「あ、頭をあげてよ! セシル」
「は、はい。ピーター君」
跳ね上げた勢いで、セシルの顔から火が出そうだ。もし、目の前にいる彼女がグラン=グリモワールだったらどうしよう。演技だとしたら、好きだって返答してみればいいんだろうか。
今は二人きりだ。
頼みの綱のリーンやエアもいない。この状況をどうしよう。
「どうしたの? そんなに汗をかいて……」
ハンカチを取り出して、僕の顔を拭こうとする彼女を止めて、いくつか質問してみることにした。
「セシル……。さっきのことなんだけど、本気?」
「……うん」
またもや、うつむいてしまう。ここまではニセモノでも本当のセシルでも同じ反応だろう。問題はここからだ。ちょっと試してみよう。
「じゃあさ、さっきの続きをしてみる?」
「さっきって……」
お! 微妙な反応。小首を傾げて、怪訝な顔をしているぞ。
自分からキスしてくるようだったら、ニセモノ確定だ。
「僕のここにチュウってしたじゃない。その続きだよ」
「え……。ち、チュウって……キスだよね?」
「う、うん、そうだよ」
ちょっと自分で言ってて恥ずかしくなった。だってもし、彼女が本物だったら、完全にセクハラじゃないか。
ごくりと生唾を飲み込んだ音がした。彼女は眉根を寄せて、下唇を軽く噛んだ。きっとこれからどうするか決めたんだな。
さあ、どうする? ニセモノか、本物か!
ニセモノだったら逃げる。
本物だったら……。どうしよ。
セシルが僕を好きなわけないって思ってるし、彼女から告白してくるなんてことはないって思ってる。
「……あのね、本当にピーター君のことが好き。成績が悪くても、ビリでも、ピーター君は学校を辞めなかったもの。頑張り屋さんなんだな、って……」
ああ、そうだったな。たしかに学校をやめようとは思わなかったな。ん? ってことは、セシルはずっと前から僕のことを見ていたのか。
「セシル……。僕が一年の頃からみていたのかい?」
「うん、入学してすぐ。同じクラスだったでしょう」
いつもアンリエッタと仲良くしているのは、昔も今も一緒だ。
……ってことは、アンリエッタのいるのは、本当は僕と仲良くしたいからってこと?
いや。いくらなんでも自意識過剰ってやつだ。
「……そうだった」
「だからね、一緒に卒業する前に私の気持ちに決着つけたかったんだ」
「決着って……」
決着ってことばを聞いて、ちょっと身構えちゃった。いきなり化けて、攻撃魔法を使われるのか、と思って腰が引けたのだ。
攻撃魔法の気配はなかった。
攻撃とは違う、女の子の魔法————『恋の告白』という熱攻撃にやられそうだ。
そしてはっきりしたのは、どうやら本物のセシルだってこと。
大魔導書グランが僕を狙ってくるようになったのは、ここ最近のことだ。とくに飛行術をマスターしてからだ。グランに目をつけられる以前のことなんて、彼には関心がないだろう。
目の前にいる子はそうじゃない。砂時計から落ちる砂のように、過去の一粒、一粒が大切な蓄積になってる。
わからない。
どうしてこのタイミングで告白しようって思ったんだろう。その答えはすぐにセシルの口からあふれてきた。
「ピーター君ってさ、ずっとアンリといるじゃない? だからアンリのことが好きなのかな? って……。不安だったんだ。アンリが好きだったら、どうしようって……。だったら卒業しちゃう前に、打ち明けてしまおうって思ったの」
クラスいち美人が僕をみる瞳は、不安と期待と決意が混ざり合うかのように揺れていた。
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