第26話 花火と魔導書幼女と
はぁはぁと息をはずませて走った。
秋の夕暮れは短い。あっという間に周りは暗くなっていた。
うっすらとした月明かりの中、白いリーンの手が見える。その小さな手で僕をひっぱってるのだ。
「急ぐのじゃ、お前様」
「なんでそんなに急ぐんだ? まだ花火まで時間はあるよ」
急き立てられているかのように、先へと行く彼女に声をかける。実際、花火の開始まで時間はある。別にあわてる必要なんてない。
「馬鹿か? あの場には小娘も軽薄女も、他のおなごたちもおる!」
「そりゃあ、いたけれどさ。なにも急ぐことはないんじゃ……」
「他のおなごと仲良くなって欲しくないんじゃ! まったくお前様ときたら……」
え? え? どういうこと?
リーンが僕に好意を持ってくれてるのはわかってる。
でもそれはお姉さんとして、年上としてじゃ……。違うのか?
「リーン……」
「ほ、ほら、い、行くぞ」
それ以上は言うなと言わんばかりに、もっとグッとひっぱられる。
「ち、ちょっと」
「……」
僕の手をひくリーン。
彼女の手のひらが、いつもより熱く感じられた。
★★★★★
「待ってよっ! おいてけぼりにする気っ?」
けっこう後ろの方から、アンリエッタの声がする。必死な形相で追いかけてきてる。
「ちっ! 気づきおったか! 小娘め。飛ぶぞ」
「へ?」と、首を傾げる暇もなく、僕は宙に浮いた。
「ちょ、ちょっと。リーン!」
「ふん。小娘につかまると面倒じゃからの。いつもお前様にくっついている軽薄女もいないからの」
エアは食べものにつられて、ちゃっかりクラスの打ちあげに参加しちゃってる。だから僕が飛ぶために、リーンは力を貸してくれてるのだ。
「ふふ。下で何かわめいておるな、小娘」
あっという間に、アンリエッタが小指くらいの大きさになった。そのくらい高く夜空に舞い上がっていた。
風精霊は
特にアンリエッタと誓約している風精霊フーは、夜は飛ばないと決めているようで、体育祭の練習も早めに切り上げていた。
そんな事情を知ってるのだろう。勝ち誇ったように空中で小さい胸をはっている。
「邪魔者はいないし、空から花火見物をしようか?」
ツツっとそばによってくると、僕の左腕を抱き締めてきた。そのまま当たり前のように華奢な体を押しつけてくる。
「り、リーン?」
暖かく滑らかな肌にどきまぎする。声がうわずっちゃう。
「ふふ。顔がまっ赤だぞ?」
上目遣いで僕を見つめてくる。
いつになく積極的だ。そもそも胸元が開いてるよ……その服。チラリと見えちゃうじゃないか。
「か、からかわないでよ。リーン」
「古今東西、祭りのあとの花火には、こうして
なんだかよくわからないことを言いつつ、べったりとくっついてくる。
ド――ン、と花火の音がした。
「わあ……」
足下で花火があがった。
赤、青、黄色と色とりどりの火花が広がっていく。なんか感動だ。
「どうじゃ? 儂と花火をみれてよかったじゃろ?」
「うん。花火ってボールのように丸いんだね!」
「ふふ。地上からじゃわからんからの」
もう一発、花火があがった。
「わっ!」と、リーンが驚いた。
ちょうど僕らよりも少し上で炸裂したのだが、思ったよりも大きな
音だったのだ。
バランスを失いそうになった彼女を、グッと抱き寄せた。僕は非力だから、こうしないとリーンを支えられない。
「大丈夫?」
「お、お、お前様。ち、近い……わ」
支えてあげたのはいいけれど、リーンの顔がほんの指先一本分のところに迫っていた。急に声に勢いがなくなって、彼女の頬がほんのり赤くなった。
「ご、ごめん。落ちそうだったから……」
「……わかっておる」
彼女は微笑むと、僕の両頬を愛おしそうに両手で包む。
そして瞳を閉じて、艶やかな唇を近づけてきた。
「……リーン」
ほんの紙一枚ほどに近づいていく。
ドンっ!
突然の衝撃が背中に走った。
とろんとしていたリーンの表情が一瞬にして変わった。
眉はつりあがり、その瞳には怒りの炎が浮かんでいる。
「なにやつじゃ! 許さんぞ!」
いつにもなく激しい口調で拳を握って、腰を低くする。臨戦態勢だ。
月明かりと花火に照らされて現れたのは、山高帽を被った若い男だ。
「これはこれは魔導書アイリーン様。貴女ともあろうお方が、こんなウジ虫のような人間と戯れておられるとは」
その男は小馬鹿にしたように高笑いをした。
「ふん。せっかくいいところだったのに邪魔をしおって。用事がないのなら帰れるのじゃ! ルキフゲよ!」
「ほほほ。アイリーン様に覚えていただいているとは、誠に光栄でございます」
「なにをしに来たのじゃ? 貴様の主人の差し金か?」
「そのようなものでございます。ご主人様のお手を
ふふっと不敵に笑うと、帽子の男は指を鳴らした。
パチンと音が聞こえた瞬間、彼の背後に火球が多数現れた。
「危ない! お前様!」
帽子男から火球が一斉に飛んできた。
ファイアーボールだ。
それも無詠唱でありながら大量に。
「え?」
すっ、と一瞬でリーンは僕の前に出た。
情けないことに、僕はとっさのことで動けなかった。
「アイスウォール!」と、リーンが氷の壁を展開した。
火球が氷の壁にぶつかって消えていった。僕を守ろうと、リーンは必死だ。いつにもましてきびしい表情だ。
エアが不在な今、僕はリーンにとっては足手まといだ。現に彼女は僕から手を離せないでいる。これでは本気で戦えない。
どうすればいい?
どうしたら目の前の男からリーンを守ることができる?
……。いちかばちかだ。
うまく行かなかったら、別の手段を試す。
「お前様、第二段が来るぞ。下がっておれ!」
「いや。ちょっと僕に考えがあるんだ」
「どけ。儂がお前様を絶対守るのじゃ」
僕をさらに後方へと押しやると、リーンは帽子男をにらみつけた。
今まで感じることがなかった、彼女の出す殺気。
「わかりませんねえ。どうしてこんな人間に肩入れされるのか……」
帽子男が頭をかいた。どうにもリーンの行動が理解できないようだ。
今がチャンスだ! ええい! 唱えちゃえ!
「風と空の女神の名において」
ハっとしてリーンが振り向いた。
そう。この呪文は時間を制御するためのもの。
本来なら風精霊エアと共に唱えてこそ、効力を発揮する魔法だ。
くすっと微笑むと、リーンは頷いた。
そしてエアの代わりに。
『「われは共に風と空にならん!」』
と、一緒に詠唱した。
自分の願望が入った希望的観測だ。
自分で何とかしたいという無謀な試みだ。万が一、エアに聞こえたとしても、教室からでは間に合わない。
リーンの足手まといになりたくはない。
彼女がいたから、僕は学園生活が送れてるんだ。
試しにもう一つ詠唱してみる。
「時の扉よ! 開け!」
ぐにゃっと周囲の風景が歪む。
たくさんの風精霊たちが、僕やリーン、帽子男の周りを取り囲んだ。
この不思議な感触。
「おお! お前様、やるの!」
「なっ! なんだと!」
男が戸惑っている。
きょろきょろと周りを見渡すと、驚いたように細い目を見開いた。
「あり得ぬ! 第四
僕はリーンに耳打ちをした。
目の前の男は隙を見せたのだ。逆転のチャンスだ。
「よし! 行くぞ。お前様」
アイスウォールを解除する。と、同時にリーンは男の右側へ、僕は左側へと回り込んだ。
「う。いつの間に! 本当に時間制御を使っているのか!」
「遅いのじゃ」
先にリーンが彼の顔面に
続けて倒れそうになった男を、思いっきり僕が蹴り上げた。
げほげほと
頭から落ちそうな帽子を直すと、両手で僕らを制した。
「まあまあ、ご両人様。今宵はご
「貴様は儂の大切な時間を……許さんぞ!」
「おお、怖い怖い。アイリーン様、ピーター様。また後日お会いしましょう」
そう言うと男は帽子をとり、お辞儀をした。
「待て! ルキフゲ!」
リーンの制止もむなしく、彼は闇夜に消えていった。
待てよ。
リーンは僕たちを襲ってきた奴のことを知っているのか。
「リーン、あいつは誰?」
「あやつはルキフゲ・ロファカレ。グランめが召還した宰相だ。魔王軍六人衆のひとりじゃ」
「魔王軍……」
「ああ。何度か魔王軍と戦ったが、特にあやつは面倒だ。しつこくてな」
なにか嫌なことを思い出したのか、顔をしかめた。
「でも、よく僕が時間制御の魔法を使おう、と思っていたのがわかったね」
「ふふ。まさか軽薄女がおらんのに、呪文を唱えるとはな」
ぽりぽりと頬をかきながら、自分でも思い切ったことをしたなと思う。これは賭けだった。
教室にいるエアを呼び出すことになるか、リーンの魔力を借りるかだったから。結局、リーンの力を借りたことになったけれど、それでよかった。エアが全力で飛んできても、たぶん間に合わなかっただろう。
「いや、リーンのおかげだよ。いつもありがとう」
「あ、あ。わ、儂は別に……」
なにやら急に彼女は顔を伏せてしまった。
ほんのりと耳先が赤くなっている。
「そ、それにしてもじゃ。せっかくこうして二人で花火を見ていたのに……の?」
期待している子猫のような目つきで、僕を見上げるリーン。
「……そうだね。久しぶりだし、もうちょっと観ていこうか」
僕の返答を聞いて、ほっとした表情をみせる。
そして、そっと手を握ってきた。
足下で色鮮やかな花火が炸裂し、ゆっくりと火花が散って消えていくのが見えた。
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