第16話 フライングエア

 小さな身体をぶるぶるさせながら、リーンは怒っていた。

 最初の反応から、風精霊エアと彼女は知り合いらしい。


「で、お前様、この軽薄な娘と誓約を交わしたと……」

「わ、悪かったよ、。勝手なことをして」

「まったくじゃ。確かに風の精霊を探せとは言った。言ったが、よりによってこの娘とは……」


 あきれたように僕のお腹をグーでぽすぽす、と殴った。殴るっていっても、リーン本来の力なら、僕なんて肉と血の破片になっちゃう。本気じゃない。


 でもやっぱり怒ってる。

 眉間にしわを寄せて、思いっきりほっぺたを膨らませている。怒りを抑えているためか、ゆでだこのように全身真っ赤だ。


『まあ、失礼なぁ~。あたし、ちゃんとした風精霊だわよん。ご主人様言ってやってよぉ~』

「ご、ご主人様だと? 儂でさえ、そんなに気安く呼んではおらぬのに。く、悔しいのぅ。お前様、儂とその娘のどっちをとるのじゃ?」


 にらみあう二人。

 ど、どうすればいい?

 完全に板挟みじゃないか。


 リーンはもちろん大切だけど、精霊さんと誓約も大切だ。軽い気持ちだったとはいえ、約束は約束だもん。

 

「僕にとっては大切だよ。どっちも選べないよ。エアとは約束したんだから……」


 おずおずと二人に気持ちを話してみる。

 二人の子の顔色をちらりとうかがってみた。


 どっちも腕組みをして、神妙に僕の話を聴いていた。

 腕組みをして考えてる姿は、まるで姉妹のようだ。


「誓約のう……。精霊にとって絶対なものだったの」

『そうよぉ~。あたしたちにとっては一生に一度の大切な約束よぉ。婚約よりも重いわねぇ』


 ん? エアが今、妙なことを言った気が。

 今更だけど不安になってきたぞ。


「え? エア。今、婚約よりも重いって言わなかった?」

「なんじゃお前様。精霊の誓約のことを知らずに、関係を結んだのかえ?」


 と、すかさずリーンが僕をにらみつけてきた。


「……」


 何も言えなかった。

 勢いで勝手に初対面の人と誓約したんだから。


 自分で嫌になる。


「そう、しょげるな。お前様。この娘は腐ってはおるが、一応、第四階梯じゃ。お前様にとって役に立とうぞ。顔も無駄に広いしの」

『それってぇ~、ご主人様との誓約はオッケーだってことぉ』

「しょうがないことじゃ……。儂も小娘たちの相手で精一杯だったしの」


 どうやら彼女たちの風精霊探しを手伝っていたようだ。

 

『やったあ~』


 きゃほいっ、と歓声を上げるエア。

 よく言えば底抜けに明るいんだな。

 これまで僕の傍らにいなかったタイプだ。


「ふん。あまりこやつに近づくなよ。風精霊よ」

『あらぁ~。この子とどういう関係ぇ? 彼氏なのぉ~?』


 ぽんっ、と途端に顔がまっ赤になるリーン。


「か、か、彼氏じゃと……。と、ともかくダメじゃ、ダメなのじゃ!」

『あ~らら。可愛いぃ~』

「だから、違うのじゃ~」


 ぱたぱたと手足をばたつかせながら、しどろもどろになるリーン。

 ツッコミを入れられてるリーンを見るのは初めてかも。


 結局、エアとのことをリーンはしぶしぶ了解してくれた。


 ★★★★★

 

 アンリエッタたちに、風の精霊を見つけたことを、ちょっと自慢したかった。


 さっそく彼女たちにエアを紹介した。  


「紹介するよ。この子はエアっていうんだ」

『お初におめにかかりますぅ。風の精霊第四階梯のエアだよん』


 と、僕の左肩の上できれいなカーテシーを披露した。

 初対面の相手でも軽い口調だ。せっかくのカーテシーもほざけてるかと思われないかな……。


「この蝶みたいな子が風の精霊?」


 けげんそうな顔をしながら、アンリエッタが指でつんつんとエアを突いた。


『痛い! ご主人様以外、触っちゃ嫌ぁ~』

「なによっ、大げさねっ。ほんとに精霊なの? それにご主人様って誰よっ?」

『ご主人様はこのお方ですぅ~。』


 エアが僕の頬に唇を寄せる。

 暖かく湿った感触と花の香りがした。


「え? え、エア……」


 この子のやることはわかんないや。

 突然のことで頭が真っ白になる。


「なっ、な、な、何やってるのよっ! この自称風精霊っ」

「そ、そうじゃ! 儂だって、まだなのに」

「み、みんな落ち着いて……」

 

 騒いでいるアンリエッタたちの声で、ようやく現実に僕は戻ってこれた。


 気がついたらエアは逃げまどっていた。

 追いかけているのは、アンリエッタとリーンだ。

 そんな彼女たちを止めようとしてるのが、セシルだ。


 ただエアを紹介しただけなのに、大変な騒ぎになっていた。みんな僕たちを見ている。


 昼休みの中庭で、これだけ走り回っていれば、みんなの注目も浴びるよ……。

 さすがに恥ずかしい。それに昼休みもじき終わる。

 すぅはぁ、と深呼吸をし、呼吸を整えた。

 

「あのさ。この子の実力がわかれば納得してくれる?」


 僕は中庭じゅうに聞こえるように叫んだ。


 エアをはじめ、アンリエッタもリーンも、セシルも。

 中庭にいるみんなが僕に注目した。


「ねえ、エア。僕を空に……お願いできるかな」


 風の精霊エアが僕のそばに来た。

 そっと僕に寄り添うと、耳元にこう囁いた。


「……ご主人様が願うのなら」


 飛べるかどうかはわからない。

 でもエアがそう言うのなら。

 リーンがこの子が風精霊だと言うのなら。


 僕次第で空へと飛び立てるはず。

 ええい! 迷ってる場合か!


 僕は風魔法の呪文を詠唱してみた。


「ウィンドエアー! 風よ、われを浮かせよ!」

『はい! ご主人様』


 詠唱と共に力強くエアがうなづく。

 同時に虹色のきらめく光が僕を包み込んだ。


 体がだんだん軽くなっていく。

 周辺の空気に自分が溶け込んでいくようだ。

 中庭の草木の香りが漂ってくる


 そのとき。


 ふわり……。


 と、宙に浮いたような気がした。


 ★★★★★


「と、飛んでるわっ! ピーターが飛んでるっ!」


 気がついたら足下の方から、アンリエッタの声が聞こえてきた。

 声のする方を見てみると、アンリエッタたちは遙か下にいたのだ。


 あっという間だった。

 さらにどんどん上へ上へとのぼっていく。


「いっ! い、いつの間にこんな高く……」


 飛べた! という喜びより、足がすくんでしまった。

 

 思っていたより高く飛んでいた。


 せいぜい樹の高さくらいだろうと思っていた。

 けれど、中庭の木々も模型のように小さく見える。


 雲のかけらが僕の頭のすぐ上にあった。

 

 高いところにいる恐怖はすぐに薄れた。

 すぐに柔らかい光に包まれたからだ。

 ちょうど布団のなかにいる感じだ。

 その感触が、高いところのいることを忘れさせてくれた。


『ご主人様ぁ~。初飛行はいかがですぅ~』


 耳元で気の抜けた声がした。

 風精霊エアだ。

 

「……ちょっと変な感じかな。でも思ったより怖く感じないよ」


 左肩にいるエアに素直に応えた。


『よかったぁ~。ソフトタッチにしておいてよかったですぅ』

「ありがとう、エア。ところでそろそろ降りたいんだけど……」


 下の方では何やら降りてこいって、ジェスチャーをしているのが見えた。時計をみたら、そろそろ午後の授業だ。


『ああっと。そうですねぇ。呪文、わかりますぅ?』


 はて?

 浮く呪文しか知らないや。


「えっと。ウィンドエアー、風よ、われを……なんだっけ?」

『あらん。われを地の精霊の元へ、ですわぁ』

「あ、ありがと、エア。じゃあ行くよ!」

『はい、ご主人様』


 エアがうなづいたのを合図に、僕は呪文を詠唱した。


「ウィンドエアー! 風よ、われを地の精霊の元へ」


 僕は再び虹色の光に包まれた。

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