第15話 風魔法第四階梯エア

 アンリエッタの風魔法の失敗から、早、三日が経った。

 ケガも治り、授業に復帰できた夜のことだ。

 僕はリーンと一緒に、用を足しに寮の回廊を歩いた。


 ふと思いついたように、リーンに尋ねた。


「グラン・グリモワールって確か大魔導書だよね。どうしてそんなのが、僕なんかを……」


 偽セシルが現れた時から、僕はずっと変だと思っていた。


 成績がビリの僕でもわかる魔導書。

 そのなかの一つが大魔導書『グラン・グリモワール』だ。

 

 そんなたいそうなものが、僕を殺そうとする理由がわからない。

 ろくに魔法を使えないのに。

 

 なにかグラン・グリモワールを怒らせるようなことをしたんだろうか? まったく見当がつかなかった。


 僕の顔を見上げると、リーンは真剣な眼差しで言った。


「おそらく、グランの奴を使っている魔術師がおるのだろうの。そやつがお前様にケンカをふっかけにきたのじゃろうて……」


 黒幕がいるってことか。

 ちょうど僕とアイリーンの関係のような立場のやつがいるんだろう。


「ま、グランであれ、誰であれ、どんなことがあっても儂がお前様を守ってやる。安心せい」


 回廊の欄干に腰をかけ、背後の月を顧みるリーン。


 濡れているような黒髪が月明かりに映えて、なんとも言えない色気が漂う。


 ほんと、これでもっと大人の身体だったらなあ。

 完全に虜になってしまうに違いない。


「ん? なんじゃお前様。また儂に見とれていたかの?」


 にんまりするリーン。

 彼女のこの微笑みが何ともいえない。

 小悪魔のようで、はかなくって、色っぽくって、包み込まれるようで……。


 僕はいつもこの表情にやられてる。


「そ、そんなことはないよ……」

「ふふっ、顔が赤いぞ。まあ、いい。安心するのじゃ、お前様とはずっと一緒じゃ」


 見透かすような笑みを浮かべると、リーンは僕の手をとって、欄干から降りた。


 ★★★★★


「さてと、小娘とお前様に風魔法を……って、どうして儂がお前達に教えてるのじゃ? あのマグナスとかいうおっさん先生に尋ねればよかろ?」


 次の日の昼休みの中庭に、僕とアンリエッタ、それからセシルは、リーンから風魔法を使った飛行術を教わろうと集まっていた。


 リーンが言うようにマグナス先生から教わろうって、最初は考えていた。残念なことに、先生は体育祭の準備に追われてて、それどころじゃなさそうだったのだ。


「リーンちゃん、先生はお忙しいみたいなの。だから、ね。お願い」


 と、みんなを代表してセシルが頭を下げた。


 体育祭では四人一組でグループを作ることになっている。魔法での競争なので、男女の区別なく組んでかまわない。先生方が言うには、グループを作るのも、戦略のうちだって考えなのだそうだ。


 ぼっちの僕にとって、知らない人たちと組むのは苦痛だ。だいたい何を話したらいいか困る。


 僕が体育祭が嫌いなのは、魔法が使えないってだけじゃない。

 一番は知らない人と組んで、話をしなきゃならないってことがつらいから……。

 

 今度の体育祭は違ってた。


 リーンは僕から離れないって駄々をこねるし、アンリエッタも同じように無理矢理、僕と一緒になりたがった。


 もう一人、セシル。


 リーンやアンリエッタから、偽セシルの話を聞いてからというものの、自然と僕たちと一緒にいることが多くなった。その流れで彼女はグループに入ってくれたのだ。


 僕の周りにいつのまにかできてたグループ。

 無理をしなくてもいいし、気が楽だ。

 

 ★★★★★


 ぽりぽりと頬をかきながら、まんざらでもない様子でリーンは説明をしはじめた。


「よいか。風魔法の場合は、特に精霊の加護がいるのじゃ。今、お前達の周りに風の精霊がおることを意識してみよ。まずはそこからじゃ!」


「風の精霊って言ったって、どうするのよっ! リーン……」

「探すのじゃ。周りにおるかもしれぬぞ、小娘!」


 あちらこちらと忙しなく精霊を探すのはアンリエッタ。


「う〜ん、う〜ん。ど、どこにいるの? 精霊さん」


 と、ひたすら祈りを捧げるセシル。


 リーンが言ったとおりに、それぞれ風の精霊を探している。

 僕はというと何をするでもなかった。

 と、いうより、どうしたら精霊がいるって感じられるんだ?

 

 だから僕は何もせずにいた。


 今、風がちょっと吹いて、僕を横切っていったけれど、精霊なんて感じないや……。


 ん? 今、すうっ、と風が……。

 心地いいや。


『呼んだ?』


 ふいに耳元で小さなささやきが聞こえた。ような気がした。


 昼休みの中庭だ。

 どっかで誰かが誰かを呼んだんだろう。


『ねえ、呼んだんでしょ? ねえったら、ねえ!』


 次第に耳元でそのささやきが大きくなる。

 ええい! 呼ぶのは決まってる!


「アンリ! 呼んだ?」

「えっ、呼んでないわよっ。それどこじゃないんだからっ」


 どうやら幼なじみが呼んだわけじゃないようだ。

 めちゃくちゃ元気な感じから、アンリエッタだと思ったんだけどな……。 


『ちょっと、なんでスルーしてるのよぅ!』


 べそをかいてるような声が左耳の方から聞こえた。

 おそるおそる耳元をみてみる。


 僕の左肩に小さな小さな、それがいた。


「わっ!」

『ちょっ、落ちちゃうからあ〜』


 驚いた反動で落ちそうになったモノを、あわてて手のひらですくった。


『ありがと〜。優しいね。呼ばれてよかったかもぉ』


 てのひらにいるそのモノは、えへへ、と照れながらも姿勢を正した。


 それは、よく見ると小さな小さな女の子だった。

 背中には透き通るような羽根が生え、頭には蝶のような触覚らしきものがある。


『ちょっとぉ、えっち! じろじろ見ないでよぅ、恥ずいからぁ』


 あんまりじろじろ見過ぎたのか、その小さな子は、あわてて胸と股間を隠した。よくよく見るとすごく薄い布きれを羽織ってるだけだ。


「ところで君は誰?」

『あたし? あたしはエアだよぉ〜。一応、風の精霊だよぉ』


 てへ、と照れながらも、布のような服の裾を両手でつまみ、上品なカーテシーをした。

 口調はギャル系っぽいけど、ほんとはお嬢様なのかもしれない。


『逆にあなたはぁ?』

「僕はピーター。ピーター・ヨハンソン」

『ふ〜ん』

 

 エアと名乗ったその子は、僕の周りを飛び回って、しげしげと見つめて言った。


『あなた……。別の世界の人ぉ?』


 え? そうなのか。

 確かに思い起こせば、僕の記憶は曖昧だ。ジグソーパズルのようにバラバラだ。ちゃんと覚えてるのは、寮の部屋のベッドの上で起きてからだ。

 さっきもギャルって言葉が出てきたけど、ギャルってなんだ?

 時々、わからない言葉が出てくるのも、きっと記憶が曖昧だからだと思ってる。


 などと、妄想にふけってると、エアが僕の真っ正面に来て言った。


『ま、気にしないでいいわよぉ〜。あなたとならいろいろ面白そうぉ〜。ね、あたしと誓約しない?』

「誓約?」

『だってあなた、飛びたいんでしょぉ〜。これでも風の精霊・第四階梯だよん。力を貸すわよぉ〜』

「誓約……って、ことは力を借りる代わりに、僕から何か奪うの?」

『取らないわよお〜。あなたといられるだけで、いいわよぉ〜』

「そ、そうなの?」


 なれなれしく僕に頬ずりしてくるエア。

 ほんとにこいつ風の精霊なのか……。


『さ、誓約、誓約ぅ〜』


 気のせいか声が弾んでいる。なんだか軽いなあ。大丈夫かな?

 まあいいか。

 この子が僕に害をなすのなら、リーンがやっつけてくれるだろうし。


 たいしたことなさそうに言ってるし、誓約かわしてもいいかな。


「どうすればいいんだ?」

 

 と、軽い気持ちで尋ねてみた。


『えっと、こう唱えてみてぇ〜。われ、風精霊エアに誓う。かの者と永遠に契約し、互いに援助し合うことを!』

「わかった、こうだな。われ、風精霊エアに誓う、かの者と永遠に契約し、互いに援助し合うことを!」


 次の瞬間、エアの羽根が大きく広がった。

 その羽根に包み込まれる。

 彼女との距離が接近する。


 キラキラときらめく粉のようなものが舞い落ちる中、エアの唇がそっと僕の鼻先に触れた。


『きゃあ〜。あたし、キスしちゃったぁ』


 え? そうなのか。

 ちょっと触られただけなんだけど……。


『これで誓約成立だよぉ〜』


 にこにこしながら、エアは僕の周りを飛び交う。それが飛び跳ねてるように見える。よっぽど嬉しいんだろう。

 

「……お前様、その羽虫は? さっきから何やらぶんぶん飛んでおったが」

「わっ! びっくりしたあ〜! 急に顔出さないでよ」


 脇からひょっこりとリーンが現れた。

 どうやら様子を見に来たようだ。


 まだ胸がどきどきする。別に悪いことはしてないのに。


『ひゃ! あ、アイリーン……』


 突然現れたリーンから逃れるように、エアは僕の耳の後ろへと隠れた。

「あ〜! こやつエアじゃないか! 風精霊第四階梯の!」

 

 震えているエアを見つけるなり、リーンが指さして叫んだ。

 どうやらエアとリーンは旧知の仲らしい。

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