第14話 グラン・グリモワールの介入

 リーンは腕組みをして宙に浮かんでいた。

 いつもの微笑みは消え、人形のように表情がない。


 さっきの言い方だって冷たい。

 皮肉たっぷりな言葉が突き刺さる。

 まるで別人みたいだ。


「り、リーン……?」


 おそるおそる声をかけてみる。

 

「なんじゃ? お前様」

「リーン、どうして怒ってるの?」

「はっ! 知れたことよ。ちょっとは身の廻りを見よ!」


 思い出したように、僕はセシルの顔をみた。

 彼女もまた僕を見つめてきた。


 やれやれ、とリーンは、深いため息をついた。


「目の前の相手ばかり気にしよって。この場にいない相手のことも考えるのじゃ」


 この場にいないって誰のこと?


 小首を傾げてると、セシルの顔がみるみる青ざめていった。彼女にはわかったらしい。


「……ちっ!」


 小さく舌打ちをして、悔しそうにうつむくセシル。

 おしとやかな彼女らしくない反応だ。

 

 ひょっとして本当は嫌われていたんだろうか。

 お付き合いしたいって言ってたのは、僕をからかうため?


「……おい、小娘! さっきからそこにいるのはわかっとる。隠れてないで出てくるのじゃ」


 と、幼なじみが出て行った方へ、リーンが声をかける。

 そっと扉が開き、扉の向こうからゆっくりとアンリエッタが入ってきた。


 廊下でずっと僕たちの会話を聞いていたんだろうか。

 彼女らしくない。

 いっつも堂々としてるし、幼なじみというよりお姉さんみたいだもん……。


 なにか言いたそうにアンリエッタがベッドサイドに立った。

 ちょうどセシルのいる反対側だ。

 

 いつもの元気がない。

 

 どう声をかけたらいいんだろう。

 おろおろしていると、音もなく蝶が舞い降りるかのように、リーンが降り立った。

 

「ほれ、小娘。この男になにか言うことがあるじゃろ?」


 リーンがアンリエッタをせかした。

 幼なじみはギュッと拳を握り締めると、口を開いた。

 

「……ピーター。あのね、ほんとはわたし……」

「アンリ……」


 僕をみつめたが、その視線を少しずらす。


「な、なんでもない。それよりセシルの話を聞いてあげてっ。セシルがあなたと話したいっていうから……」


 瞳をうるませ、アンリエッタはそれ以上、何も言おうともしなかった。

 どうして言いたいことを言ってくれないんだ? いつものように。


「あ、アンリ。ほ、ほら」


 手元にあったハンカチを、彼女に渡すと大事そうに受け取って涙を拭った。


 僕がアンリエッタを泣かしたんだ。

 胸の奥がチクチクする。


「ほんとお前様は、もう少しおなごの機微を学ぶべきじゃ。じれったいのう」


 僕とアンリエッタの様子をみて、リーンは大げさに頭を抱えてみせた


「ま、これ以上は今は無理そうじゃな。さて……と、戯れもここまでじゃ。義理は通したしの……。おい! そこのおなご」


 リーンは漆黒の瞳でセシルをにらみつけた。 


「あ、あたしのこと? リーンちゃん……」


 気のせいかセシルの声が震えている。


「そうじゃ、貴様じゃ。ピーターに取り入って、何をするつもりじゃ? ん? 儂の目はごまかせぬぞ」

「え? 何を言ってるかわからないわ」

「それはこっちのセリフじゃ。早う正体をさらしたらどうじゃ?」


 セシルの目が一瞬泳いだ。


「アンリ、助けて! リーンちゃんが怖いよ」


 すばやくアンリエッタの背後にセシルが隠れると、ピクッとリーンの眉が動いた。

 ちょっと困ったように頬をぽりぽり掻くリーン。

 

 ふぅ、とため息をもらし、口を開いた。

 

「小娘、どけ。そいつはお前の知るセシルではない」


 親友を守るように、アンリエッタは両腕を拡げた。


「どこからどう見てもセシルよっ! あっ、わかった。リーンちゃん、ピーターお兄ちゃんがとられるって思ってるんでしょっ?」

「バカか? 小娘。今はそんなことを言ってる場合ではない。それともピーターが人形になってもよいのじゃな……」


 親友をかばおうとするアンリエッタに、そうリーンは言い放った。

 リーンの目つきは獲物を狙う女豹の目つきだ。

 

 これ以上は無駄だと言わんばかりに、リーンは実力行使に出た。


 小さな体躯を活かし、あっという間にアンリエッタの背後に廻ると、リーンはセシルを羽交い締めにした。


「なっ……!」


 あまりの早さに僕はもちろん、幼なじみも身動きがとれなかった。

 

 床にセシルを押さえつけながら、勝ち誇ったようにリーンは告げた。

 

「ふん! 化けるのが下手じゃな。魔導書グラン・グリモワールよ!」


 大奥義書、グラン・グリモワール。

 

 その魔導書の名を口にした途端、セシルの容貌が一変した。

 口は頬まで裂け、自慢の紅毛色の髪はぼさぼさになってしまっていた。

 表情も悪鬼のようだ。


「きゃあっ! せ、セシル?」


 一気に変わり果てたその姿に、アンリエッタが悲鳴をあげた。


 へなへなと座り込んでしまったアンリエッタ。


「ちっ! 今一歩でこの男をわらわの人形にできるところだったのに!」


 そんな彼女に目もくれず、セシル……いや、グラン・グリモワールは捨てゼリフを吐いた。

 そして、霧のように静かに消えていった。


 ★★★★★


「セシル……」

「アンリエッタ、あやつはセシルではないのじゃ! 邪悪に墜ちた魔導書じゃ」

「リーンちゃん、じゃあセシルは? セシルはどこへ行ったのっ」


バタンっ! と、勢いよく病室の扉が開く。

そこには消えたはずのセシルが息を弾ませていた。


「せ、セシル!?」

「おお! 本物がきたようじゃの」


 唐突に現れたセシルに、アンリエッタは涙ぐみながら飛びついた。


「よかったあっ〜!」

「あ、アンリエッタ。どうしたの? 急に……」

 

 セシルの方はというと、いきなり泣きながら抱きついてきた親友に戸惑っているようだった。

 さっきまでリーンとやり合っていたのが、嘘のようだ。


 本当のセシルなんだろうか。

 

「せ、セシル……。ケガはない?」


 さっきリーンが押さえつけたところを見ながら、僕は尋ねてみた。


「え? ケガなんてしてないわよ。それより今さっき、ピーター君が体育祭の練習中に大けがをしたって、先生に聞いたのよ。大丈夫? ピーター君」

  

「僕は大丈夫だよ。心配しないで……」


 胸に手を当て安堵のため息をつくセシル。

 どうやらいつもみている優しいセシルのようだ。


「お前様、小娘! そやつは本物のセシルじゃ。安心せい!」


 僕たちが不安げにしてるのをみて、リーンが教えてくれた。


「え? どういうこと? 本物って……?」


 小首を傾げるセシル。


「ああ。おぬしに化けた悪者が来たのじゃ。安心するがいい。儂が追い払ったからの」


 と、リーンが胸を張ってみせた。


「私の偽物ってこと? リーンちゃん」

「そうじゃ」

「待ってよっ! じゃ、あたしと一緒に入ってきたセシルが偽物だったってことよねっ?」


 アンリエッタが口を挟んできた。

 

「そういうことになるの。小娘、逆におぬしに見分けられてしまうようでは、化けても意味がなかろう? それだけ彼奴が巧みだったのじゃ。案ずることはないぞ」


 はぁ、とため息をつくと、アンリエッタの緊張が解けてきた。


「ねえ。リーン……。どうしてさっきのあいつが偽物だってわかったの?」


 幼なじみが聞きたいであろうことを、僕から尋ねてみた。


 見た目こそ幼女だけど、これでも魔導書だ。

 きっと本来の力を発揮して、助けてくれたに違いない。


「なあに、簡単なことじゃ。ケガして寝ている相手に、いきなり愛を語るなどおかしいじゃろう? だから最初から疑ってたのじゃ。そもそも、お前様を好きになるおなごなど珍しいからの」


 そんなことを言ってカラカラと笑うリーン。

 

 フンだ。どうせ僕がもてるわけないさ。

 口を尖らせ、そっぽを向くと、にやりと笑ってリーンが目配せしてきた。


 そっか。

 元々、魔導書アイリーンだって隠しておくんだった。

 

「それは言えてるっ」


 アンリエッタがあはは、と苦笑すると、セシルも釣られるように笑った。

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