第12話 アクシデント

「ほらっ! 起きなさいよっ!」


 耳元でアンリエッタの怒鳴り声がする。

 頭にがんがんと響く声だ。

 

 夕べ、よく眠れなかったからかもしれない。それともこれからの悪夢を予感していたのかもしれない。

 ともかく、鋼を叩くようなその声から逃れようと、僕は毛布を被った。


 逃げたい、逃げたい……んだ。


 その次の瞬間、彼女は一気に毛布をひっぺがした。


「あ、ば、ばか! 今は……」


 急に視界が明るくなる。

 白く輝く視界が徐々に色彩を取り戻すと、眉を吊り上げたルームメイトがいた。


 一瞬、時が止まる。

 

 彼女の視線が僕のズボンで留まる。


 男の生理というか、朝は……。

 気まずくなって、僕は彼女から顔をそむけてしまった。


 そんな態度をとったためだろうか。


「……なっ! え、えっちっ!」


 アンリエッタは、顔をゆでだこのようにまっ赤にさせて叫んだ。


バチンッ!


 いきなり頬を叩かれた。

 それも手加減なしに。

 頬がひりひりとする。


「いってえなあ。なにするんだよ!」

「す、するですってぇ〜! 何するもへったくれもないわっ!」


 フンッと唇を尖らせて、そっぽを向いてしまった。

 

 騒がしい僕らを見守っていたリーンは、とことこと僕のところに来ると、つぶやいた。


「まったく……近頃のおなごはどうしたものかの」


 あきれたようにため息をついて、アンリエッタを見つめる。


「り、リーンちゃん。へ、平気なの?」


 ちらちら見てくるルームメイトをそっちのけに、リーンは平然と僕のパジャマを脱がしにかかった。


「い? じ、自分で着替えるってば!」


 さすがにそれは恥ずかしいぞ。


「ふふ。幼なじみが恥ずかしがっておるから、代わりに儂がやっておるのじゃ」


 リーンは僕のズボンを何の躊躇もなく、脱がせようとした。 

 脱がせようとしている彼女の表情は、外見の幼さとは裏腹に妖艶で獲物を狙う女狐のようだ。

 リーンの放つ妙に艶っぽい雰囲気に気がついたのか、アンリエッタが吠えた。


「わっ、わたしがやるわっ。リーンちゃん、はしたないわよ。子どもがやることじゃないからっ」

「儂は子どもじゃないぞ?」

「何、言ってるのっ! そんなに小さいじゃないっ。背も胸もっ」


 勝ち誇るように胸を張るアンリエッタ。

 ぺったんこの胸と、アンリエッタの胸を交互に見比べると、リーンは不満そうに口を尖らせた。


「……悪かったの。小さくって! ほんとはぼっきゅっぼんなのじゃ! のう、お前様」


 現状を見せられたからって、僕に振らないでほしいんだけど。

 ふふっと微笑むと、リーンは平たい胸を押しつけてきた。


 ……ものすごく柔らかいです。


 夢の中のアイリーンは超絶美人だし、めちゃくちゃ色っぽいんだよな。

 僕がもっと魔力をつければ、彼女も大人の姿に戻れるんだろうか。

 リーンの肌の質感にメロメロに酔っていると、アンリエッタも負けじと、反対側の腕にからみついてきた。


「むぅ〜。何それ、ずるいっ。わたしもっ!」

「ちょ、ちょっと! アンリ! それじゃ着替えられないってば!」


 これじゃ、らちがあかない。

 ほわほわして気持ちいいけども。


「ふ、二人ともさ。体育祭に向けて特訓だったよね? 早くいかないと、授業始まっちゃうよ」


 なんとか誘惑に抗った僕は、彼女たちから逃げるように中庭へと向かった。


 ★★★★★


「何、眠そうにしてるのよっ。練習しなきゃだめでしょっ。時間もないのよっ」


 そんなに怒鳴らなくっても……。

 だいたい予定より遅れたのは、アンリエッタ達のせいじゃないか。


「お前様よ。どうでもいいが、風魔法は使えるのか?」


 ワイシャツの裾を引っ張りながら、心配そうにリーンが見上げてきた。


 僕が選んだ種目は空中スラロームだ。

 体育祭の最後を締めくくる。花形競技だ。


 空中スラロームは空を飛んで、所定のコースを通解するタイムを競い合う競技だ。


 見た目は派手だけど、この種目を選んだのは、一種類の魔法だけで勝負できるからだ。他の種目は、複数の魔法をうまく組み合わせないといけない。


 たった一つの魔法でさえ、使いこなせない僕にとって、複数の魔法をその場に応じて使うなんて無理だ。


 だからスラロームを選んだんだ。


 風魔法は四大元素を扱う魔法のなかでも、比較的簡単なのだそうだ。


 実際、落ちこぼれの僕でさえ、一言の呪文で灯りの火を消すことはできる。そのくらい風魔法はたやすい。


「お前様? まさか風魔法すら使えないんじゃあるまい?」

「い、いや。ちょ、ちょっとだけなら……」


 ジト目で僕をみると、ふわりと宙に浮かんでみせた。


「わっ! リーンちゃん、すごいっ」


 アンリエッタが目を見開き、口に手をあてている。

 そりゃあ、いきなり空に浮かべば驚く。


「お前様。風魔法を使うというのは、別に大風を起こしたりすることだけじゃないのじゃぞ。このように飛ぶんじゃろう? すらろーむとやらでは」


 どうやらリーンは手本を見せてくれたようだ。 


「そうだけど僕はそこまで……」

「できんなら練習あるのみじゃ。まずは風のコントロールからかのう。時にそこの小娘、おぬしは飛べるのか?」

「わ、わたしっ? ちょっとだけなら」


 突然、尋ねられて、あたふたしてるアンリエッタ。

 ほんとに飛べるんだろうか?


「ウィンドエアー! 風よ、われを浮かせよ!」


 渾身の力を入れ、手のひらを大地にむけて詠唱する。


「くっ……」


 アンリエッタが下唇を噛み、眉根をひそめると、彼女の足に風がまといはじめた。

 次第にその風が渦をまき、徐々に強くなっていく。渦が強くなるに従って、彼女の身体が地面から浮いたようになった。


「ほ、ほらっ。リーンちゃん、どう? ちゃんとピーターにだって教えられるんだからっ」


 浮いているのは、ほんの数センチ。

 どうにかこうにか、アンリエッタは姿勢を保っているようにみえた。


「小娘、ふらふらじゃなのう。それではこやつに教えるのは難しいの」


 くすくす笑いながら、リーンはさらに空高く舞い上がった。蝶が舞い上がっていくかのように軽やかに。


 蝶を追いかける子どものように、アンリエッタはリーンを追いかけようと、まとっている風の動きを早くした。


 その次の瞬間、突然、彼女のバランスが崩れた。


 アンリエッタの身体からは、風魔法の魔力が消え失せていた。  


「きゃあっ〜」


 高さは5、6メートルほどだろうか。

 

「このたわけが!」


 遙か上空からリーンが叫ぶ。

 弾丸のようにリーンが急降下してくるのが見えた。


 自然と体が動いた。

 

 アンリエッタの落ちてくる場所へ、僕は走った。どうにか間に合ってくれ。


 落ちてくるアンリエッタと、空から急降下してきたリーンの顔が同時に見えた。


 目の前が暗くなった。

 それと同時に、ドシンと重い衝撃が僕を襲った。 

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