第2話 ルームメイト
僕は目の前に迫ったテストのことで頭がいっぱいになった。
試験はどうも苦手だ。
「よ、よければ、私が練習に付き合ってあげるわよっ」
「どうして?」
「どうしてって……あなた、自分の成績を忘れたの? いつもビリじゃないっ!」
なんてこった。僕は成績が良くなかったのか。
成績が良くない? ずっと前からそうだったような……。なんだこの既視感。
いつも独りだった。今さら他人になんて……、
「……さすがに君に迷惑をかけるわけにはいかないよ」
僕の瞳を射ぬくようにじっと見つめ
「なっ……。べ、別にいいわよ。ルームメイトのよしみだし」
思いっきり赤面しながら、妙なことを口走らなかったか。この子。
「ルームメイト?」
思わず聞き返してしまった。
「やだ。熱で忘れちゃったの? 入学してからずっと一緒よ」
ここが相部屋だってことは、間取りをみればわかる。わかるけど女の子と一緒って……。一体、ここはどうなってるんだ。
何やら期待しているようで、紅い瞳をキラキラさせている。
困った。どうしよう……。
『その娘の言うとおりにしてもよかろう』
突然、左腕から声が響いた。
慌てて僕は左腕を押さえた。こんなときに話しかけないで欲しい。
「ちょ、ちょっと。聞こえるだろ」
「何してるの? 急に魔導書をおさえたりして……変なの」
クスクス笑う彼女が愛らしい。
こんなところに本をつけているのをおかしく思わないんだろうか? それもしゃべる本なんて。
「あ、あのさ。アンリエッタ……」
「なあに? もじもじしちゃってさ」
頭のおかしいヤツだって思われないだろうか。
ドドドと自分の鼓動が大きくなっていくのがわかる。
聞かなくちゃ……。聞かなきゃ。
「今、女の人の声が聞こえなかった?」
一瞬、きょとんとするとアンリエッタは笑った。
「ううん。全然。眠りすぎて寝ぼけちゃったの? 私とピーター君しかいないよ」
あれ? 魔導書の声は聞こえてないんだ。よかった。
フッと目を細めると、彼女はベッドに座ってきた。
さっきから愛おしそうに僕を見つめている。幼なじみだからだろうか。
もう一つ、さっきから気になっていることを聞いてみる。
「あのさ。この本おかしくないかな? これをこんなところにつけてるって……」
「ん? それ、病退散のためにつけたんでしょ。効いたじゃない」
え? あんまり驚いていない。
むしろ何でそんなことを聞くのって顔をしている。
そうか。おまじないとして魔導書を持つのか……。
指先を伸ばして、すぅっと僕の左腕を愛しげに撫でる。彼女の指先から温かさが伝わってくる。
「前持っていたヤツよりケバいけど……。救世主だね、この魔導書。この子のおかげで助かったんだもん」
『っ……』
不思議な感情が伝わってくる。伝わるというより湧き上がってくるものなのだろうか。
これはアンリエッタに触られているからなのか、それとも今、魔導書の気持ちが揺れたからだろうか。
どうにも自分の感情がわからないことがある。
ひきこもりだもんな……。
ん? ひきこもりって何だ。
ときおり、よくわからない言葉が浮かんでくる。
「病み上がりだからさ。明日の朝から試験のための練習をしましょうっ!」
僕の両手を握って、嬉しそうにするアンリエッタ。
こんな顔されたら、返事は一つしかないよね。
「わかったよ。じゃ、明日からお願いしていいかな。アンリエッタ」
「やったあっ! 嬉しいっ!」
「あ、こ、こら」
またもや、ギュッと僕は彼女に抱きしめられた。
彼女の温もりと香りが、なぜかとても懐かしいものに感じられた。
★★★★★
蒼白い月の光が廊下と僕の顔を照らしている。
薄暗いなか、僕の足音だけが廊下に響いている。
夜中、僕は用を足すためにそっと部屋を出たのだ。
『……お前様よ。試験のことを考えておるのか?』
独り言のように魔導書がつぶやいた。
「うん。テストのことを考えると気が重いんだ」
『この世界以前のお前様のことは知らぬ。知らぬが魔力をもっとつけてもらわねば困るのじゃ』
僕自身、以前のことはあまりわからない。
今日わかったことだけが、確実な今の自分だろう。
魔力をもっとつけろって言われても。
いったいどうやったらいいんだろう。皆目見当もつかない。
本が僕の瞳を覗き込んで来たように感じた。
『お前様……。今はお前様の一心同体じゃ。お前様が思うこと、感じること、痛み……。すべて儂も同じように感じる。しかし……』
一瞬、僕は足を止めた。
魔導書アイリーンが目を閉じて、遠い過去を振り返っているように感じられたから。
『儂はお前様の隣にずっといたいのじゃ。そのために具現化したいと思っておる』
具現化。
昼間、目が覚めたときも聞いた。
僕の疑問に応えるかのように話を続けた。
『お前様と同じように人のカタチをとりたいのじゃ。直接、お前様の顔を見たい、お前様の声を直接聞きたい、お前様の体温を直接感じたいのじゃ……。ダメかの?』
寂しいんだろうか。
きっと寂しいんだろう。
僕自身もそうだったような気がする。
「……僕はどうすればいい?」
『魔力をつけることじゃ。そのためにあの娘の言うとおり、修行を積まねばな』
「でもビリだって言ってた……」
テストもあることだ。
しっかり練習をしなければならないのは、はっきりしてる。
でもな……。無能だし。
彼女からの視線が一瞬、冷たくなった。
呆れたのか、それとも怒っているのだろうか。
『でも、という言葉は魔法の妨げにしかならぬ。やめろ。お前様はできるようになる! この儂が保証する』
「そんなこと言われても……」
『やらぬうちに何を抜かしておる! この魔導書アイリーンが選んだ男ぞ。自信を持つ事じゃ』
用を足し終わり部屋へ戻る道中も、魔導書からいろいろ言われた。
きっと彼女が具現化していたなら、さんざん肩を叩かれたり、脇腹を小突かれたりしていたことだろう。
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