読んで、飲んで

 昼過ぎに起きた。昨日から読んでいる小説に登場人物が多かったから、いちど整理しようと紙に書き出して、関係図を作っていたら夕方だった。


 樋山なつみが無職になって、二ヶ月になろうとしている。


 昔から、本を読むのが好きだった。しかも、気になったことを調べたり整理したりしながら自分のペースで読むのが何より好きだった。


 中学高校と、「朝の10分間読書」という始業前の時間があった。それを知ったときは大喜びしたものの、なつみは常にこんな調子だったので、落ち着いて読むことが出来なかった。


 例えば、「ポケベル」と出てくれば書かれた年代が気になって裏表紙をめくり、身近にいない苗字の人物…たとえば「三本木」さんが出てくれば「みもとき」か「さんぼんぎ」か気になって、自分が見落としただけでルビがついていたのではとページをさかのぼり、ミステリーのトリックで植物の毒が出てくればその植物について調べるべくメモを取り…と、とにかく慌ただしく読書をしていた。


 近くの席の女の子に、「無理して難しいの読むからだよ」と小ばかにしたように笑われてからは、我慢して(外見は)おとなしく読むようになったが、なにかが気になったままでは内容がまるで頭に入ってこなかった。



 空腹を覚え、本と紙をベッドに乗せてテーブルを空け、台所に向かう。


レタスをちぎってザルに入れ、ざーっと洗う。コーン缶とツナ缶をタッパーにうつして、食べる前にスプーン2杯くらいずつトッピングしよう。ミニトマトとキュウリもあった。


 働いていた頃は、こんな簡単なことが面倒で、スーパーで「ちぎりレタス」を買っていた。それならばまだいい方で、コンビニで出来合いのサラダを買ったり、野菜ジュースでごまかすことも多かった。


 無職になってからというもの、なつみは実に健康的に暮らしている。趣味に明け暮れながらも、こうして毎日野菜をとり、掃除をこまめにし、たっぷり睡眠をとる。それだけで2キロ痩せ、肌がつやつやしているのだから驚きだ。



 「無職健康法…」


 ひとりで呟き、なんだそりゃと笑う。ふとカレンダーに目をやると、月曜日であることに気が付く。働いていないと、すっかり曜日がわからなくなる。


 働いているときは週明けの月曜が大嫌いで、日曜の夜には本気でボロボロ泣いていた。その代わり、というかお詫び、というべきか、仕事を辞めてからは、月曜日にお酒を飲むことにしている。


 美味しそうなお酒を見つけてはちょこちょこ買っているので、冷蔵庫には数本の缶や瓶がある。


 今日は、果汁がたっぷりのものがいいな。そう思い、果汁45%だという、オレンジ味のチューハイを飲むことに決めた。


 ご飯と、蒸して塩コショウをしただけのキャベツと豚肉、そしてサラダ。実に簡単な夕食だが、なつみはいまだに、自分が2品以上用意していることに感心してしまう。


 そして、お楽しみの缶チューハイ。お酒も、無職になってからはいちいちグラスに注いで飲むようになった。こうすれば色も楽しめるのに、働いているときはそれすら面倒くさかった。



 「あ、きれい」


わかりやすく「オレンジですよー」と教えてくれているような色。いい香り。


 ひと口目を口にする。と、続けてぐいぐいといってしまった。あっという間にグラスが空になった。


「ほとんどジュースだね、美味しい!」

 甘くて、でも甘ったるくはなくて。これは一気に飲んでしまうなあ。



 ご飯とおかずを食べ進め、残り半分のチューハイをグラスに注ぐ。


 あっという間に、2ヶ月か。



 退職したのは、とくに決定的な出来事があったわけではなかった。

 押し付けられ体質ではあったが、酷いいじめがあったわけではない。

 休みも給料も多くはなかったが、巷で問題になっている「ブラック企業」とまではいかない。


 ただ、勝手に頑張って、勝手に追い詰められて、勝手に潰れたのだ。


 ある日の勤務後、とぼとぼ駅を歩いてホームに向かっていたら、駅の本屋が目に入った。気まぐれで入ってみると、学生時代好きだった作家の、知らない作品が並んでいた。ああ、あんな好きだったのに、最近チェックしてなかったなあと思いながら周りを見渡すと、ほかにもいろいろな本に「○○賞受賞」やら「映画化、話題作」やらと書かれたポップが添えられていた。


 ああ、世の中には、まだ読んでいない本がこんなにある。

どうして自分は、ゆっくり読むこともできないのだろう。


 そう思ってしまったとき。なつみは、狂ったように本棚を物色し、気になった本を片っ端から手に取り、6、7冊ほど抱えてレジに向かった。


 カバンには、年度末に毎年提出する、職場の進退希望調査の用紙が入っていた。



 蓄えも少しはあるし、気が済むまで本を読んで好きに過ごそう。そう考えていた。

 しかし、「気が済む」ことなんてないのではないかと思う。



 視界がふわりと揺れた。さっきの缶を見ると、アルコール分が5%だった。酒に強くないなつみは、この程度でも気持ちよく酔っぱらってしまう。


 飲みやすいからって、一気に飲んじゃったからな。



 ご機嫌でベッドに倒れ込み、読んでいた本を開く。きっと途中で眠くなる。好きな本の世界に浸りながら、眠りにつく幸せ。


 これを手放せる日が、来るのだろうか。




☆モデルにしたお酒は、キリン「本搾り」オレンジ。果汁45%のアルコール5%。

本当に、うっかり一気に飲めてしまいます。

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