苦くない辛さ


 また、間違えた。


 広い大学の学食で、文学部2年生、澤木和馬は立ちすくんだ。


 かつて一緒に昼食をとっていた友人らは、自分が一緒にいないのを気にせず、定食やらラーメンやらをもう食べ終わろうとしている。そして、彼らのいるテーブルに空席はない。



 何回失敗するんだ、俺は。


 口の中でそう呟きながら、踵を返して学食を出る。


 意地の悪い奴らではないから、話しかければ応じてくれるだろう。「俺食い終わるから、ここいいよ」とも言ってくれるだろう。というか、男なのだから、しかも大学なのだから、一人で飯を食ったところでなにもおかしくはないのだが。


 大学デビュー、という言葉自体がこっぱずかしいのに、自分が無意識にそれをしようと頑張っていたことに気づき、恥ずかしくてたまらなくなった。



 和馬にとって中学・高校は、「所属するグループがすべて」の世界だった。


 地味でおとなしい組のなかにも種類があって、モテたり目立ったりしなくてもそれなりに部活や趣味を楽しんで気が合う者同士平和に過ごせるグループと、モテたり目立ったりはもちろん、何もしていないのに「気持ち悪い」と邪険にされるグループがあった。


 和馬は、後者だった。


 そして、周りが悪い、と思っていた。


 自分の悪かったところを強いて挙げるならば、所属するグループを間違えたんだ。だって、俺は地味だけれどオタクではないし、不潔でもない。なのにそういうやつらと組んでしまったから。


 現に、女子だって、顔の造りは整っているし性格も悪くなさそうなのに、下位グループでひっそり過ごしている生徒が複数いた。彼女らもきっと、友人選びを間違えたのだ。


 大学では失敗しない、と思っていた。大学生ともなれば、幼稚ないじめなんて恐れなくていいだろう。気の合う少数の友人をじっくり見極めて大事にし、好きな勉強をして、平和に過ごすのだ…。



 ところがどうしたことか、和馬は入学当初から、いわゆる「カースト上位」「リア充」グループに入れてしまったのである。細身で、地味だが柔和な顔立ちの和馬は、入学式のスーツや無難な私服を着ていると、爽やかなやつに見えたらしい。


 みんなが話しかけてくれ、誘われるがままにカラオケやら食事やら、たまには合コンやら飲み会やらにも参加した。


 しかし、やはりもともとの気質が違ったのだろう。盛り上げられない。気の利いた話題が提供できない。カラオケもつまらないし、背伸びして飲む酒もうまいと思えない。だんだんと、居心地の悪さを感じるようになった。それは周りも感じていたようで、学校で会うと普通に接してくれるが、2年にあがる頃には、プライベートの集まりには呼ばれなくなった。正直、誘ってほしいとも思わず、ホッとしていた。


 やっぱり自分は、「地味だけど見下されない」グループに所属すべきだったのだ。なのに、目立つ奴らに気に入られて…浮かれてしまっていたのだろう。現に、学食に自分抜きで固まる彼らを見て、少なからずショックを受けている。


 バカだ。恥ずかしい。当初友人になりたかったような同級生たちは、もうとっくに気の合う仲間やついていきたい教授を見つけて、楽しそうに過ごしていた。




 午後の講義に出る気になれず、一人暮らしのアパートへと向かう。


 途中コンビニに寄り、弁当を物色する。のり弁…いや、生姜焼き弁当がいい。

ついでに飲み物も。飲料コーナーに向かったとき、酒のコーナーが目に入る。


無理に付き合いで飲む酒はうまいともなんとも思えなかったけれど、今の気分は「飲まなきゃやってられない」っていうやつなのではないだろうか。



 意を決して、和馬は銀色のビール缶を手に取り、かごに入れた。



 自宅に帰り、散らかった部屋にドカッと座る。


 弁当を開けて、ビールの缶を見つめる。銀色の缶に黒い文字のパッケージ。「辛口」と書かれている。酒のうまさなんてわからないくせに、こんなときにまで無意識に背伸びする自分に苦笑いである。



 月曜日の昼間っから酒、か。二十歳にしてダメ人間の仲間入りした気分だ。



 缶を開ける。



 グイッと、思い切って飲みこむ。

 口から喉に、ゆっくり渡っていくビール。



 和馬は目を丸くした。


 あれ、苦くない?飲みやすいっていうか、これ、ちょっと美味いかも…。



 友人たちとの飲み会で飲んだビールとは、味が違う気がした。

 

 え、なんでだ、ひとりで飲むからか?


 半分ほど一気に飲むと、ふと気になってスマホで「ビール 辛口」と検索してみた。



 検索結果によると、どうやらビールの「辛い」は「糖が少ない」ことらしい。甘口は麦の味が濃く残っていて、そのぶん甘くて苦い、と。



 なんか、面白いな。そりゃ、「辛い」と「苦い」って別物だけど、なんとなく、辛口は苦いんだとばかり思っていた。



 缶が空に近づくころには、早くも酔いが回っていた。


 こんな小さなことで、世の中知らないことばっかりだな、と変に達観している自分が可笑しかった。



 検索画面を終了したそのとき、ぶるっとスマホが振動した。


 学食にいた友人のひとりから、メッセージが届いた。


 「どーした、風邪?」




☆モデルにしたお酒は、アサヒ「スーパードライ」!


「辛口」の方が飲みやすいって、なんだかビールって不思議です。そんなわたしも辛口派。



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