みまちがい
その公園は知ってはいたが、足を踏み入れるのは初めてだった。
平日、月曜日の真っ昼間。小学生がまだ学校にいる時間だからだろうか、人はまばらでベンチもだいぶ空いている。少し先に見えるベンチには、のんびり日向ぼっこをしているらしい爺さんがひとり。
吉川蒼太は、先週自分に別れを告げた彼女のことを思い出していた。
付き合いは楽だった。会うのは2週間に一回程度でも、もっと会いたいなどとわがままを言われたことはなかった。向こうも「お互いが忙しい時に無理して会って、八つ当たりし合うより絶対いい」と言っていた。
会っている間は、楽しい話ばかりをした。お互いの趣味の話、テレビや映画の話、愚痴は互いに笑えるものだけ。混雑している場所に無理に出かけることもなく、どちらかの家でまったりと過ごした。
3年付き合った。いつも笑っていた彼女が、「もうあなたには合わせられない」と言い出したのは2か月くらい前だっただろうか。なにを言われているのか分からなかった蒼太は、まったく悪気なく、「いや、合わせてくれなくていいけど」と答えた。その瞬間、彼女の目にはみるみるうちに涙がたまったのだった。
聞けば、いつもこっちの都合に彼女が我慢して合わせてくれていたらしい。会う日も、場所も、話題も…と、彼女は泣きながら訴えてきた。
蒼太にしてみれば強要した覚えはないのだが、申し訳ないとは思ったので謝った。
「無理させてごめん」
そして、彼女の都合に合わせたデートを何度かしてみたものの、彼女いわく「やっぱり、つまらなそうだね」。溝は埋まらなかった。
いや、と蒼太は思いなおす。
正直なところ、埋めるのが面倒だった。
なんだかなあ、と思いながら空いているベンチに腰を掛けた。
狙ってきたわけではないが、桜がいい具合に咲いている。
近くのコンビニで買ってきた発泡酒を開ける。
ひと口目をぐびっ、と飲みこむと、違和感を感じた。
思っていた味と違う。
あれっ、と思い缶をよく見ると、そこには
「レモンピール」という文字があった。
笑ってしまった。
蒼太は、その文字をレモン「ビール」と見間違えて、レモンビールテイストの発泡酒だと思って買ったのだった。
笑いながらふた口目を飲むと、これはこれで悪くない。
発泡酒にほんの微かに、レモンの香り。
うん、飲みやすい。
レモンビールは、彼女から教わった。
「ビールって苦いだけじゃんって思って苦手だったんだけどさ、これはすごく美味しいの」
彼女が買ってきたそれは、どこか炭酸のレモン飲料を思いださせる味わいで、酒好きな蒼太には少し物足りなく、でも確かに美味しかった。飲みながらどんな話をしたのだったか。
彼女との別れを、自分はどう思っているのだろうか。
蒼太にはわからなかった。
一緒にいた時間は楽で、自然体でいられる気がした。
照れくさい言い方をすれば、いわゆる「癒される」というやつだったんだろう。
でも、彼女の涙の訴えを聞いても、つなぎ止めようとは思えなかった。
変わろうと思えなかったのだ。
結局、俺は自己中なんだろうな。
そう結論を出すと、蒼太は残りの発泡酒をぐびぐびと飲んでゆく。
でもさ。
彼女の顔を思い描きながら、心の中で語りかける。
今、寂しいんだと思うよ、俺は。
せっかくの思いがけない有休に、ひとりで公園来ちゃうくらいにはさ。
あげく、「レモンビール」を見つけたらお前を思い出して、飲みたくなっちゃってさ。
しかも、レモン「ピール」だったっていうね、それに気づかないくらいにさ。
なんかとにかく悪かったけど、俺はこういうやつなんだよ。
我慢させてごめん。合わせてくれてありがと。
次は、もっといいやつに出会って、幸せになれよ。
なんだか本当のレモンビールが飲みたくなったそのとき、ひらりと桜の花びらが降ってきて、缶の飲み口をふさいだ。
蒼太は、桜の花びらごと、残りの発泡酒を飲み干す。
レモンビールを買いに行こうかと思ったけれど、やめた。
もう一本このレモン「ピール」を買って、家に帰ろう。
気づくと公園には子どもが増えていた。学校が終わったのだろう。
不審者と思われてはいけないと、蒼太は立ち上がって歩き出した。
☆モデルにしたお酒は、淡麗グリーンラベルの「風そよぐレモンピール」。わたしも、最初「レモンビール」と間違いました(笑)。
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