其の弐 探偵、行動を開始する事。

『お金は幾らかかっても構いません。どうか英一さんのことを調べてください』


 須磨子は身体を前に乗り出すようにして、俺の顔を見つめ、そこで少しき込んだ。


 すかさず、小早川女史が後ろから背中をさする。


『ギャラ・・・・いや、料金に関しては吉岡弁護士から伺っているかと思いますが、通常の額をお支払い下さればそれで構いません。契約書は後程私の事務所宛てに送付して下さい。』


 俺はシナモンスティックをかじりつくすと、ティーカップに残っていたレモンティーを飲み干した。


『それじゃ、お引き受け下さるの?』


『引き受けますよ。それが私の仕事です』


 ああよかった、とでもいうように、彼女はほっと胸を撫でおろした。


『でも、私もお婆ちゃんでしょ?もう時間があまりありませんの。出来るだけ早く、結論を出して頂きたいんです』


 そういって彼女は寂しそうに微笑んだ。


『奥様、そろそろお昼寝の時間でございます』小早川女史がそっと囁くように、須磨子に言った。


『そう、そうね・・・・』須磨子は目の端に溜まっていた涙をハンカチで拭い、車いすに移ると、もう一度俺の方を見て、


『では、何分よろしくお願い致します。あとはこの小早川に何でも申し付けてください』


 そういうと、女史に押されて応接室を出て行った。


 玄関から出る時、小早川女史が見送りに来てくれた。


『奥様からです』


 彼女はそう言い、封筒に入った現金を手渡してくれた。


『一週間分のギャラと必要経費でございます。足りなければまたご請求下さいとの事でございます』


 俺は彼女に断って、中身を改めた。


 手の切れるような新札で80万円は入っていた。


 俺は黙って受け取り、ポケットにしまいこみ、そのまま屋敷を辞去した。


(さあて、厄介な仕事だぞ・・・・・)俺はそう呟いた。



 まず俺が出向いたのは九段だった。


 つまりは『靖國神社』である。


 大正十年生まれの海軍士官となれば、生存していない確率は高い。


など、何の手掛かりにもならない。少なくともその時はそう

思っていた) 


 


『戦死した可能性』、これはあり得る。


 そこで思いついたのは靖國だ。


 戦死すれば間違いなくあそこに違いない。

 靖國には明治維新から昭和二十年までの間に戦死した軍人、兵隊、そして民間人に至る、『国の為に散華した』あらゆる日本人が祀られている筈だ。

 霧島少尉が戦死なら、まず当たってみる価値はある。


 

 だが、困ったことがあった。

 神社にはここ何十年か詣でたことがない。


 勿論靖國も、である。


 あ、だからといって靖國に何か複雑な思いがあるわけでもないのだ。


『神頼み』なんてのはもっと爺になってからでも出来る。


 そう思っているからに過ぎない。


 しかもは、場所が場所だけにガードが堅いと思い込んでいたが、ラッキーなことが一つだけあった。


 電話をかけたところ、広報を担当していた権禰宜ごんねぎ・・・・神社の世界でいう、中間管理職。さしずめ課長クラスといったところか・・・・が、俺が陸自に入隊した時、教育隊の隊長をしていた木村一等陸曹。つまりは顔見知りだったのだ。


 意外なこともあるもんだ。俺は思った。


 木村氏の実家は確か栃木かどこかの大きな開業医で、彼はそこの次男坊である。

別に神社や宗教とは関係ない筈だ。

神職の資格だって持ってなかったし、在隊時代に宗教の話などしたことは一度もない。


 そこで俺はあることを思い出した。昔宗教関係の調査を扱った時、神社について少し調べたことがあったのだ。


 若干横道に逸れて、神社の事について語っておこう。

日本国中の神社は、幕末から明治にかけて創られた新興宗教を除いて、現在は大抵どこも『神社本庁』という団体に属している。

 しかし、中には例外もあり、靖國もその一つだった。



 靖國神社は独立した『宗教法人』なのだ。


 神社本庁に属している神社で神職(つまりは神主である)をしている人間は、本庁が定めた資格を取得する必要がある。


 しかし独立した宗教団体ならば、この枷に縛られる必要はない。

 つまりは格別神職の資格が無くても、勤めることが出来るという訳だ。



 俺が靖國の広報課に電話をかけて、木村元一等陸曹を呼び出して貰うと、最初は怪訝けげんな口調だったが、俺が元の部下だと知ると、急に声色が変わり、


『訪ねてくれば個人のプライバシーに触れん程度なら話してやる』ときたもんだ。


 俺は汗を拭いながら電車を乗り継いで九段までたどり着いた。


 歩くのは決して面倒じゃない。


 むしろ車なんかよりよっぽどましだ。


 大鳥居を潜り、長い参道を歩く。


 神聖な場所(なんだろうな)に、俺みたいな俗世の垢に染まりまくった俺のような人間が入り込んでもいいんだろうか?


 と、柄にもなく殊勝しゅしょうなことを考えたりしている。


 幾ら仕事で来たからと言って、一応格好はつける必要があろう。


 俺はそう思って、本殿まで行き、賽銭箱に百円玉を投げ、形ばかりの拝礼(二拝二拍手一拝と言う奴だ。幾ら宗教と無縁だからって、この位の作法は知っている)を済ませると、お札やお守りを売っている『授与所』とやらに行き、木村氏を呼び出して貰った。


 前もって電話してあったこともあり、木村氏はすぐにやって来た。


 昔は『赤鬼の陸曹(怒ると顔が真っ赤になるからである)』なんてあだ名で呼ばれていたほど、恐ろしい人間だったが、久しぶりに会ってみると、確かに背が高く、体格の良さは変わらなかったが、目などはすっかり柔和になり、白衣と浅黄色の袴が良く似合い、すっかり自衛官時代の垢が抜け落ちてしまった感じがあった。


 俺は自衛官としては格別優秀でも、さりとて出来の悪い方でもなかったので、この人にも怒られたという記憶があまりない。


 従って教育隊でわずかの間一緒にいただけなのだから、向こうには頭の端にもないと思っていたが、さにあらずで、何だか随分細かいところまで覚えていてくれたのには正直閉口した。


 いや、そんな思い出話なんかどうでもいい。


 俺は仕事で来たのだ。


 早速俺が霧島少尉について切り出すと、手回しのいいことに、すでに調べていてくれた。


『詳しいことは差し触りがあるので話せんが』と前置きした上で、


『何度も調べたのだが、その人は英霊にはなっておられん』という返事が返ってきた。


『英霊になっておられん』ということは神として祀られていない。つまりは戦死はしていないという理屈になる訳だ。


 これで最初の可能性にバッテンがついたことになる。






 




 


 


 

 



 

 

 




   

 


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