令和怪談

冷門 風之助 

其の壱 老婦人、初恋を語る事。

  最初に断っておく。


 俺は『』だの『』だの、

』、『』なんてもののたぐいは、一切信じていない。


 俺が信じられるのは自分の目で見て、自分の耳で聴き、自分で触れ、そして

自分で感じられるもの。それだけだ。

 だから、今回体験したことの一部始終は、全て嘘偽りのない、俺が見た事実なのだ。



 都心の一等地、田園調布の外れにあるお屋敷に俺が出向いたのは、六月も終わり、まだ梅雨も明けていないのにカンカン照りでそよとも風の吹かない、土曜日の午後の事だった。


 恐らく大正の中頃か、昭和の初期に建てられたであろうその洋館は、如何にも明智小五郎や金田一耕助の登場する探偵小説に出てきそうな、そんなたたずまいだった。


 玄関でベルを鳴らし、来訪の旨を伝える。


 すると、今時アニメや漫画、或いはメイド喫茶のような世界でしかお目にかかれないような白いエプロンドレスを着たメイド(正真正銘の!)が出てきて、俺を中に入れてくれた。


 彼女の案内で通されたホールは、これまた劇画か大昔のハリウッドのミステリー映画そのままだった。


 マントルピース、マホガニーのテーブルと椅子、足首まで埋まりそうなペルシャ絨毯じゅうたん。棚の上に並べられた置物や彫刻、壁に掛けられた凡そ百号はあろうかと思われる油彩画・・・・・。


(今時、こんなお屋敷が本当にあったんだな)俺は頭を動かして、よろしく室内を見まわした。


しばらくお待ちください。間もなく奥様が参りますので』


 メイドは銀の盆に載せたティーカップを俺の前のテーブルに置き、頭を下げて立ち去った。


 俺はレモンを紅茶に沈め、改めて室内を見回した。


 マントルピースの上の置時計が規則正しく時を刻む音だけが聞こえる。


 それ以外は静かすぎるほど静かな部屋だ。


 いつもは騒音だらけの雑多な世界に住んでいる俺には、妙に尻が落ち着かない。


 どれくらい時が流れたろう。


 まあ、半時間も経っちゃいまい。


 ドアの開く音がして、黒いドレスを身に纏った中年の婦人が押す車椅子に乗って彼女が現れた。


 地味なクリーム色のブラウスに、薄い赤のロングスカート。それから水色のストールを肩に羽織っている。


 顔立ちは・・・・そうだな。八千草薫と香川京子を足して二で割ったような、と表現すれば分かりやすいだろう。

俺はソファから立ち上がると、

『吉岡弁護士に紹介を受けた、いぬい宗十郎そうじゅうろうと言います』型通りの挨拶を済ませてから名刺と、バッジとライセンスの入ったホルダーを開いてテーブルの上に置いた。


柳原須磨子やなぎはらすまこと申します』彼女は後ろの老婦人の支えを借りながらソファに移り、俺の名刺とライセンスを確認してから答えた。


 柳原家は、戦前から続く名門の家柄だ。彼女は具体的な年齢こそ避けたが、

『昭和七年の四月一日生まれです』と、生年月日だけをしっかりした口調で伝えた。


 元はさる大財閥の一族だったのだが、ご承知の通り、昭和二十年、GHQによって解体を余儀なくされた。しかし、彼女の父親である当時の当主はそんなものはモノともせずに立ち向かい、新たな事業を起こして戦後の荒波を乗り切った。


 そして須磨子は、その父がもっとも信頼していた部下の一人と見合いをし、婿養子という形で結婚をした。


 子供は三人。


 夫との関係は恋愛とか何だとかそういうものとは全く無縁な、『家名を絶やさない』、そのための結婚だったと言ってよい。


 しかし格別仲が悪かった訳でもなく、本当に穏やかな、ごくありふれた家庭生活だったという。


 その夫とも7年ほど前に死別し、子供たちもそれぞれ結婚して独立し、現在この屋敷には彼女と、そして後ろに控えている執事の小早川涼子、あとは住み込みのメイドが一人、通いでやってくる家政婦兼コックが一人いるだけだそうだ。


『で、ご依頼の向きは?私はまだ何も伺っていないんですが。』


 俺の言葉に彼女は小早川女史に視線で合図を送った。


 女史は軽く会釈をすると、後ろの書棚から一冊の白い表紙のアルバムを持ってきて、頁を開いて俺の前に置いた。


 セピア色の写真が何枚か並んでいた。その中に、彼女・・・・まだおかっぱ頭にセーラー服姿の須磨子が写っていた。


『五歳の時のわたくしですわ』


 彼女はそう言って、再び現れたメイドが持ってきた紅茶に口を付けた。


 写真の中には恐らく家族全員で写したらしいものもあった。


 紋付羽織袴姿に白い顎髭あごひげを蓄えた老人と、留袖姿の老婆を中心に、背広に蝶ネクタイに丸いロイド眼鏡。やはり留袖を着た若い婦人、学生服姿の少年らが、こちらを向いてかしこまっている。


 その中に一枚、大日本帝国海軍士官の制服を着た、背の高い、恐らく二十歳になったかならないかといった青年が一人で写っている写真があった。

 色白であるが、痩身長躯そうしんちょうくに引き締まった顔立ち、切れ長の澄んだ目、海軍士官らしく、野暮ったい丸坊主にはしておらず、きちんと七三に分けた頭髪をしている。額の右中央に、まるで仏陀の螺髪らほつのような黒子ほくろがあるのが印象的だった。


『霧島英一さん、海軍少尉・・・・私の初恋の人・・・・・いえ、正確にはもしかすると「」・・・・そう申し上げておきましょう』


 須磨子が霧島少尉と知り合ったのは、まだ彼が江田島の海軍兵学校に入る前、旧制中学校の四年生の時で、当時まだ彼女はで、八歳になったばかりだった。


『英一さんは、私の幼馴染のお兄さんでしたの。江田島が休暇になると、何度かお逢いしましてね。そのうち私もほのかでしたけど憧れの気持ちを持つようになりまして』

 それはあちらも同じだったようで、自分が兵学校を卒業し、海軍士官として一人前になったら、結婚をとまで言ってくれ、霧島家の両親を通じ、柳原家に申し込みがあったという。


 しかし、須磨子は長女である。戦前は男子でないと財産相続は出来なかった。 ましてや彼女の家は名門の一族でもある。従って、父親は彼女に婿養子をとって結婚させるという理由で、結局断ってしまったそうだ。

英一はそれでも諦めずにいてくれたのだが、父親の意思は硬く、また彼女も親思いだったので、父に逆らってまでと言うことも出来ず、結局お流れになってしまい、その後は、

『ご存知の通りですわ』と言う訳である。


『で?』


 俺が『シナモンスティックだ』と断って、シガレットケースを取り出して一本咥えると、彼女はため息をついて、それから、


『率直に申し上げます。行方を捜して頂きたいんですの』



『失礼ですが、その霧島さんは・・・・』


『私より十歳年長です。大正十年、満年齢で行けば九十八歳、数えだと九十九歳になられますかしら?』


 俺はしばらく考え込んだ。


『お考えになっていらっしゃることはお分かりになりますわ。幾ら平均寿命が延びたといっても、そんなお年寄りがご健在かどうか・・・・・ってことでしょう?』


須磨子はもう一度、小早川女史に目線を送った。すると、女史がさながら手品師のように、ひらひらと手を動かし、一枚の手札大の写真を取り出して須磨子に渡す。


 彼女はそれをアルバムの上に載せて、俺に見せた。


 どこかの公園なのだろう。


 桜の大木の下に、数人の女学生(俺までクラシックな表現になっちまった)が写っており、そこから少し離れた石碑の傍らに、はっきりとした姿で、一人の男性が写っていた。


 痩身長躯そうしんちょうく、細面で引き締まった顔立ち、切れ長の澄んだ目、そして額の中央にある小豆大の黒子ほくろ・・・・何もかもあの霧島英一とそっくりであった。


 ただ、違っていたのはこちらはこげ茶色のジャケットにズボン。黒いセーターを着用していた事である。


 俺は写真の端に打ち出されていた日付を確認した。


 日付は明らかに昨年の春になっている。

『私の遠縁の娘が、中学の卒業記念に写したものだと言って、送ってくれたんですの』

 須磨子は俺の表情をうかがうような表情をしていた。

 俺はなんて事のない顔を装おう。


 賭けてもいい。


 俺は幽霊なんて信じないし、輪廻転生りんねてんせいなんてものも信じない。


 しかしこれは何なんだ?


 頭が混乱して来た。





 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る