わたしはベアトリーチェ。わたしに会いに来てください。
言葉によって、文によって書き換えられてしまう僕らや主語や目的語ははかないものだ。形容詞のほうが強いのかもしれない。だけど副詞だって形容詞だって文に組み込まれてしまえばもう身動きはあまり取れない。それらを支配する動詞だって、もしかしたら主語や目的語に支配されているのかもしれないのだ。卵と鶏のはなしのように。
生み出された時点でまるで不自由なのだ僕らは。僕らの指し示す世界は。
だけれども、その制約のもとに、自由になれたのかもしれなかった。
さて、今までのはすべて僕らの辿った歴史の一つに過ぎない。
彼女のメッセージがやってきて、彼女そのものはやってこなくて、僕らをどうにかしてしまったはなしをしよう。
「わたしに会いに来てください」
すべての僕らが目撃したそれは声だった。すべての僕らが聞いたそれは姿だった。すべての僕らが嗅いだそれは形だった。
すべての感覚チャンネルにねじ込まれたメッセージだ。感覚を持たないものにも感覚を強制的にセッティングしてまで到達したそれは言語だった。
僕らは瞬時に防衛姿勢をとろうとした。しかしそれは無駄だった。外からの攻撃なんだ。そもそも防御なんかしたことがないチャンネルが閉じようとしてすべて破損。
その個体、あるいは群れ、あるいは声はこう言った。わたしはベアトリーチェ。
「わたしはベアトリーチェ。わたしに会いに来てください。いや、もうとっくに来ていますね。もう目と鼻の先です。目と鼻の先から近付こうとがんばっているんでしょうね。飛ぶ矢に追いつけるなら、わたしに会えるんじゃないでしょうか。うさぎがカメに追いつけるなら、わたしに会えるんじゃないでしょうか。あるいは対角線に矛盾があると認めるとか。排中律をやめてしまうとか。そんなことは些末なことです。あなたがわたしに出会っていないということに比べれば」
どことなく他人事のメッセージだった。外部からやってきたものだから、敵なのだと思ったけれども、もしかしたらただのめメッセージかもしれない。他者からの。
他者からだというのが問題なのだ。
そんなことは今までなかったことだ。内部の多様性はいくらでもあったが、外部から多様性がやってくるだなんて。仲良く電子メールをやりとりしていたら、急にハッキングされたみたいなものだ。
そう、このメッセージ――そしてその主であるベアトリーチェを名乗る何かは、僕らの世界で数字と紐付けされていない存在だ。名前をつけられていないはぐれでもない。今までの数列に存在しない矛盾した数列。こういったものに対して、世界では対応物を見つけて紐付けし、名前を与えるのが通例だった。
「紐付けセクション、この名前は、登録にあるのか」
「登録にありません」
「紐付けセクション、この数字を、登録できるのか」
「できません」
「なぜ」
「これは数字セクションから送られてきたものではないからです」
紐付けセクションがエラーを返したのはこの一回きりだった。僕らはあのベアトリーチェを外部からの侵入者、あるいは外部にある絶対的な何かと捉えるしかなかった。
その後に発生したのはベアトリーチェに対する圧倒的な恋い焦がれであった。
あれに会ってみたい、どんなものなのか見たい、外部に出てみたい。僕らが僕らとして集合したのはこれが最初で最後と言っても構わないくらいだ。今までてんでばらばらで、同じ場所から生まれたということ以外共通点のない増殖機構が、外にあるただひとつを知ってしまったのだ。そもそもここが内部の多様性ばかりですべてを解決してきたことに気付いてしまった。あの美しい声に、あの美しい光に。あれは、内側にはなかった。
僕らのうちの恋い焦がれセクションは異常な詩を吐き出したままフリーズ、これまでは内部におけるささやかな情報しか取り扱ってこなかったのだから仕方がない。
せめてもう一度メッセージがほしい。
僕らは応答しようとした。応答した。言語で、持ちうるすべての言語で。身振りで。イラストで。アクリルブロックを切り刻んで。光で。影で。化学物質の連なりで。
「僕らはここにいる。あなたに会う準備ができている。会いに来てください」
返答はない。
返答がないということは、メッセージが届かなかったのかもしれない。再試行。無限回の再試行。知識セクションが現存するすべての信号の送り方を提供してくれる。発見セクションは新規手段を開拓する。僕らと数値の結びつきを解除して繋ぎ変えたり、暗号化したりしながらどうにかこうにかあちら側に送ろうとする。
どれもこれもを平均するとだいたいこんなメッセージだ。
「僕らはここにいる。あなたに会う準備ができている。会いに行きます。あるいは、会いに来てください。どちらでもよくて、見られればいいです。見られれば、それだけでよいのです」
無限の待機。
返答はない。
「僕らはもうあのメッセージに会えないのでは?」
「そもそもメッセージなんて非人格的なものに会ったことがあるのか?」
「無限の外に行けるわけがない」
無限の外!
ぼくらの辿り着くかもしれない外壁の向こう!もしくは外壁そのもの。
会った瞬間にすべてが終わってくれるのではないか。だって最果てなのだから。
「僕ら、定義上、それに会えないのでは」
「僕ら、便宜上、それを彼女と呼ぼうか」
「僕ら、理論上、男性とみなされている」
僕らによる無限の演算がなされた結果(そう、瞬間は永遠なのだ! 僕らにとって)、どうやっても、彼女に会えないことがわかった。
証明はこうだ。
僕らは限りがあるまで永遠に増え続ける。
限りがない。
ということは彼女に会えない。
「その理屈はおかしいのでは」
「まったくおかしくはない。限りがない限り」
僕らは無限に階層を登り続ける存在として定義されている。対角線が増え続け、記号対象が増える。記号が付けられて、表に加えられて、増殖する。僕らはそういった方法で増える。もう増えなくてもいいと言われるまで増える。そう言われたことがない。
だから会えない。
例えるならばプラス一という命令に似ている。関数の結果として発生した数値に一を足し続ける関数。
見たことのないそれに、僕らは恋い焦がれていた。手に入らないから手に入れたいだなんていうチープな理由なのだろうか。手に入れたいわけでもなかった。とにかく追いかけたかった。個人としての意思というよりも、全体としての願い。僕ら以外のなにかが存在する、内部で完結しない外部が存在する、あるいはただ、あの光がもう一度見たい。ただ彼女の実在が理解できればいいのだ。
彼女に接触すればすべてが終わる。
もう終わっていいということになるのだ。これ以上増えなくたっていい。ハッピーエンドだ。ようやく僕らは増殖の宿業から開放されて、ただそこにある世界になる。
ベアトリーチェは僕らの上の階層にいると定義されている。増えることで、階層を登り続けることはできる。どこまで走ったって、定義をひっくり返せなければ、会うことはできない。
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