チャーリーとブラウンのおはなしだ。

大切なのはチャーリーが何者なのかということではない。チャーリーの属性が変化してしまうということだ。この文章表現によって。明示されていない主語が好きな対象がチャーリーだということになってしまう。そこにチャーリーの意思はない。

 相手が自分を好きなことに対して意思がないのは当然かもしれないが。「殺す」のほうがよほど不穏でいいだろうか。「チャーリーはブラウンに殺される」でも、もちろん、殺されたのはチャーリーで、自分の意志ではない。これから続く文脈によって、嘱託殺人とか尊厳死とか心中とかそういった要素が付加されるかもしれないけれども、この一文だけだったら、それらは可能性の海に開かれたさざなみに過ぎない。

 こういった属性と、その文が実際に真なのか偽なのかは関係がない。「チャーリーがブラウンを殺した」、ちょっと物騒だけれども、そういった文を考えることもできる。与えられた文脈内でチャーリーがブラウンを殺していれば真だし、そうでなければ偽だ。僕はブラウンを殺していないのでこの文は偽だ。このチャーリーが僕を指しているならね。可能世界にはブラウンを殺したチャーリーもいるかもしれない。

 逆に言うと、偽の文であっても述べられたときにその主語や目的語に対して何らかの属性が付与されてしまうのは変わらないということだ。もし僕がブラウンを殺していなくても「チャーリーがブラウンを殺した」という文のみの内部では、ブラウンを殺しているのだ。

 

 

 それじゃあちょっと解像度を下げたはなしをしよう。チャーリーとブラウンのおはなしだ。そのチャーリーは僕ではなくて……何らかの神話的存在と捉えてもらっていい。僕の名前はそれにちなんで名付けられた。そのおはなしは、僕らの世界では神話ともみなされている。神が出てくるというよりは、理想的であって、実際には実現しないおとぎ話として。繋がれた記号であることに気付いてしまった記号たちのおはなしであって、情動が存在する人間のはなし。

 

 チャーリーはアメリカ西海岸で育った。

 ブラウンは日本太平洋エリアで育った。

 そんなふたりによる、ごく普通のおはなしだ。

 

 このふたりが出会ったら、

「チャーリー・ブラウンじゃないか」

「チャーリー・ブラウンって誰?」

 という会話が繰り広げられるのは当然のことだ。どっちがどっちでもいい。

 

 このふたりが出会うまでのはなしをしよう。チャーリー、本名を両親も忘れてしまうほどにチャーリーと呼ばれ続けたチャーリーは、たいそう世界を把握する能力が強かったので、三歳の頃にはすでに自分がタグ付けされた数列であるということを理解していた。

 初めての発話は「パパ」でも「ママ」でもなくて「ワン」、ONEであった。次はもちろんゼロだ。鼻音なんて普通の発達段階からするともっと後期に発するべきものだが、チャーリーは並外れた存在であったので、鼻音が発音できるようになるまで発話しなかった。

 自分がタグ付分類された数字の一種であることに気付いたチャーリーであったが、赤子なので、だからって何か発明するわけでもない。ミルクを飲み、よく泣き、よく睡眠を取り、成長した。

 成長したチャーリーは、哲学に興味を持った。あと数学と物理学と文学と――とにかく、自分に関係があると思った学問すべてに興味を持ったし、それらについて一角の知識を得ることができた。それらはすべて自分が数列であることを証明するために選択された知識だったので、その他のことにはあまり役に立たなかった。

 チャーリーの驚嘆すべき特異性についてはこのような逸話がある。あるときチャーリーは公園で遊んでいた。怪我をしないようにやわらかな素材で慎重に構築され、角を極力廃した公演でさえ、走ったり遊具に登ったりしたら当然事故が起こる。チャーリーは膝を擦りむき、痛みを感じ、家に帰った。

 チャーリーの母親は尋ねる。

「どうしたのその傷」

 チャーリーは答える。

「これは傷と呼ばれているものだ」

 チャーリーにとって傷は、傷と呼ばれているものであって、傷そのものではなかった。AはAではなくてAと呼ばれているものだという、彼の世界における基本概念を体得していた。だから、傷そのものを感じているにもかかわらず、タグに紐付けられた概念だとしか思えなかったのだ。ついでに、その傷によって自分が不可逆的に変化したわけではないから、それを重大なことだとみなせなかった。死んだときも自分が死んだことに気付かなかった、みたいな伝説もある。流石にそれは証明できないから、与太話の粋を超えない。

 

 そんな日常を送りながら、チャーリーは、自分たちが無限に算出される数字の群れの一部であることを証明したはじめての人間となった。自分が生命体であると同時に、その生命を構築している原子やそれ以下の単位、あるいはそれ以上の単位、人間が作成した社会、人間の用いる言語、あるいはそれらを束ねる上位概念……それらがすべて、記号の現すものであるのだと、内部から証明してしまった。主に哲学の手法が用いられ、記述には数学も使われた。物理学的な証明もなされたが、証明した瞬間に『正しいこと』として世界秩序を改変したことは誰にも気付かれなかった。

 過去から未来に渡っての全区間を変更されたら、当然内部の人間には知覚することすらできない。

 チャーリーは自ずから知っていることを既存の言語で書き表すことにその能力のすべてを使った。寝食を忘れるほどに。家族と一緒に住んでいなかったら達成されなかったかもしれないと言われている。この世界では家族と一緒に住んでいたので事なきを得た。

 当然世界は大混乱に陥ったが、だいたいのものはその結果のみしか理解できず、過程をきちんと追えたものは少なかった。結果を理解したところで、人生の意味をなくしてしまって自殺に走るものや、逆にその数字を計算で求められるのだと勘違いしたグループが一生涯を無為に終えたり、あるいは誕生日占いのようにマイナンバー占いが流行したりした。それらはチャーリーの論文に含まれていなかったし、誰もチャーリーの論文を読まなかった。

 原典を読めるものによるまっとうな反論もあった。その多くはゲーデルの不完全性定理を援用したものだった。それらすべてがチャーリーによる短い応答で片付けられてしまった。その応答を理解できるものも少なく、またチャーリーは世界構造を理解してしまったがゆえの編纂能力を持ち合わせていた。

 この世界を構成しているものがどのように結びついているのか理解したのだから、その大本を改変すれば世界は変化する。物理学が意味をなさないレベルに辿り着いてしまった。本人にその自覚はなく、ただ青い空は青いとか、赤いリンゴは赤いとかと同じような知覚の記述であった。数列と記号を紐付ける機構そのものにアクセスすることはできなかったが(それ自体もまた記号であるので)、数列を改変してしまえばそれに結びついている記号も変更されるので、特に問題はなかった。目には見えないそれらを、チャーリーは息をするように変更した。

 変更するつもりもあまりなかったのに、それは徐々にチャーリーの生活を変えていった。願ったことは願ったことすらわからないままに改変されていく。腕を動かそうと思えば腕が動くのと同じように。物理法則を根本から変えることなんかしなかったけれども、チャーリーの家にある階段を登るときだけほんの少し重力に補助がかかったりもした。この世で唯一の大魔法使いであるかのように、そして魔法はチャーリーしか持っていないかのように、暮らしていた。

 

 次第にチャーリー以外の世界は諦めてしまった。自分が何であろうとも、実際には存在するのか怪しくても、日常生活には支障がないのだ。自らの本体が紐づけされた数字、そして構成物も同様であっても、借金は返さなくてはいけないし、仕事にも行かなくてはならない。なんならどこかに本質がある以上、それらの責務はより大きく降りかかる。死んだって逃げられないし、天国も地獄もあるのに、それらは記号でしかないというのはある種の絶望であった。

 重力があるように、数列はある。目に見えなくて、自分たちの運命を支配していて、変えることはできない。

 

 さあそこでもうひとりの登場人物が現れる。ブラウンだ。

 

 ブラウン、これは名字ではなくて名前〈ファーストネーム〉である。日本太平洋エリアにしては珍しい名前だと認識されていた。通例日本エリアでは、名前は漢字かひらがなで表記される。

 名字は定かではない。シュガーでなければよいものだが。

 ブラウンはチャーリーと出会うまで、ごく普通の生活と本人が自認しているような生活をしていた。ブラウンの長所としては、自らの運命をそのままに受け入れられるということがある。どんなに過去や未来が書き換えられようとも、現在のことしか認識していないので、何も動じないのだ。

 それはブラウンが中等教育機関に通っていた頃のはなしだった。喉の渇きを覚えたブラウンは、友人にこう話す。

「水が飲みたい」

「紅茶ならコンビニで安売りしてたよ」

 そのとき過去が改変された。あるいは織り込み済みの歴史として、最初から構成されていた。少なくともその瞬間は、ブラウンは紅茶が飲みたかったこととなった。

「紅茶が飲みたかったからちょうどよかった」

「さっきまで水を飲みたいって言ってなかった?」

「いま紅茶を飲んでいるから、紅茶を飲みたいと思っているよ」

 ブラウンにとってはそれが正しいことだし、特に問題はなかった。友人もまあそんなものかと流すこととした。


 そんなブラウンがチャーリーの理論と出会うのは、成人年齢を迎えてからである。自分が数列に紐付いた記号であることを、その瞬間に理解することができたのだ。そして生まれたときから、意識の発生した瞬間から未来に至るまでずっと知っていることとなった。その意味ではチャーリーと同類であった。最初からそうであったのか、後からそうなったかの差はあれど、ふたりの人生を俯瞰できる存在がいなければ、区別なんてできない。

ブラウンにはチャーリーの理論は追えなかったが、結論を十全に理解した。それが他の理論家たちと違うところだった。また、それによって極端な行動も起こさなかったたし、誤解による人生の破滅や蛇行も発生しなかった。生まれたときからそうだったことになってしまったからだ。

「あのチャーリーが言っていること、わたしが最初から思っていたことだ。飲み物を決めるときに思ったことと同じこと。最初からそうおなんだ。知っていた。今まで知っていたのに、黙っていただけなのかもしれない」

「いきなり何を言い出したの? 昨日は違ったのに」

「昨日もそうだったよ。ずっと前からそう」

友人はブラウンを否定した。友人は世界の他の人間たちのように、線形の時間を生きていた。ブラウンの特質を理解したものは、ブラウンを含めて誰もいなかった。

 なるほど、それなら、そのひとに会いに行こう。ああ言っているひとが世界にひとりしかいないのなら。そんなシンプルな考えを、実行に移したのはブラウンひとりだった。

 チャーリーの両親はチャーリーの論文発表後のごたごたによって心労がつのり、早くして亡くなっていた。チャーリーには世間通り合う能力がまるでなく、両親に頼り切った生活をしていた。彼らによって構成された生活環境がなくなろうとしていた頃、ブラウンがチャーリーの元を訪ねたのであった。

 飛行機に乗って。アメリカに到着して、それからまた飛行機だ。

 こんな行動を起こしたのも、もしかしたらチャーリーの編纂能力によるものだったのかもしれないが――ブラウンにとってはどうでもよく、チャーリーは自分がそう願ったのかすら覚えていない。

 

 そうしてチャーリーとブラウンは出会った。

 家に押しかけてきたブラウンを、チャーリーはこう迎えた。

「私に会いにきてほしかった」

 ブラウンは言う。

「私は会いに行きたかった」

 見つめ合った瞬間に、ふたりはこうやって出会うべきだとわかった。ほんものの家族のように、あるいは他人のように。

 

 ブラウンはチャーリーの世界を支える手伝いをすることができた。具体的には、スーパーマーケットで買い物をしたり、傾いた家を修理したりできた。

 チャーリーはブラウンの望みを叶えることができた。特にそうしたいと願ったわけではないけれども、勝手に物事はそう動いていくのだった。

 ブラウンは言う。

「わたしたちはまるで愛し合っているみたいじゃない」

 チャーリーは答える。

「ぼくたちはまるでカップルみたいだ」

 人生のはじめからそう決まっていたこととなった。ブラウンにとっては。チャーリーにとっては乱入者だった。

 

 ブラウンは尋ねる。

「数列はどうやって増えるというの」

 チャーリーは答える。

「数列は今も増え続けているんだ」

「それって見られる?」

「見えないけれど、空気のように、今も増えてる」

 ブラウンにはそれがわかった。理解はできなかったけれども。初等教育の教科書に書いてあることよりも単純で、明快で、どうやって記憶したのかもわからないような知識として書き込まれた。ブラウンはチャーリーの言っていることを理解する唯一の人間となった。なんたって言われた途端に知っていることになるのだから。

 ブラウンはチャーリーしかいなかったけれども、その逆は真ではないように見えるかもしれない。そうではない。チャーリーにとっても、理解者はブラウンしかいなかった。そう設定したからでも構わない。設定がすべて悪であるのならば、産めよ増やせよ地に満ちよというDNAが命じることすらも悪となってしまう。

 チャーリーはそうしても構わなかった。

 チャーリーはそうしなかった。

 

 チャーリーとブラウンは子供をもうけることができた。それはこの世界で行われている正規の方法ではなかったが、仕組みを理解しているチャーリーにとっては造作のないことだった。おそらくチャーリーは、どの組み合わせでも子供を作ることができただろう。プラスチックと木星の間にさえも。

 だけれども、チャーリーはブラウンとの子供を作った。作成した、と表現すると物体らしすぎるので、もうけるとしておいたほうがよさそうだ。

 子供は人間の子供が持っている性質すべてを持ち合わせており、過剰でも不足でもなかった。

「この子供はもちろん」

「ぼくらの子供であって、ぼくらの子供ではない。子供だけれども、世界のどこかで数列と繋がれている。ぼくたちと同じ程度には人間だ」

「エアプランツが生まれなくてよかった」

「そうだね、人間でよかった」

 チャーリーは言う。ブラウンは一つの可能性に思い当たる。

「人間じゃなかったらだめだったのかな」

「人間じゃなくてもいい」

 それは、自分たちが数列だということをきちんと理解しているチャーリーの、精一杯の愛情だった。

 

 チャーリーとブラウンのおはなしはここで終わる。このふたりの子供はすくすくと成長したし、それがまた世界に一つの混乱をもたらしたりもするのだが、ここから先には異説が多い。

 

 ちなみにこの地球において、自分たちが数列であることに初めて気付いたのはある種のウイルスだったが、チャーリーはウイルスが世界を理解する方法を知らなかったので、そんなことは知らない。

 たとえそうであっても、チャーリーの発見は人間にとっては卓越的なことだったし、卓越ゆえに人間社会では生存が難しかったチャーリーと会話ができるブラウンは貴重なものだった。

 チャーリーとブラウンがその後どうなったのかはあまり重要視されていない。人間として一生を終えたふたりは、もちろん今の僕たちの世界で再利用されているだろう。どこにいるのかわからない。

 

 あるいはこの逸話そのものが一つの概念として紐付けされている。

 だとしたらチャーリーとブラウンは無限のうちのどこかで生まれたということとなり、このおはなしそのものも――というと、循環参照が起こってしまうので避けたいところだ。

 今までのはなしすべてがそうだって? 

 

 それから先というもの、チャーリーもブラウンもたいそうなコモンネームだ。僕以外のチャーリーはたくさんいる。名付けた意味はよくわかっていないものが多いけれども、名前なんていうのはそんなもので、名前の意味はわからずともよく、名前の指し示す対象がわかればよい。

 僕は僕とそれ以外のチャーリーの区別がつく。それでいいだろう。

 ここにある花が何なのかわからなくても、もしも目の前にその花があるのならば、指さして言えばいい。「これだ」と。

 そこに花がないときのために言葉があるのであって、指し示したい対象が自動的にポップアップしてくるみたいな世界では言葉なんか必要ない。僕らやきみの世界では、そんなことはないので、言葉がある。

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